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一四六 ご苦労さん



今回は僕の妄想9割の悟りを。



稿本天理教教祖伝逸話篇から

(…教祖の日常のお言葉や面影から教祖という人物を偲ぶ書物。信者の残した話を持ち寄って二〇〇話綴られている。)



一四六 御苦労さん

 明治十七年春、佐治登喜治良は、当時二十三才であったが、大阪鎮台の歩兵第九連隊第一隊第三中隊に入隊中、大和地方へ行軍して、奈良市今御門町の桝屋という旅館に宿営した。
 この時、宿の離れに人の出入りがあり、宿の亭主から、
「あのお方が、庄屋敷の生神様や。」
とて、赤衣を召された教祖を指し示して教えられ、お道の話を聞かされた。
 やがて教祖が、登喜治良の立っている直ぐ傍をお通りになった時、佐治は言い知れぬ感動に打たれて、丁重に頭を下げて御辞儀したところ、教祖は、静かに会釈を返され、
「ご苦労さん。」
と、お声をかけて下された。
 佐治は、教祖を拝した瞬間、得も言えぬ崇高な念に打たれ、お声を聞いた一瞬、神々しい中にも慕わしく懐かしく、ついて行きたいような気がした。
 後年、佐治が、いつも人々に語っていた話に、
「私は、その時、このお道を通る心を定めた。事情の悩みも身上の患いもないのに、入信したのは、全くその時の深い感銘からである。」と。

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先日、おぢばに帰らせていただき、朝つとめに参拝したときに、大亮様のお下がりを間近で拝するタイミングがありました。

(大亮様....中山大亮。青年会長。次期天理教トップ)


その大亮様の姿を見たときに、ちょうど前日に読んでいたのもあって、この話を思い出しました。

本部員の先生方を何十人も後ろに連ね、次期教団のトップとして、その集団の先頭を軽々しく歩いていた姿が
自分にはこの逸話編の教祖のように神々しく神秘的にさえ見え、何か自分の心を打つものがありました。


それは、短く整った髪型からなのか、眼鏡なのか、スマートな体格からなのか、悠々と歩く姿だからなのか
目に見える情報からは、ただ気高く堂々とした、青年会員誰しもが目指すべきあらきとうりょうの姿だと感じました。


そしてその姿を為す、内から溢れていたものに、僕は心を打たれたようにと思います。

それは、ずっと先の未来を見てる、という印象です。

現状うまくいってないこと
目の前のなかなか進まないようなこと
また、周りの傍の目を気にしたりだとか
そういう自分だったら気にしてしまうような
ちっぽけな小さいことになんか目もくれない。
一切関係ない。

それよりももっともっと先をみてる。
未来を見てる。

それも

僕からじゃ想像もつかないぐらいの未来を見てる

という印象でした。

なぜそのように感じたか。

大亮様は、天理教の未来を一手に担う立場として
周りには自分の何倍もの年齢の本部員がいたり、現在止まってしまった行事の多くや、今の教勢の衰退、今の教団の在り方や、これからの在り方などなど、、、
もちろん僕にはその胸中はわからないですが
しかし、簡単に想像するだけでもわかるぐらいに重苦しい立場のその重さを、一切感じさせなかった

つまり
そういったものに一切とらわれず

ただ真剣に未来を良くしていくということを考えておられる

(そう、ほんとにそこに真剣だからこそ傍目は気にしてられない、そんな余裕もなく真剣なのだと推量します)

というふうに、自分には伝わってきました。

そういった真剣な神一条の姿が心を打ったのだと思います。


そして、

どれだけ積み上げたらあんな雰囲気が出るんだろうとも思いました。

それは、おそらく自分との決めた約束を守り、
そして神様との約束を守ってきたからこそ
そしてそれを積み上げてきたからこそ、
この人は頼ると絶対に応えてくれる、だとか、絶対に裏切らない、秘密は漏らさない、頼んだことは絶対成し遂げてくれる、というような
信頼感が、人柄や雰囲気となってあらわれているのだと感じました。

そして、そうやって積み上げを継続し、信頼される人物になっていくことが尊いことであり、やはりお道の人間として、そこを目指して、自分も益々励んでいきたいと思います。


本気で真剣にやってれば小さいことなんて気にならない。

真剣にいきましょ!




※自分の感じたままに推量で書いており、ただ一人の悟りとして理解いただけると幸いです、、、(笑)



最後までお付き合いありがとうございました。




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