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なぜ無駄なプライドのようなものを捨てられないのか【ぼくのこと #7】

あんざきです。

ぼくは、謙虚であることを心がけています。謙遜ではなく、謙虚です。

謙遜というのは、へりくだって振る舞うことなので、外見だけ、本質的ではありません。もちろん、時と場合により、そう振る舞うことはありますし、そう振る舞うことで、傲らない自分のイメージを自分にすり込ませることもできますが、やっぱり本質的じゃない、です。

謙虚であることを心がけています。心がけなきゃいけないということは、無意識に、謙虚でいられなくなるからです。

何者でもない割には、何でもないプライドを掴んで離さない自分がいます(“何者でもない”という表現、使われすぎて結構すり減ってて、そのうち消滅しちゃう気がする)。

何も結果が出てないのに、自分は間違っていないはずだと思ってしまう、とか。自分は正しいことをやっているんだって思っています、何が正しいかなんてわからないのに、とか。

なんでプライドを捨てられないんでしょうか・・・?
捨てられないということは、大事なのかな?と思って、プライドの正体を暴いてやろうと思います。

プライドは、日本語にすると自尊心です。
自らを尊ぶ心、です。そして、尊ぶというのは、敬って大切にすること。
辞書的な意味でいくと、プライドとは、「自分を大切にする心」のことのようです。

んー、どうでしょうか。自分を大切にしている、といった瞬間、なんかとっても綺麗になりました。「プライドが高い」というときは、あまり綺麗なイメージじゃないので、辞書的な意味とはちょっと違う気がします。

どんなときにプライドが高くなっているか、というと、だいたいうまく行ってないときです。
なんとなくうまくいってる(気がしている)ときは、気持ちに余裕があるので、普段意識しようとしている「謙虚であること」が発動します。なので割と良いやつになります。

一方、うまくいってないときは、何かをごまかそうとしたり、責任転嫁しようとしたりします。自分を正当化してしまうのです。

この時の感情は、「プライドが高い」という言葉のイメージとリンクします。

つまるところ、ここでいうプライドは、虚勢心と訳した方がよさそうです。
虚勢心とは、ニセモノの勢い、強く振る舞うことで弱い部分をひた隠しにしようとする心のことだという認識で良いと思います。

生物には「防衛本能」というものが備わっているので、プライドを高めてしまうのも、多少仕方ないことなのかもしれません。
ということで、みんな生物としての防衛本能としてプライドを持っているものなので、これは自分だけじゃなく、本来みんな持ってるものなんだろうな、というところで、いったん理解を止めておこうと思います。

なんでプライドなんかを大事にしてしまうのかは、わかりました。

あとは、それが好きかどうか、ということで、その視点でいくと、あんまり好きじゃないです。
人間として生きている上で、生物としての側面だけで止まるのではなく、考える葦としての側面を持っておきたいと思うからです。

仮に防衛本能というものに逆らうことが難しいとしても、
プライド以外のもので、自分を守る術を探した方が良いな、と思ったところで、今日の話を終えたいと思います。

続きはそのうち考えまーす。

ではまた。


(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)
(「スキ」は結構モチベーションになってます、ありがとうございます)

【参考】

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