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新しい眼鏡

昨年の春に眼鏡を変えた。3代目になる。大学生になってブルーライトな毎日を送るようになり、一段と視力が下がった気がする。いや高3あたりからもうきつかった。だがいざ変えるとなると面倒で、ほうっておいたら2年が経った。帰宅途中の大通り、目の前を走るトラック。その大きな「宅急便」の文字すらぼやけて見えて、初めて自分にぞっとした。何かは知らないが、このままでは「終わる」と思った。

大学前の眼科で視力検査を受けた。右目の視力はやっと0.1、左目は0.3。背筋がひやりとした。お医者さんが「早く変えときなよ~」と苦笑いしていた。すみませんと言いながら、僕はそれより懐かしさに浸っていた。こんなにしっかりした検査を受けるのはいつぶりだろうか。一つ一つ検査用のレンズが重ねられ、片眼ずつ当てる。久しく遠ざかっていた鮮明な世界が小さな穴から見える。ぼんやりと感動した。度の強さに少し酔うのもなんだか嬉しかった。

しばらくして眼鏡を買いに行った。前から気になっていた、ブルーライトカットのCMで売り出しているチェーン店。いざ着くとバリエーションの豊富さに舌を巻いた。フレームの色も模様も、レンズの形状も大きさも、何というか、何でもある。クラシックな金縁丸レンズからブルーライト対策の最新版まで、当たり前に並んでいる。圧倒された。眼鏡って、おしゃれなんだ。3回目にしてやっと分かった気がした。けれどそんなありさまだから、どれを買えばよいのか迷っていった。自分は今まで、どうやって眼鏡を見つけて、付き合ってこれたのだっけ――。

初めて眼鏡を学校に付けていった日のことが頭に浮かんできた。小学5年生の時。レンズ越しの鮮やかな風景に興奮しつつも、妙に付け慣れない。さらに、微妙にクラスと馴染めていなかったから不安だった。どう見られるのか、何やら言われてしまうのか、複雑だった。そう思いながら登校してすぐ、仲の良かった女の子が眼鏡の僕を見つけた。そして、「どっちでもカッコいいよ」と言ってくれた。なんだか照れくさくて、ちゃんとお礼も言えたか覚えていない。あの子は適当に言ったのかもしれないけど、たしかに僕は、その言葉のおかげで眼鏡を自分のものにできた。

それを思い出したら、目の前にあった眼鏡のひとつに焦点が合った。派手さはなく、新しさもさほどな、ほんの少し青線の入ったシンプルな形。けれどあの日のように、不安と期待が入り混じるような見た目。僕はすぐにそれを買い、店を出て着けてみた。さっきも通った道路が隅々までぐっと明るい光に包まれて見えた時、この感覚のために眼鏡と生きているのだ、と思えた。

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