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デザイナー・伊藤節さんと語る(2009年4月の記録)

2009/4/7

先週の金曜日、イタリアのある会社のマーケティング担当と雑談しているとき、突如、「MADE IN ITALYって、何だと思う?」と聞かれました。その会社はMADE IN ITALY のブランドをキープすべく、全ての製品に品質検査の人間のサインを入れるなど徹底したプロセス管理をしています。

ぼくはすぐさま「イタリアの全てで使ったもの。たとえ、イタリア人の職人を連れて、イタリアの機械と素材をもって中国で作ったとしても、MADE IN ITALY とは言わない。そこにはイタリアの文化全てが揃っていない」と答えました。ぼくは、イタリア文化の全てを肯定的に捉えているわけではありません。マイナス要素もプラス要素を成立させる要件である。そのことを言いたいのです。どの部分が良くて、どの部分が悪いとは分類できない、その総体がブランドを作っている限りにおいて、スケッチがよく、プロトが駄目とか分析していてもあまり意味がありません。

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その前日の木曜日、ミラノで約20年、建築家と工業デザイナーとして活躍してこられた伊藤節さんと、ミラノサローネを中心テーマにして色々と雑談をしました。いわば放談です。「結局のところ、ミラノサローネのために実質的に動いているのは3ヶ月くらいなんですよね」と彼は語ります。4月にサローネが終わり、うかうかしていると6月末で、すぐ夏休みの季節。9月になって「さぁ!」と言っているうちに11月。クリスマス休暇をはさみ、11月から4月の初めの期間の、実質3ヶ月が勝負時で、全てが決まるというのです。

「それでいいのか?」というわけですが、伊藤さんもそれを駄目と言っているわけでもなさそうで、ぼくも「何かをやる集中力って、そのくらいでちょうどいいんじゃないですか」と半ば茶化しながら肯定します。1年間、ずっと目を吊り上げていれば何かできるわけでもなく、緩急ある時間の進み具合に身を委ねたときの身体感覚が、アウトプットにある深さと意味を込めるに必要なのだと思います。

その時間感覚ですすむミラノにいて、伊藤さんは現在のミラノサローネを積極的に肯定しているわけではなく、かといって否定的にあからさまに攻撃するわけでもありません。アルキミアにいた彼はメンディーニのエピソードを出しながら、こう語ります。「メンディーにくらいの巨匠でも、サローネは嫌なんです。できれば、その間、海外出張でもあれば願ったりみたいですよ。要するに、自分が祭りあげられるのも含め、もろもろのデザイナー達と競争させられているのが眼前に繰り広げられるのが苦痛なんです」

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<ガラスのテーブルはFIAMから出品するSHINTO。エクステンションダイニングテーブルです>

プロである限り仕方のない運命ですが、その辛さがぼくにも想像できないわけでもありません。特に、全てがカタログ的にみせられ、しかもサローネが企業ブランド戦略としての性格が強くなれば、巨匠たちの声はかつてより相対的に小さく聞こえがちです。そう、昨今のサローネです。彼は1998年の思い出を話してくれます。イタリアのメルセデスベンツが、自分のショールームで伊藤さんの個展を開いてくれたときのこと。

メルセデスベンツミラノの社長が、伊藤さんを伴って雑誌インテルニまで出かけ、フオーリ・ディ・サローネのカタログに、この個展を掲載してくれと頭を下げに行ってくれたのです。インテルニがフオーリ・ディ・サローネを年々規模拡大していったのですが、1998年、掲載の選択権は当然ながらインテルニにありました。そのお目にかなうかどうかが問題だったのです。掲載料を払って掲載する現在と比較し、カタログの厚さは薄っぺらいものでした。

ぼくも覚えていますが、あの頃は、カタログ掲載イベントの80%制覇はさほど難しいことではありませんでした。去年、約500のイベントと言われましたが、10年前はその5分1くらいだったのでは・・・というのがぼくの記憶です。

2009/4/7

前回書いたように、この10年くらいでミラノサローネを巡る風景は大きく変わりました。分野、規模、それぞれに大きくなり、デザインウィークとしては圧倒的な力を持つに至りました。パリやケルンあるいはロンドンにはない集客力を誇っています。しかし、それと同時に、独特のテイストとでも呼ぶべきものが喪失していく過程でもあったかもしれません。伊藤節さんは、「それこそ文字通り、サロン的なよさみたいなのが消え、サローネはただひたすらに忙しい日々という感じになってしまいましたね」と話します。このイベントをミラノという場所でやる意味がどこにあるのか?NYでもいいのではないか? ということを自問せざるをえない気持ちになるようです。

巨匠も含め久しぶりに会う人達との年1回の大切なひと時ではなくなり、デザイナーはそれぞれ自分の発信に大忙しで、友人や仲間の作品を見るために各所に足を運ぶということが至難の業になったといいます。伊藤さんも、去年は最後の日に駆け足で見学したとのこと。アルキミア、マンジャロッティと経験して独立した伊藤さんからすると、20年前のキラ星のごとくいた巨匠たち、それこそ若いとき胸がわくわくしてたまらないデザイナー達がこの世からいなくなってきた最近は、「どうしても見ておきたい」というモチベーションが下がっているのかもしれません。

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<写真はEURO3PLUSTのGOEN+ENTAです>

世界中のデザイナーから熱心なアプローチをうけ、スタジオに呼んで会って話してみると、ソットサスを知らなかったりする。すると伊藤さんはがっかりしてしまいます。「ソットサスより、ぼくが有名だなんて・・・」「ネットで沢山名前が出てくれば、それで評価の高いデザイナーと思ってしまう風潮があるようで・・・」 と。確かにそういう傾向はあるでしょう。しかし、どの時代に共通の「時代の変遷」としかいいようがない現象の一つでもあります。

こういうなかで、サローネ時期に数多出品されるプロトタイプの作品をどう思うか聞いてみました。新作出品の8割がたはプロトとも言われます。サローネでの評判をみて、量産するかどうか決めることが多いのです。

「ぼくの経験では、モノになるのはかなり低い確率です。つまり量産に繋がらないってことです。今、ぼくは量産になると決まった作品しかやりません。プロトにはヘキヘキです。先行投資にしては効率が悪すぎるのです」「量産になる作品というのは、世の中に以前見せたデザインではだめで、かつメーカーの商品戦略に沿っていないといけないわけですね」

そういう意味でいうと、見本市会場の横で実施されるサテリテはデザイナー自身の戦略を含めた「感性」のプレゼンテーションの場であり、それに対するフィードバックから何かが生まれることを期待する場所だ、と伊藤さんは説明します。そこに発表した作品にメーカーの人が来て、そこで本当にビジネスが生まれるか?といえば、それは期待薄と言うべきだ、と。ビジネスは、そこで生まれるかもしれない人間関係の「次」にくるものだからです。

2009/4/7

前々回の冒頭でMADE IN ITALY のエピソードを持ち出し、MADE IN ITALYとは地理的な問題ではなく、イタリア文化の全てが表現されたものと書きました。これはフォルムやカラーあるいは製品コンセプトだけでなく、経営判断のレベルをも当然包括することになります。伊藤さんはNAVAとのプロジェクトを例に出しながら、金型を作るかどうかの判断基準が、日本とイタリアでは大幅に違うという話をします。

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ただ、この話を進める前にまず、「手作り」と「量産」という二つの言葉が指し示す範囲と意味が違うことを説明しておきましょう。日本で「量産」といった場合、そこでは手作業を伴うプロセスを排除しがちであり、機械で連続的にアウトプットされる生産方式というイメージが第一優先します。しかし、イタリアにおいては、プロト生産ではないものを、(特に家具や雑貨の分野では)量産と一括して呼ぶ傾向にあります。つまり「商品化」は「量産」と同義ではないですが、極めて近接したところに位置します。日本では「それを量産とは呼ばない」というものが、イタリアでは量産の範疇になります。

これは、ターゲット市場ボリュームのおさえ方の違いが原因にもなるのですが、もっと言えば、商品世界観の相違とも言えます。あるターゲット市場で狙ったシェアをとり、利益がとれることを第一目標にした場合、あらゆる市場の存在がアリとなるわけですが、イタリアではそのアリとする敷居がある意味低い、逆の表現すれば、市場の潜在性を多様にみていると言えます。たとえでいえば、クルマの世界でフェラーリという企業が成立するのは、あのような高級車市場のユーザーの顔を個々に見えているからだとぼくは考えています。したがって、イタリアの社会のもつ多様性が、市場のバリエーションを「作りこむ」のだと思います。そして、もう一つの鍵は、利幅の取りかたが違うことです。利幅を(日本と比べると)大きくとることを当然とする文化的土壌が、そのバリエーションの成立を許容することになります。

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少々解説が長くなりましたが、伊藤さんは、いわゆる伝統的職人芸ではないプラスチック成型で、「絶対見たことがない」価値をコアに、独自性を主張する人達に感銘をうけ、またバックアップされています。いわゆる本格的量産には不向きとみられるロテーショナルモールディングに積極的な意義を見出し、あるいは日本であれば「こんなところに金型投資するの!?」と驚かれるような部分に金をかけるのがイタリア式経営判断なのです。

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伊藤さんは、「技術の伝承」という表現を使った場合、日本では伝統技術をそのまま世代を継いで維持するというニュアンスで語られがちですが、イタリアでは過去の技術を今の時代にどう生かすか?ということにもっと重点がおかれる傾向があると語ります。 ぼくも同感で、だからこそ、過去の集積が現代に目に見える形で残るのだと思います。

<写真はNAVAのSLYというシリーズです>

2009/4/8

「いや、ほんとうにイタリア人は色々と新しいアイデアを出してきますよね。先日も、今、イタリア料理のシェフでは大人気のカルロ・クラッコの料理教室に招かれたんですよ。建築家としてね。どういうことかというと、キッチンメーカーが自社製品のプロモーションに建築家8人を呼び、そこでクラッコがスタッフも従えて料理を教えるんです。キッチンメーカーはそれで、建築家が製品に馴染みをもってもらえ、図面に入れてくれればと思うわけですが、こんなの初めての経験でした。いや、実際、クラッコも初めて使うキッチンだったので、随分戸惑ってましたけど・・・」と伊藤さんは笑いながら話します。実は、先週木曜日の放談は、これがスタートでした。

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そして、放談の後半で彼はこう言います。「ぼくもイタリアで20年近くやっているから、日本の人から、『伊藤はイタリアかぶれ』という批評のされることがあるんですね。確かに造形はイタリア的かもしれないけど、コンセプトはそうとうに日本的だと思っています」 ぼくが、その割合は7-3くらいですか?と質問すると、「いや、イタリアと日本のポーションは5-5でしょうね。そして、イタリア人は、ぼくのコンセプトにある日本的エッセンスを的確に嗅ぎ取ってくれることが多いのです」と語るのを聞き、ぼくは昨年「ミラノサローネ2008」で書いたことを思い出します。

ぼくはヨーロッパ人は、美術館や展覧会の入り口で言語化された趣旨を読んで理解する習慣が強いことを書きました。一方、日本ではそういった趣旨の書かれた前にあまり人が集まらず、足は直線的に作品に向いがちです。直観的判断を優先するともいえます。さて、伊藤さんの作品の見られ方(あるいは読まれ方)を聞くと、イタリア人が異文化の本質に敏感であるというより、隠しようのない異文化に「気づく」のではないかとぼくは想像します。そこに民族性や国民性の差異はあまり出ないと思います。しかし、「コンセプトは何なのか?」ということを考える訓練の違いが、ここには出ているように思えます。作家本人と同じように5-5と判断することを目指す必要はまったくありませんが、やはりコンセプトを読む(あるいは読みきる)努力をすることは必要だと思います。直感判断のみに留まるのは、一種の思考停止であると思うべきでしょう。

放談も最後にかかります。伊藤さんが数週間前にメールで「今は新たなヒューマニズム構築のときだと思います」と書かれていたことに対する質問です。

大学でバウハウスなどのモダニズムを勉強してきたが、日本文化の根底にある自然主義が身についていた人間にとって、イタリアでアルキミアに出会ったポストモダンで表現される西洋ヒューマニズムのあり方は、揺さぶられるような衝撃だったと言います。生産効率を度外視した詩的世界がそこにはありました。何より、そのエネルギーが凄かったと。そして、モダニズムの旗手であり「自然から形をみつけてくる」マンジャロッティのもとで、いわば正統派ヒューマニズムに接してきた彼が、東洋と西洋の新たな協調を主張しています。

ぼく自身は、西洋のヒューマニズムあるいは人間中心主義への疑問が世の中で盛んに語られていることが実際的に大きな局面をもつのは、エコロジー問題を並行して、アムネスティなどの人権活動と政治経済の折り合いや、表現の自由に宗教的侮蔑は含まれるかどうかが、実際の西欧圏とイスラム圏の衝突事件でどう発展していくか等によると思います。

いずれにせよ、伊藤さんの考えている方向には賛成です。東洋主義は新しいものを生み出しにくく、いわば下方向にベクトルがいきがちなところに弱点を見、新しいことを生む西洋の力と合致することが必要だと語る伊藤さんには、この文脈での全く新しい視点のデザイン(例えば、MADE IN ITALYやMADE IN JAPAN の新しい価値観)を提案されていくことを期待したいと思います。

<写真はRICHARD GINORIのZEN GARDENです>

*この連載でご紹介したデザインは、すべて今月(2009年4月)のミラノサローネで発表される作品です。

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