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脱社会的交換日記

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小市民たちの日記。交換日記と名乗ってはいるけれど、その実、ペン売り場の長いロール紙のような無法さである。
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#交換日記

他人に興味ないだろ|自分ごと

他人への興味は割とあるほうだと思っているけれど、「他人に興味がない」としばしば言われる。んー、確かに? 興味はあるが、他人とのコミュニケーションは苦手なので積極的に他人の話を聞かないからかもしれない。でも興味はあるもん。内側に抱えている興味が質問として発散していないだけだ。無感情であることと無表情であることは別だし、あなたも口には出さずとも何かを怒ったことがあるだろう。 では、他人への興味はいかにして図られるのか。まず他人への質問によって図ってしまったが、これは必ずしも共有

向かい続ける

みました? 『こっち向いてよ向井くん』 面白いドラマや映画は数多くあるが、心にパンチを喰らうようなものは少ない。現実社会から受けた疲労とストレスを解消するためにエンタメをみている側面があるから、むしろ喰らいそうなものはタイミングを図らなければいけない。社会問題を捉えたもの、自分の古傷に触れそうなものは気力体力が満ちているときにみる必要がある。 心にパンチを喰らいながらも、欠かさずみてしまったこのドラマ。 前半はシンプルなラブストーリーとして進行する。恋愛に悩みを抱える主

どっちつかずでいる体力

夜風がこの部屋を通るたびに、窓にかかっている薄いブラインドが呼吸するみたいにふくらんだりへこんだりしている。わたしはそのゆったりした呼吸をじっと眺めている、憧れている。わたしはこの部屋で呼吸がしづらい。 社会にぶつかりながら進んだせいで自分の理想とはかけ離れた形をしている流れの跡を振り返ってみたとき、その不格好さを自分で笑えない。まっすぐ、ただ何かに向かってまっしぐらで進めたなら、きっと深く息が吸えるんだろう。 このセリフを言われて、わたしなら、なおも面と向かって話せるだ

観察と断面

何かを言葉にするとき、わたしたちは物事のある面を否応なく切り取る。わたしはきっと、文字にせよ語りにせよ、言語化に取り憑かれている。何かを言葉にする、それ自体が極めて面白いことだと信じて疑っていない。そう、言語化、大きく言ってこれは「萌え断(サンドイッチなどの食べ物のカラフルで美しい断面を楽しむこと)」である。 サッカーは、手の使用を極端に制限された球技である。 この断面はどうだろうか。広いピッチを駆け巡るスポーツであるサッカーが、急に窮屈に感じる。通常では感じられない、金

労りの喜び

例えば、満員電車。知らない人同士が肌が触れ合うような距離で運ばれている。この時期のそれは暑くてなおのこと不快だ。少しでも不快な現実から目を逸らすと、飛び込んでくるのは広告で、 まったく、嫌な短歌である。 社会で認められるには、環境に適応して生産的でいることが求められる。他人よりも価値を持っていなければいけない。だからこそ、このような社会からの強烈なメッセージは「わたしたちに欠陥を補うための行動」を迫る。そうやって、わたしたちの自尊心を、社会はいともたやすく傷つける。 そ

最初のページだから字が綺麗

小学生のときに一度だけ交換日記をしたことがある。元々わたしは参加していなくって、4人のうちの1人が抜けたから、わたしが代理メンバーとして補給された。交換日記に途中参加ってある?そうまでして4人を守ることが大事? 交換日記に招待されたとき、新メンバーとして白羽の矢を立てられた嬉しさよりも、友だちの間で交換日記があったこととそのスタメンに選ばれていなかったこととが発覚した悲しさのほうが上回ったことを覚えている。だから、交換日記は寂しい思い出だ。そんなわたしが大人になって、14年ぶ