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自分に低評価ボタン、押しちゃってないですか?

わたしはめちゃくちゃ押してます。


「自己評価があまりにも低いせいで相対的に自分にも周りにも求めるレベルが無自覚に高くなりすぎている」

これは4年ほど前に友人から言われた言葉です。
わたしはわたしのことを【人類の最底辺】だと思っているので、
その最底辺であるわたしにできることは他の人もできて当然だと何の疑問も持たずに生きてきた。
しかしこの友人によるとそもそもわたしが人類の最底辺であるという前提がまずおかしいようである。

「正直自分のこと過小評価しすぎだと思いますよ…」

これは最近別の友人から言われた言葉。
ちなみに似たようなことを母親にも言われた。
え、わたしってそんな風に見えてたんですか?
複数人から言われるって相当なのでは?


さて、今回話したいのは「わたしって実は優秀な人間なの!」ということではなく、「ヒトというものは自己を正当に評価するのは難しい」ということです。
自分自身を正しく評価する。過大評価でも過小評価でもなく、分相応の評価をする。これはとても難しいことなんですね。
他人に対しては「この人すごいなあ」と素直に評価できるところでも、たちまち自分のこととなると大したことないなあと思ってしまう。
皆さんは心当たりないですか?

わたしはこの現象に「自分に低評価ボタンを押す」と名前を付けることにしました。
言語化することで無意識にやってしまう卑下の嵐を自覚し、必要以上に自分を傷つけたり、それによって結果的に他人に失礼な態度をとってしまうことを回避できるのではないかと思ったのです。

謙遜が美徳とされる文化が根強い日本において、日常的かつ無意識に自分に低評価ボタンを押している人はきっとわたしだけではなくて、おそらく、多分きっと、たくさんいると思います。
でもそれって、本当に美徳ですか?
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
ゆきすぎた謙遜、自身の過小評価は、不必要に自分も他人も傷つける。
べつに自分に高評価ボタンを押せなくたっていいけれど、低評価ボタンも押さなくていい。
もっと自身に対してフラットな態度で向き合ってゆきたいものです。


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