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嫌いな人と縁を切れる……?難しい問題

ブログ書く主婦のANSYです。
最近酒に弱くなった。もう、むかしみたいにウォッカ飲んで翌日コミケ参加とか、そんな体力ない。
あったら怖い。

今日のお題は、まあ悪縁を切るとか、嫌な人と距離を置くとか、それは可能か?
というお話。

よく「嫌な人とは関わらないのが一番!私は私!」とか「悪縁なんて切ってしまえば、新しい風が吹いてくる!」と、ポジティブな名言がSNSまたは本の中から飛び出して来る。

嫌な人。ムカつく知人。顔も合わせたくないやつ。
いる。私の周囲に最低3人はいるので、多い人はもっといると思う。

あの3人と、ごっそり絶縁できれば、どんなに良いだろうか。
会話しててもなんだかイラつくし、なんでこの人がこの場にいるんだろう?さっさと引っ越せよ、とか思う。常に思う。

しかしそういうタイプは、まあしぶとくいるよね。
「憎まれっ子世にはばかる」って、私しみじみ真実だなと思う。嫌なやつほど世の中にいる。
どこかのオネエタレントも言ってた。「嫌なやつは悪運強いのよ」って。それな!


悪縁が切れるタイプ

悪縁は切れるか?
人と状況による。
例えば嫌な相手との付き合いが、マンツーマンだった場合。
その人とだけ別れればいいだけなので、これは比較的簡単だし、言われるまでもなく、嫌な相手がひとりだけだったら、さっさと疎遠になるものではなかろうか。

あるいは、本人が「やたら孤独に強いタイプ」の場合。
仕事が個人プレーで完結するとか、本人があまり友人を必要としない(あるいは他所ですぐ仲間を作れる特技があるなど)その場合は、嫌な人がいるサークルや職場から、ごっそり身を引けるので、解決は早い。

以上の、やや特殊な状況の場合のみ、悪縁は切れる。

他は、その嫌な人が引っ越すとか、転勤するとか、どうにかなるのを願うしかない。
今「縁切り神社」が大人気だそうで、もう、信仰にたよるほど、キツイ環境になってる人も多い。

でも悪縁は切れないから「悪縁」って言うんじゃないの?

普通に嫌なやつって、職場とか、教室とか、ママ友の中にいるんじゃないの?
親戚付き合いにもいるし、ご近所とか、サークル内にもいるかもしれない。
その関係の中から、嫌なやつ1名抽出して、さようなら!……って、できるの?
不可能だよね。

どうしてもそいつと別れたいのなら、自分から転職するとか、集まりの場から去るとかしないと、ムリでしょう。
でも、転職先にだって、安全性が確保されているとは限らない。新たな悪人が出てきて、更にストレスになるとか、もうあるある!
ママ友になるともっと厳しい。本人だけではなく、子供たちの人間関係にも影響するので、母親だけがママ友たちから離脱するのは、相当難しいのでは。
どんなグループでも、時間をかけて築き上げた友人関係から去るのは、デメリットも大きい。

私の場合、友人内にひとり、血縁者に数人「どうにか別れたい!」というのがいる。
ただ友人関係も複雑なので、あの人キライだから!とか勢いよく言ったところで、最悪私の立場が悪くなる。血縁者は、絶縁できないのが頭痛のタネになっている。

せめてあいつら引っ越せ!関東から去れ!
ぐらい願ってる。
でもそんなことはなさそう。はあ。まったくもって悩ましい。

ネットの話は理想論

繰り返しになってしまうが「嫌な人とは関わらないのが一番!私は私!」とか「悪縁なんて切ってしまえば、新しい風が吹いてくる!」
みたいな、ネットに飛び交う言葉は、理想論であって、現実的ではない。

なんなら「ダメな職場はブラック企業!」として「さっさと転職!」というのもやっぱり解決案としてベストではない。

いわゆる「損を手放そう」である。
今のネットの世界で人気のワードだ。「損をしない」「嫌なこと、もの、人と縁を切ってスマートに生きるのが得策」こんな感じ。

で。それは私に、あなたに、できることなのだろうか?
損を背負わない生き方は(表面上は)楽しそうに見えるだろう。
しかし自己責任という負担も降りかかって来る。転職推進者は、そんなこと絶対に言わない。対人関係切断主義者は、孤独のリスクを語らない。

彼らはただ言わないだけだ。だけどその無言が期待値を上げる。
「身軽な人生って、なんてステキなんだろう!」とキラキラの未来を想像させてはくれる。
その先にあるのは、選択の失敗というオチではなかろうか。

清濁併せての世間ですから

嫌なやつと縁を切るために、集団から自分だけ身を引くのは、可能な人には簡単なのかもしれない。孤独が向く人も、やっぱりいる。否定はしない。
私も似たようなことしたし。
私は集団行動(特に女性だけのグループ)が苦手なので、3人以上の集まりにはほとんど参加しないことにしてる。今のところまあまあそれが可能。
でもそれでもストレスのない人間関係環境か、とも言えない。難しい。

ただ考えれば、人間関係とか、社会って「清濁併せ吞む」みたいなのあるじゃないですか。
清らかなものも、濁ったものも、流れてたどり着くのが自分自身であれば。それはそれで諦めてもいいのでは。あるいは自分の中の負の感情を認める、とかね。

ネットやSNSに出てくる「嫌なやつ(または職場とか)とは縁を切って!」というのは、そういう理想もあるよね、と眺める感じ。
縁切りできれば、要領のいいお利口さんと評価されるかもしれない(ネット上では)。

しかし世の人間の9割は、どうにもならない仕事と人間関係に悩みまくってる。
だから世間に、スピリチュアルとか、自己啓発本がいっぱいあるじゃないですか。
どうにもならない、負の環境と、なんとか心の中で折り合いをつけてすり合わせるしかないんじゃないの。いわゆる普通の生き方なんだと思う。

大丈夫、そんな理不尽と闘っている方が、人間社会で多数派だから!



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