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保護者は子を叱るのが仕事だけど、そのあとはちゃんと褒めてあげて

 まず、私のスキーママップをご覧ください。
 スキーママップとは、スキーマ療法(認知行動療法を深掘りしたものと言うべきか)の中で作るものです。

 こういった、人間の奥深くに根付いているスキーマを洗い出し、「自分はどれか強いか」「互いにどう作用して今の自分を突き動かしているのか」を知るものです(個人の感想です)。

 さて本題です。
 書いていて思ったのが、「私は中学受験の時、なんならそれ以降大学に入るまでも、もっとできるだろうとかここの点数悪すぎるが次はどう改善する?と父に聞かれていました。褒め言葉もなくはないですが、「やるやん」程度のものだった記憶があります。
 「もっともっと」と言われ、それは父の「子どもを伸ばしたい」という気持ちの現れだったのかもしれませんが、私の完璧主義的スキーマを形成したことも事実だと思います。
 特に中学受験の時は私の出来が悪かったのか、親はイオンに買い物に行くのに私だけ車に取り残されて「それ終わってないだろ。車の中でやっていなさい」と言われたことを今でも思い出せます。

 他のスキーマについては、父と父方の祖父の衝突、母親の苦しい現状、弟に自分のような思いをさせるわけにはいかない、祖父が機嫌悪くすると大好きな祖母に当たり散らす……という綱渡りの状態で、常に「祖父は今の父の発言を良く思ってなかっただろうか」「弟からわたしに話を逸らしたけど遅すぎたか?もしくは話の腰をおって不機嫌にさせてしまったか?」と永遠に考えていました。
 なにせ、うちの実家は“みんなでご飯を食べる”という決まりがあったもので、コロナ禍になってからはほぼ毎日そんな状態でした。

 さらに、少し遡りますが、私の失敗で高校を中退させるなどと父が私に言ったことがあります。もちろん非行に該当するようなことはしていませんが、いままで漠然と思っていたことがその時はっきりと「子どもは親に従っていないと生きていけないんだ」「私が失敗したら私の友だちまで巻き込んで不幸にしてしまう」と猛烈に刷り込まれました。
 実際、翌日の高校は無理やり休まされました。祖母が父を怒ってくれて、その後は通うことができました。

 以上の結果、「自分がいれば周りに迷惑をかけてしまう」「親に従うしかない」「嫌われてしまったら見捨てられて終わりだ」という刷り込みが発生しました。

 そしてこれは親に対してだけでは済みません。根深いこれらは、相手が親でない他人にも同じように発揮されることになりました。
 つまり「今は取り繕っているけど、素を知れば嫌われて見捨てられるに違いない」「もっとちゃんと嫌われない完璧な人間にならなければ」「成果を出すことで認められなければ」という無意識下のルールとなってしまったのです。

 だから是非、保護者の方は(テストの例だと)「理科の点数低すぎる」と言ったとしても、その後に「でもテレビを我慢して普段より頑張ろうとはしていたもんね」と認めてあげてください。それだけで子どもがどれだけ救われるか……。

 もちろん子どもも一人の人間です。全員に当てはまるわけではないですが、私のような人間が増えないようにどうか、家庭が居場所になる子どもが増えていきますようにという願いを込めて、締めようと思います。

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