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自分の扱い方、心得てますか?

大人たるもの自分の機嫌は自分でとれ、という思想がここ数年SNS等で広く認知されていますが、実際のところみなさんどうですか?できてますか?
わたしは全くできていません。

以前の記事に書いた通り、わたしは26歳でうつ病を発症しました。
そして現在も通院と投薬治療の真っ最中であります。
その生活の中で、「わたし」という人間の扱い方について改めて考える機会が多かったので、気づいたことをリストアップしていきます。
下記はあくまで「わたし」の扱い方についてですが、あなたにも応用できるかもしれません。
迷えるアラサー子羊たちの一助になれば幸いです。


「なんか違うな」の感覚は大事にせえ

何かを決める時、誰かに何かを言われた時、なんとなく違和感を覚えること、あると思います。
即座に言語化する・相手に伝えるという選択肢もないほどの小さな違和感です。
例えるなら歯と歯の間にエノキが挟まってるなあとか新幹線の座席を倒す角度がしっくりこないなあとかそのくらいの「違和感あるけどまあいっか」で流してしまうようなやつです。
ところがどっこい、この「なんか違うな」という小さな違和感、放置しておくと遅効性の毒として効いてきます。
即効性ではないのが厄介なところです。
毒が効いてきて、「あ、あれわたし嫌だったんだな」と気付いた頃にはもう後戻り出来ないし、嫌なことを言ってきた相手はその場にはいないしなんなら言ったことすら忘れています。
即効性ならすぐにそれは嫌だという意思表示ができるので良いですが、遅効性なのでもう「傷付きと怒りの独り相撲」です。
不毛な時間を過ごすことになります。

なのでこれからは「なんか違うな」と思ったらホイホイ返事したり笑って流したりせず、一旦「なんか違うな」の感覚に素直に従って、大事にしてやろうと思います。
今までまあいっかで流してごめん、わたしの「なんか違うな」くん

オモロいことだけやれ

人生ってやりたくなくてもやらないといけないことが沢山あります。
むしろ基本やりたくないことの連続です。
人と関わると疲れるなって思っても、ひとりでは生きられないし、何もせずにゴロゴロして過ごしてえなって思っても働いて賃金を得ないと生活できないし、めんどくさくてもご飯を作って食べないと飢えて死にます。
でも、どんな人とどんな風に関わるか、なんの仕事をしてどんな風に働くか、何を作って食べるかは選ぶことができます。
やらなければいけないことだからこそ、何をするかを選べるならばなるべく「オモロいことだけ」を選ぶことで苦難に直面した時に余計なストレスを生まず、問題解決にだけリソースを割けるようになる気がします。
だってやらなければいけなくてかつオモロくないことってストレス100000000%じゃないですか……?
避けられるなら避けた方がいいです。

今この瞬間が今後の人生で一番若い

迷えるアラサー子羊のみんな、「もう若くないから〜」が口癖になってない???
わたしはなってます。
学生の頃みたいに徹夜出来ないし肌荒れの回復も遅いし白髪もめっちゃ増えた。
老いというものは誰にも等しくやってきます。
過去と比べて今の方が老いているのは至極当然のこと。
でも「歳を重ねたこと」を何かを「しない」理由に使っちゃうのってもったいないんですよね。
だってこれから先の人生で今より若い瞬間って絶対に絶対に無いんですから。
今この瞬間が一番若いのです。
「もう若くないから〜」の枕詞は捨てて、「今が一番若い!」でいきましょう。ガンガンいこうぜ。


やってみたいことはとりあえずやってみろ

これはひとつ前の項目とも関連します。
やりたいことやったもん勝ち、青春なら、なのです。
思い切ってやってみればいいのです。
やってみてダメだったらやめたらいいのです。
なんとなく勇気が出なくてやらずにいたこと、やってみるともしかしたらものすごく自分に合っているかもしれません。
自分にピッタリくるものであれば人生より楽しいルートに突入で、合わなかったらやめて元のルートに戻るだけです。
そう考えるとやらない理由がない気がしてきませんか?
ということでわたしは無職になった時に頭をゴリゴリにブリーチしてゴリゴリの派手髪にしました。
フリーランスという働き方でゆる社会復帰中の現在もゴリゴリに金髪です。
人生でやってよかったことベスト3に入るくらい気に入っています。


以上がわたしの考える自分の上手な扱い方です。
みなさんも一度立ち止まって、自分の上手な扱い方、考えてみてはいかがでしょうか。

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