私を壊してくれた、ひと言
日々慌ただしく毎日を送ってはいるけれど、暇になると、たまに過去を振り返ったり、いろいろと思いだしてしまうことがある。
そして「以前の私が、今の私を見たら多分、あまりにも変わりすぎていて、びっくりするだろうな~」と思った。
考え方や目標がものすごく変わったからだ。
以前の私
子供の頃は、本当にまじめだったと思う。
親(主に母)の言うままに、勉強して上を目指すのが当然。
自分の能力が絶対追い付かないと分かっていても必死で努力をしていた、今思うと結構「けなげ」だったのかも。
持っている正義感を曲げられず、何度も仲間外れにもなったし、いじめも受けた。
周囲から「包容力がある」と言われ続け、クラスやクラブ活動でもまとめ役に回ったり、仕方なく引き受けなければならない状況も多かった。
求められると応えたくなる性格なのは変わることなく、大人になって仕事でもその立ち位置は変わらずに。
没頭できる仕事を見つけて以降は、本当にバリバリやっていた。
忙しく働いた時期もあり、典型的な仕事中毒者だった。
そんなに忙しい中でも、ほぼ独学で英語を習得したり、ちょっとのスキマ時間で本をものすごい勢いで毎日読んでいた。なんだか始終必死だった。
当時「Mは、止まると死ぬと思っているマグロみたい」と友人や同僚からよく言われいていた。(苦笑)
出世も収入も可能な限り希望をかなえたいし、とにかく野心的だった。
だから恋愛の相手に求めたのも、当時の自分同様に仕事ができてアグレッシブで、上昇志向の強い野心的な人が多かった。
20代の頃、断り切れず紹介された公務員の男性が数名いたのだが、なぜか皆のんびり穏やかで草食系だった。
そんな彼らとは根本的に合わず、「絶対公務員とは付き合えない」とその時から思っていた。
変わってしまったのは、私?
さて、今の私はどうだろう。
ほんのちょっとだけ在宅で仕事はしているが、基本は専業主婦。
気が付くと一日が終わっていたりと、のんびりぐうたらして暮らしている。
やる気を出せばもっと働いたり、何かできるけれど、やらない。
時々スイッチを入れれば結構動くけれど…という程度。(苦笑)
昔の向上心や野心はどこかへ行ってしまったようだ。
昔は働きアリ、今はキリギリス。
劣化と捉えるべきか、悟ったと思うべきか。
「今日が笑えればいいや~」と、こんなに穏やかに変わったのは、年齢もあると思うが、夫の影響が大きい。
夫の影響
夫は、野心家とかアグレッシブとかには当てはまらず。
穏やかではあるけれど、主張や押しは強く、声はでかい。
そして、実は私があれだけ嫌った公務員だったりする。
上昇志向は一切ない。びっくりするほど。
何度上司に勧められていても、出世の試験は受けないと決めている。
日々決まった業務をこなし、私との日々を楽しむのを大事にしている。
収入は、無理しない程度に私と二人の生活ができて、休暇の旅行費用が出るぐらいで丁度いい、と言っている。
「大金を得ても、あまり良いことはないから。」
そんなことを言うから、もしかして大金を持ったことがあるのかしら?と聞いたら「もちろん、そんな経験はない。」(爆)
元々「石橋は三回たたいても、結局渡らない」タイプだったと思う。
自分自身に課す規律や時間には、うるさくて厳格。五分前行動ができる。
こっちの友人たちとの待ち合わせでは、いつも一番乗り。(なのでいつも私たちが待つ。)
友人として付き合い始めた頃から、当時の私との違いがあまりに多すぎることに気づいた。
これまでのタイプと全く違う。でも惹かれた。
そして、いろんな話をしていくうちに、私の気持ちも変化していった。
目的が「二人で一緒にいること」になったからだ。
私の全力疾走で刹那的な生き方に、「そんなに無理してはダメだ」と初めてブレーキをかけてくれた人だった。
とにかく二人で、毎日笑えればいい。そう思わせてくれた唯一の人だ。
夫への影響
一方の夫も、私によっていろいろと変わったと思う。
ひとつ挙げるなら、食事。
夫は子供のころから大人になっても、食事はかなり偏食だったそうだ。
お米や芋は好きだが、いろんな野菜はあまり好まず、お肉は焼けばOKだが煮たらダメ、食べられる魚は一種類のみ、果物はほぼ苦手…
同棲の報告の際に義母から「(夫の偏食に対して)苦労を掛けるけれど申し訳ない…」と事前に謝られたほどだ。
が、楽しい気持ちの作用かいろいろなものを一緒に試したり、感想なんかを二人で言い合っているうちに、今は普段からほぼ何でも食べるようになった。
日本料理はもちろん、こちらの「これまで夫が食べたがらなかった」現地料理然り。
幸いにも私の手料理は、ほぼ美味しいと言ってくれている。
野菜にも慣れ、ミートソースは既に好物、自分で好んでレストランで魚を注文した時には義弟が驚いた。(あの兄が!?と本気で。)
毎食のデザートに季節の果物を出していたら、今は自ら買ってくるほどに。(これには義母もびっくり。)
ある時「これおいしかったから、食べてみて」と夫が義両親に勧めた時に、義父が思わず「まさかお前から(食べ物を)勧められるとは!」と驚いたほどだ。(…どんだけだったのか。笑)
これは私の料理の腕ではなく、私という「異文化との衝突」によって、今までの彼の価値観が変わったからだと思う。
食わず嫌いだったものも、受け入れるようになったのは大きい変化だ。
それは食べ物だけに限らず、いろんなものを、根本的に常識が違う私たちが二人で乗り越えてすり合わせてきた結果だと思っている。
私の価値観が壊れた瞬間
夫(当時は遠距離中の彼氏)が初めて日本に来てくれた時、言われたことがある。
多分、銀座かどこかの道を二人で歩いていた時だと思う。
当時の私は、一応完全休暇中。
そんなデート中でも、携帯に入る仕事の電話に追われていた。
ごめんね、と謝りながら電話を受けて指示をして、また彼に戻る。
彼はそんな私を見ても、嫌な顔せずに優しく手を握ってくれた。そして、
「お金はあってもなくてもいいけど、笑ってないとだめだと思うんだ。」
と言われた。
彼と会う以前の私なら「何言ってるの?あんたそれほど稼いでたっけ?」と半笑いしたかもしれない。(なんだか自分でもやな女だ。苦笑)
でもその時、不思議に彼の言葉がすとんと腑に落ちた。素直に沁みた。
何より、私の中の今まであった何かの価値観が、その時壊れた。
「そうだね、笑ってないとだめだよね。」と素っ気なく答えた覚えがある。
でもあの時の私の心には、かなりのインパクトがあった。彼のその言葉は、みぞおち辺りにぐいっと感じたのを覚えている。
多分その夜ぐらいに、彼から「贅沢できないけど、僕の稼ぎで二人で暮らしてみないか?」と言われたのだった。
そして彼と再び別れる空港で「一年後に仕事を辞めるから、あなたの国でとりあえず3カ月間だけ、まずは一緒に暮らしてみようと思う。」と私は返事をしたのだった。
その後は、思い出したくもない1年間の必死の引継ぎ準備(一部署業務を分割して他部署へ引き継ぐので大変だった…)を終えてすぐ、ほぼ灰になった状態で彼の国へ渡航。
同棲の3カ月後には手続きの準備を始め、結婚までしてしまった。
当初は結婚ではなく、こちらにある「法的パートナー」という手続きも考えたが、結局私たち二人は「結婚」という手続きを選んだ。
それからもう10余年。あっという間のような…でも、それでもいろいろあったけれど。
今も日々、二人で異文化を衝突させながら、大笑いしている。
笑える毎日で、本当に良かった。
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