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高校受験

駅は「未知への入り口」だ。


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中学3年生の夏、どう足掻いても高校受験を意識する頃。私は中学校がとにかく嫌いだったため、学校という施設に飽き飽きしていた。とても高校選びを積極的に出来る精神状態ではなかったが、高校に行く以外の選択肢があるわけでもなかったので、とにかく同じ中学校の生徒が少ない、遠くの高校に行こうと決めた。そんな可哀想な理由で選ばれたのが、私の母校である。

しかし、消極的な理由で選んだ高校に対して、受験のやる気が出るわけもなく、何の対策もしないまま受験当日はやってきた。

のちに私が通うことになる高校の受験問題は少々変わっていた。科目は作文・集団討論・個人面接・内申点で、その総合点で合否が判断された。クラスの中で頭は良かった方なので、内申点は合格ラインに乗っていたが、今よりも人見知りが激しかった当時の私にとって集団討論と個人面接はただの苦行だった。そのため、その2点では平均を割る可能性が高いことを踏まえると、作文で高得点を取る必要があった。

重要な作文に対して、さすがに対策ゼロで受験に向かうのも何か気が引けたので、前日の夜に過去3年間の作文のテーマを高校のサイトから調べた。

昨年は「鍵」で、一昨年は「靴」で、3年前は「木」だった。

あまりにも大雑把なテーマ設定に驚いたが、それと同時に対策なんて無理だと思い、結果すぐに眠った。


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翌日、家の最寄りの駅で列車を待つ間も、列車に乗っている間も、高校まで歩いている間も、当たるはずもないのに、漢字を思い浮かべてはエピソードを考えていた。

あんなに消極的だったくせに、いざ本番が近づくと受験に落ちることに対して恐怖心を抱いていた。刻々と受験時間が近づき、初めての受験に対する緊張感が増していく。着席してからの数分の待ち時間が無限に感じた。

開始の合図と同時に試験用紙をめくると、そこには大きな字でテーマが書かれていた。

「駅」

予想外だった。
しかし、何故か筆は進んだ。

思い返せば、私にとって駅は新世界へ向かうゲートだった。自分の見知らぬ世界へ向かうための第一歩だった。今日も受験という未知の冒険をするために駅へと向かった。

そんなことを思っているうちに、原稿用紙は埋まっていた。


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後日、貼り出された合格発表の紙に、私の受験番号は載っていた。結果は点数として見ることができたのだが、予想通り集団討論も個人面接も散々な結果だった。

そんな私を救ってくれたのは勿論作文だった。受験者の中で最も高い点数だったようで、平均点以下の討論と面接の点数を補えたようだ。

結局高校生活は楽しいものになり、無事志望していた大学へも進学できた。あの時の作文のテーマが「駅」でなければ、今頃私の生活は大きく違ったものになっていただろう。

この文章は帰省する道中、車窓を眺めながら書いた。私を新しい世界へ導いてくれた漢字一字に改めて感謝し、列車に乗りこんだ直後のことである。

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余談だが、私の2つ下の代の作文のテーマは「有言実行ではなく無言実行をするということについて」だったらしい。無言実行という言葉を「何も言わずとも行動に移すこと」という意味に解釈できず、「何も言わず行動にもしないこと」と思い込んだ作文が多発したらしく、やはり母校には漢字一字のテーマが合っているのではと思った。母校の教師の皆様、是非ご検討を。

noteを書くときにいつも飲んでいる紅茶を購入させていただきます。