随想④


他人の人生を見る仕事だと思う。
会う人会う人、増える度に人生を覗き見る。
そして、自分の人生を考える。
死生観、老後、人生の最期。

二年前の三月。
「ありがとう」
年老いた、皺の深く入った彼女は微かに言った。
自分の孫が死に、娘が死んだ。十何年顔も見ていないひ孫が訪れた。
長く生きる。
長寿も決しておめでたいものではないのだと、潤んだ瞳に宿っていた。

人生の目標を一つ、また一つと達成していく。
人生いつ終わるかもわからないし、いつ動けなくなるかわからない。

文学講座を受けた。
大学の授業より真面目に受けたノートを眺めながら、この上ない多幸感が湧き上がる。研究の第一人者の話が聞けたのだ。
同時に学問に戻りたいという寂しさに襲われる。
周りに同世代は居なかった。

会う人会う人に「〇〇の人」で認識されていることを知った。

好きなことで金を稼いでほかの好きなことを捨てるか。
やりたくもないことで金を稼いで自分の好きを追求するか。
自分の好きで飯を食っている人間は社畜か十分な給料ではない。
そんな例をいやというほど見た。

「人生楽しんでいる奴はフットワークが軽い」
この世に居ない好きな男の誕生日を瀬戸内海超えて生誕地に祝いに行っている人間はどれほど人生を楽しんでいるか。

何かできてる人は凄いと思う。
私は足を引っ張るか、たたき落とすことしかできない。
足を引っ張られたたき落されるほど、私はなにもしていない。

古書を蒐集する理由に「持っている」という優越感は割と大きい。
否定することもできないほどに。

孤独と交流を繰り返している。
集団行動は向かない。
仲良くなった人間の8割はワンシーズンで別れる。
良いように扱われてあとは捨てられるだけの人生。

色々なものをしくじってきた。
一度決めたものを変えられるほど器用でもないし強くもない。
全てがしくじっている。

個人懇談で「協調性が無いですね」って言われた子どもは、23歳になっても砂でできた見せかけの協調性しか持ち合わせておらず。

評価不要、堂々とやりたいことをやるしってやりたいけど根がそうはいかない。
ただのモンスターになるか凡人でなければ何とかなるのかもしれない。
自分の道を堂々と歩きたい自分と、歩けていない現実が入り混じる。

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