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"人の目"をどう捉えるか【日々これ #33】

最近は晴れの日も多いのですが、たまに降る雨と、30〜38度くらいの気温で過ごしやすいかどうかは微妙です。晴れた日に涼しいカフェから外を見てるくらいが本当にちょうど良いと思います。アウトドア系引きこもりんです。アンザキです。

日本にいたときは、カフェに行くと周りの会話が気になるし、音楽聞くと音楽に耳と脳が持って行かれて、読書も勉強も捗らなかったのですが、
ベトナムだと、周りの言葉がほとんど分からないので、ノーイヤホンで結構集中出来るので良いです。あと、言葉が分からない中での人間観察も地味に楽しいです。

生きてく上で、どうあっても自分以外の人の存在は無視できないようになってるんだと思います、人間の思考ってもんは(ダレ?)。

ということで、こないだ書いたこんな記事の続きというか、なんか関係ありそうなことをお話してみようと思います。

人の目ってありますよね、人の目。

「人の目を気にするなー!」
「人の目線を考えろー!」

人の目について考えたときに、

「人の目を気にしてしまう人の方が多い(どうしても気にしてしまう)」
「人の目線に立って考えられる人ってそんなに多くない(なかなか完璧にはできない)」

というのがどちらかというと、多数派なんじゃないかなと思います。

ここで、あれ?と。

「他人の目が気になるのに、他人の目線に立って考えられないってなんか矛盾してない?」

です。

これは、「人の目」というものの捉え方から整理しないと矛盾は晴れない気がして来ました。

“気にしてしまう人の目”と、“配慮する上での人の目”です。

“気にしてしまう人の目”は、自分以外の人が自分を見ているときの目、と言えます。
人目を気にするというのは、「あの人に良いと思われたい!」「あの人に嫌われたくない」という感情に紐づいていると思います。
対象の人の目が、自分に向いていることが前提なわけです。

一方で、“配慮する上での人の目”は、自分以外の人が当人の世界を見ている目です。
配慮しようと思ったら、その人の見ている世界を考えたときに、その世界が少しでも良い世界になるかどうか、を考えねばなんだと思います(前の記事の最後の方に書いたこととリンクします)。
その人の目に自分が映っているかどうかは関係ないのだと思います。

で、結論としては、前者の人の目を気にしすぎず、後者の人の目を徹底的に考えた方が良さそうだな、です。

前者は、思い込みの影響するところがあまりにも大きいので、実質的にあまり意味ないし、結局その人がどう思ってるかじゃなくて自分がどうしたいかだよ、っていろんな賢い人たちが良いています(責任放棄)。

これは好き嫌いにもなってはきますが、僕の場合は、自分のことはよくわからないけど、自分の周りが前に進んでいるなら、自分も前に進んでるんだろうな、と思うので、
周りを前進させることは、自分の幸せを引き上げることになると思っています。

ということは、自分の周りの人が世界をどう見ているか、その世界はどうしたらもう少し輝くか、を考え続けることをやめてはいけないんだろうなと思います。自分のために。

ただ、これは長期的な目線で、人間そんなに強くないので、自分自身、それを考えられなくなることは結構あります。てかそればかりで泣きたくなります。

こればっかりはもう、トイレの壁にでも貼って毎日眺めて脳に叩き込んでおきたいんですが、ユニットバスでトイレの目の前が窓なので、何か違う方法を考えようと思います。

もう一回だけ書いておきます。

“人の見ている世界を理解して、その世界をもうちょっと輝かせる”

です。

結構良いこと言いました(自分で言う)。

ではまた。

(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
(「スキ」は結構モチベーションになってます、ありがとうございます)

【参考】

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