絶対はありうるか

絶対100%なことはない、というのは正しいだろうか。
自分としては正しい、と思う。
人々の共通認識において限りなく100%に近いことはある、とは思っている。
なぜなら言葉の定義や意味が人や国によって解釈が違っている可能性があるからだ。
人や生物の宿命として「死」はついて回るものだから、これは絶対ではないかと思う反面、何を持って「死」とするか?から考えると、想像通りの生き方ではないかも知れないが、「死なない」可能性もある。

死をもって人間とする、と人間の定義が「死」ありきの場合はどうだろうか。人間は絶対100%死ぬ、だってそれが人間だから、ということになる。これはこれで、「絶対」の自作自演感が拭いきれない。もしくは、長ったらしい前置きがあればその範囲内での「絶対」はありうるかもしれない。「死」でいうと例えば、「現代医学の解釈の範囲」での「死」といった風に。ただこれもやはり「限定的」な絶対であって、自分のイメージする絶対にならないのだ。もうここで約一名、人間の死についての絶対を疑問に思っている人間がいる。

そして最後に、自分の「絶対」というイメージの状態を作るには全てのことを知っていなければならないということがあると思う。人間は自分の体のことすら全解明していないのに、「すべてを知っている」などというそんな傲慢なことは言えないと思う。

言葉遊びにしか過ぎないし、大部分の人間に伝わればいいんだよ、ということだろうけど、あらゆる事象において反発できる材料はいくらでもあるのだ。こういう認識は忘れないようにしたいと思っている。日常生活の雑談レベルではそれほどなことは求められないが、時と場合によってはおかしなことを言っているのは自分だけということになりかねないのだから。

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