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クソ人生論 第五話 職歴(キャリアプラン)について その④ 無職の親父編

勤め先のキャバクラでNo.1キャバ嬢とデキ婚した後、仕事に疲弊してしまい仕事を飛んでしまった。

第三話のデリヘル編の辞め方も退職届けを置いて消えたので飛びに近かったのだが、
人間は心と体のそれぞれの疲労がピークを超えると仕事を飛ぶんだと身をもって経験した。

今後の人生においてその経験は「アイツ辞めるレーダー」として意味もなく発揮する事になる。

自分の気持ちを整理する為、後日勤め先だったキャバクラには直接謝罪しに行った。

晴れて無職の夫、無職の親父となってしまった私は嫁の貯金で2週間ほどボーっと過ごしていたが、
流石に働かなくてはマズいと思いはじめていた。

家庭を持った身として堅気な仕事に戻ろうと決心し正社員募集していたパチンコ屋のパラッツォと甘太郎などを運営しているコロワイドに応募した。

西新宿や横浜の立派なビルにオフィスを構えていた。

どちらも落ちた。

俺はパチンコ屋と飲食店の社員にすらなれないのかと少し絶望した。

その場を凌ぐ為の金を稼ぐべく日当をもらえるアルバイトサイトに登録をして飲食店のホール業務のバイトをする事になった。

キャバクラで培った接客技術はその他のバイトより抜きん出ていたらしく、
「また働いてほしい」と直接バイトを引き受ける事になった。

しかし短時間のバイトの時給だけでは家族3人食っていける金を稼げるはずもなく、
1ヶ月後にはヤマト運輸の1ヶ月限定の夜間の荷物仕分け作業の仕事をすることになった。
8時間勤務+休憩1時間で日当は8,000円だったかと思う。交通費は無しだ。

この仕事が中々体力的にキツかった。
ベルトコンベヤーで大量に迫りくる荷物を延々とエリア別の台車に仕分ける作業だった。
荷物は重いわ、動きっぱなしだわで体はボロボロになった。

この夜間の仕事は夜8時頃に品川駅のバスロータリーに来る夜勤バイト専用のバスに乗って埠頭の倉庫に向かうのだが、
言い方は悪いがザ・底辺労働者感が凄くドナドナの歌が頭に流れた。

寒い倉庫内の空気は汚く、ティッシュを鼻に詰めると黒い汚れが付くほどだ。

普段ネットショッピングで気軽に買っている物を届ける為に、物流の裏には人々の苦労があるのだと知った。

今までクソ人生論で教訓を一つも上げていなかったが、
『体力に自信の無いヤツは力仕事をするな。しない為のスキルを磨け。』
と伝えたい。

ヤマト運輸の仕分けのバイトは1ヶ月限定の仕事なので連続では働けないシステムなのだが、
社員から「来月も働いて欲しい」と言われた。

12月でクリスマスプレゼントの荷物で地獄が予想されるので人材を確保したかったのだろう。

しかし先ほどの飲食店のバイト先から「社員で働いて欲しい」と先に声が掛かっていたので丁重に断った。

飲食店を運営しているのは小さな広告代理店だったのだが
私がデザインの専門学校を卒業しているのでデスクワークもしつつ飲食店も見てほしいとの事だった。

会社からしたら都合の良い働かせ方が出来るヤツに見えたのだろう。

そこで働き始めて1年ほどたった時に会社の業績がどんどん悪くなり、
最終的には給料が10万円しか払われなくなった。

子供も生まれ、金が必要な時に今後の人生はどうなる?


■第六話 職歴(キャリアプラン)について その⑤につづく
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