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優しさの反対は厳しさなのか、厳しさの反対は優しさなのか【日々これ #38】

パワプロのサクセスで「サボりぐせ」がつくと即効通院するくせに、自分のサボりぐせは治さない怠け者であることに最近ようやく気がつきました。
Anzaki です。

よく、「優しさ」と厳しさは対比して使われます。
「人に優しく、自分に厳しく」みたいな。

こう言われると、「優しさ」と「厳しさ」は対義語のように聞こえますし、
もっというと、トレードオフのようにすら思えます。

トレードオフというと、何かを得るには何かを失わないといけないということで、
この話の中でいうと、「厳しくしようと思ったら、優しさは捨てないといけない」ということになります。

その通りのような気も少ししますが、「そんなことはない!厳しさの中に優しさもある!」と思う人の方が多いはずです。

よく対比して使われるこの二つの性質について、きちんと言語化してみたいと思います。
※辞書的な意味も考慮しますが、日常で使われる時を想像しながら、その感覚をはっきりさせていきます。

優しさの反対は厳しさか?

この問いに対する答えは、感覚的には「いいえ」です。

ということは、「優しさ」「厳しさ」には、その反対と捉えられる別の性質があることになります。

考えやすい方から整理すると、「厳しさ」の反対は「甘さ」「ゆるさ」だと思います。

「厳しさ」は、手加減がない、容赦がない様子を想起させる表現で、ようは「遊びのない状態」です。
そう考えると、対義語になるのは、遊びのある状態である、「甘さ」や「ゆるさ」が適切だと思います。

「厳しさ」の反対は、「甘さ」「ゆるさ」で決まりです。

「優しさ」はどうでしょうか。

「優しさ」を感じる時ってどんな時かなー、と考えていたら、前にも考えたことあるなと思って、そういえば、こんな記事を書いていました。


この中で、優しさの正体は“想像力”にあると言いました。

これが鍵になるんですが、「優しさ」の反対は、「冷たさ」だと思います。

想像力というものは、その人への興味・関心から生まれたりするので、
それが生まれないというのは、興味がない状態、それを想起させるのは、「気持ちの冷たさ」だと思います。

“態度の冷たさ”ではなく、“気持ちの冷たさ”です。

ここは条件付きにしておかないといけなくて、
例えば、相手のことを思った結果の冷たい態度なんかは、そこに膨大な想像力が隠れているので、気持ちはめちゃくちゃ温かくて優しいです。

なんとなく、「優しさ」って、温かいイメージもありますよね。
「どうぞ、温かい目で見守ってください」みたいなのも、相手を優しい気持ちにさせると思います。

※ですので、僕の話もどうぞ温かい目でお読みください。

※これを書きながら思ったのですが、感覚って数値化しにくいですが、「温度」で表現すると、言語化しやすいなと思いました。

※話の内容とは関係ないですが、距離、角度、重さ、とかでも感覚を表現できそうです。

ということで

優しいと厳しいは独立したもの、全く異なる軸にあるものだと考えた方が良さそうです。

これらはトレードオフではなく、共存するもの。
なぜなら、「優しさ」と「厳しさ」は同一直線上ではなく、別軸に置かれた性質だからです。

「優しい」し、「厳しい」という状態は、なんら不思議じゃないということです。

よく、「好きの反対は嫌いじゃなくて、興味ないだ」とか言いますが、
優しさと厳しさの関係も、それに類似する気がします。

個人的には、「優しさ軸上」では、極力優しい方に振り切って、
「厳しさ軸上」では、時と場合によって、厳しさと甘さの間を行ったり来たりするのが良い気がしてます。

僕には「サボりぐせ」が張り付いているので、どうか、「優しく」「厳しく」関わってください。

ではまた。

(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
(「スキ」は結構モチベーションになってます、ありがとうございます)

【参考】

↓この方のイラスト、好きです。

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