星野太『食客論』(講談社、2023年)を読んだので、ChatGPTと語りあいました。
『食客論』は「食」に関する様々なテキストを辿り、カール・シュミットのいう友/敵の二項対立的な関係のどちらにも当てはまらない曖昧な他者を「食客」あるいは「寄生者」として、他者との関係は友/敵の関係以前に寄生者/宿主の関係にあるという議論を展開しています。誰しもが寄生しなければ生きていけないのであり、私たちは他者との連帯を志向する前提として寄生者であることを思い起こす必要があるということです。
食客は連帯するのか?
(問)星野太『食客論』を読みました。友や敵といったカテゴリーに当てはまらない曖昧な他者が食客とされていますが、食客がそのように定義される場合、食客による共同体はありえますか。それが可能であれば、どのような共同体が築かれますか。
(問)複数の食客が同一の宿主に寄生する場合に、食客同士が協力することで共同体を一時的に築くことがあるということですね。一方で、食客とその宿主の関係についていえば、それは非対称的であり食客による共同体とはまた異なるといえそうですね。そもそも宿主は寄生されていることに気づいていない、あるいは忘れていることもあると思いますが、それに気づかれることで食客は寄生を中断する必要に迫られることもありますよね。つまり食客はそのような不安定な環境に身をさらしているといえますね。
食客は抑圧されるのか?
(問)他者との共生には互いが匿名でないことから生じる抑圧がありますよね。一方で、寄生は宿主に気づかれていない場合もあるという点では匿名であるかは問題になりません。言い換えると、寄生者は共生する場合の抑圧からは自由であるといえます。それでは、寄生にはどのような抑圧が伴いますか。
(問)なるほど、寄生において宿主に対して適度に抑圧をかけなければならないということですが、それは寄生者にとって緊張を伴うものとなりそうですね。その緊張関係は寄生において生じる抑圧にもなるといえるのではないでしょうか。
寄生における愛について
(問)寄生において宿主に対して愛情を持つことはありえますか。
(問)親子関係や飼い主とペットの関係は一般的に共生といわれると思いますが、それを寄生として捉え直すという考え方は利己性を中心に据えているようにもみえます。その点で星野太の主張は個人主義だという批判もありえそうですね。
おわりに
(問)寄生における恋愛関係を描いた小説を書いてください。
(問)なぜ鈴の身体に異変が現われたのですか。
なるほど、宿主は寄生に気づかないという寄生の関係を表現しているようです。このことを読者にも気づかせない書き方には、読むことにおける寄生関係を想像させるものがありますね。