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信州をめぐる冒険 2日目その1

 2020.10.28 Wed.
 2日目――碓氷峠(前編)

旅の予定

0700 草津温泉   → (JRバス) →0725 長野原草津口駅
0748 長野原草津口駅→ (吾妻線) →0911 高崎駅
0923 高崎駅    → (信越本線)→0957 横川駅
   横川駅    → (旧中山道)→1700 軽井沢
(一泊)

横川へ

 旅人の朝は早い。7時00分発のバスに乗らなければならないので、6時台にチェックアウトした。まさかそんな時間にチェックアウトするなんて向こうも思わなかったろうな。いくら素泊まりとはいえ。
 朝ごはんは、前日にコンビニで買ったコーヒーとワッフル。どこかで食べる予定で計画を立て始めたけど、朝早くから開いているところが道中のどこにもない。ていうかどっちにしろ乗り換えの時間が10分とか20分だからどこかで食べてる場合じゃねぇ。どこかで(例えば高崎駅で)食べて一本遅らせると次の列車は1時間後になってしまう。大幅なタイムロスだ。それは避けたい。ということで前日に買っておくことにした。そしてその選択が正解だと後に知る。
 ホテルを出てから、静かな朝の町を行く。寒い。とても。緯度が高いだけじゃなくて、標高も高いのでなおさら寒い。東京とは違う。もっと温かい格好で来ればよかったと後悔し始めるが、どうせ昼間はそれなりの気温になるだろうから、これでいいのだ。でも寒い。あほか。
 そしてバス停に着く。朝7時のバスにも何人か乗っていて、少し安心する。でもって寒い。バスの座席に座ってからお腹が痛くなる。本当はその少し前からだが。時計を見たら出発まであと十数分ある。トイレに行こうか。さっきバスターミナル内で行っておけばよかった。などと考えている間にあと10分。トイレに行っている間に、荷物だけ乗せてバスが出発してしまったらどうしよう。駅まで耐えられなくはないし、バスターミナル寒そうだし。ガシャンと、バスの荷物室が閉じられる音。老夫婦が乗り込んでくる。寒い。お腹痛い。「本日も、JRバス関東をご利用いただきまして。ありがとうございます。このバスは7時ちょうど発、長野原草津口駅行き」みたいなことをアナウンスし始める。もういいや。駅まで我慢しろ。
 ということで、定刻通り、バスは出発して、駅につく。

0700 草津温泉   → (JRバス) →0725 長野原草津口駅

 とりあえずトイレに行く。事なきを得る。
 次の列車まで23分ある。余裕だ。まさかこんなにお腹痛くなるとは。それはともかく、改札を抜ける。この駅はicカードが使える。味気ないけど、帰りのきっぷ残していてもなんだかなという感じでもある。少し日の出てきたホームに到着する。とりあえずホームの端まで歩く。寒いし、せっかくだから端まで行ってホームの長さを確かめたいし、そこから見える景色を見たい。

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 そこから見えたのは、ほら、右に見えるでしょう? ニールセンローゼ橋が。

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 斜めにワイヤーを張っているローゼ橋がニールセンローゼ橋だ。簡単に言うと。かっこいい。もっと近くで見たい。でも時間ない。またゆっくりと、吾妻線を堪能しよう。全駅降りようか。八ッ場ダムをじっくりと見て、橋をじっくりと見て、滝とかも見て、有意義な小旅行をしようと思った。それにはレンタカーがいいか、やはり鉄道で来るべきか。悩ましい。来月あたりに時間を見繕って行こうか、などと考えた。

0748 長野原草津口駅→ (吾妻線) →0911 高崎駅

 やがて列車はやってくる。田舎だと侮るなかれ、朝早くても結構賑わっている。高校生たちがいて、電車通学、いいよな憧れるよなと思いながら列車は走る。吾妻川の近くを。本当は、矢倉駅で降りて、「矢倉は純文学」とかいって写真をツイッターに上げたりしたかったけどもちろんそんな時間はない。小野上駅のホームから石がいっぱいあるのが見えて、あれが線路の敷石に使われているのかぁとか、祖母島駅、なんもねぇ、降りてぇとか思ったりした。吾妻線を終えると渋川駅から新前橋駅を通って高崎駅へと到着する。また乗り換えるだけの高崎。この駅に来るたびに、富岡製糸場へ来いという圧を感じる。そのうち上信電鉄に乗って行くね。渋い駅がいっぱいあるんだ。群馬県はやはり最高の県の一つか?

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 0番線キタ。俺歓喜。0番線っていいよね。長崎にも京都にも松本にもあるけど。しかも乗り場カオスすね。なんで両毛線、2番線の次は6番線からなの。両方普通なのに。でも赤字なのはなにか意味があるのかしら。よくみたら2番線は全部赤字だ。ほう。それで? それはともかく混乱するな、これ。油断していると乗り遅れる。そして、上信電鉄はローカル私鉄だからしかたないとして、八高線だけ普通しか選択肢がないのが面白い。いまだに高麗川までは非電化だものな。そのままでいてほしいですね。関東では珍しい。

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 しかも八高線だけ、3番線固定だし。

 しかし今回乗るのは信越本線。

0923 高崎駅    → (信越本線)→0957 横川駅

 乗り換え12分。でもそんなに迷わなかった。迷いようもないけど。東京駅の総武線(快速)じゃあるまいし。ホームに着くと、すぐに電車はやってきて、折り返し運転をするようだ。行先表示がくるくると変わっていく。そのさまを眺めていた。それぞれの行き先に思い出があるのだ。みんな。僕なんかは大学に行くとき、いつも野洲行とか東西線経由四條畷行とかに乗っていたものな。やはり、横川行にも、大前行にも、新前橋行にも、高崎行にも、万座・鹿沢口行にもそれぞれ誰かの思い出があるんだろう。懐かしのあの行き先を見て昔を思い出すこともある。電車なんて鉄の塊なのに。温かみがあるのだ。無機質なのに。優しさがあるのだ。素敵だなぁ。
 少しずつ気温も高くなってきて、お腹も痛くないし、体調は万全。行くぞ。GO! GO!

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 信越本線に乗るのは初めてで、路線図を眺めていたのが旅のきっかけだった。軽井沢から先、群馬側につなげたらいいのにと。そして考える。こういうパターンは前もあった。そういう路線は、だいたい昔は走っていて今は廃止になったパターンだ。路線図を見ていると各地でそういうものが見つかる。そして案の定、ここも昔は走っていた。かなりの急勾配を、アプト式を使って。1997年に長野新幹線が開通してから廃止になって、軽井沢から西もしなの鉄道に移管された。新幹線が通って第三セクターになってしまう路線は各地にあるが、第三セクターになっても頑張って走ってくれているのは嬉しい。応援している。
 この横川ー軽井沢間の廃線を利用して、廃線跡を歩こうというイベントがあって、それに参加するために今回の計画を立てた。そのイベントが次の日なので、その前の日に軽井沢に着かないといけない。どうしようか。横川からバスが軽井沢まで出ている。なるほど。そして調べていっているうちに、そのあたりが旧中山道の碓氷峠だということを知る。ふむふむ。昔の人はここを歩いていっていたんだな。じゃあ歩こう。となる。そのために朝早くにチェックアウトする必要があったんですね。

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アプトの道を往く

 ということで、旧中山道を歩く。旅の基本は歩き。歩くの好きだし、行けるでしょう。前から山も登りたかったし。
 横川駅の隣に、碓氷峠鉄道文化むらというのがあって、ここは子供から大人まで一日中楽しめると、いつか行きたい場所だ。その文化むら内をトロッコが走っていて、昔の線路を再利用している。このトロッコは峠の湯という温泉施設までつながっている。その線路の横は遊歩道になっていて、アプトの道と名付けられ歩くことができるようになっている。こっちは施設の利用料はいらないので誰でも歩くことができる。

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 この道は旧熊ノ平駅まで続いている。ここを歩いて行くだけでも半日楽しめるスポットとなっている。今回はめがね橋までしか行かないけれど。
 図を見たらわかるけど、途中いくつかトンネルがある。ここも通ることができる。
 天気は快晴。この道を歩き始める前に、まずは碓氷の関所跡に向かった。

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 この写真の少し手前あたりに門があって、向こうの、車が停まっているあたりかもう少し向こうにも門があった。その門を今は上に再現として置いている。昔はここに、この石垣の上に役人がいて、通行人はここで手形を見せて通っていたことが偲ばれる。跡地として地形が(その当時からそのままなのかは知らないが)残っているのは感動がある。碓氷の関所は江戸時代、三大関所の一つに数えられるような重要な関所だ。今は関所跡として小さな資料館があるだけだが。そこのおじさんに、パンフレットを貰った。どこまで行くのか尋ねられて、説明すると、丁寧に道を教えてくれてた。予め調べていたけど、確認のためもあった。ちゃんと調べてわかっているなら大丈夫やねと言ってくれた。中山道も、山道で坂もあるけど、道はちゃんとしているから大丈夫だよと教えてくれた。また時間があったらゆっくり来ます。ありがとう。

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 再びアプトの道に戻る。左の架線のあるところがトロッコの線路だ。こんな道がずっと続く。しばらく続く。

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 途中に斜張橋の下を通る。これが斜張橋だ。たぶん斜張橋だ。
 少し行くと、今度は丸山変電所跡に着く。

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 ゆっくり見る時間はなかった。片方は蓄電池室で、坂を登るのに電力がいるからそのために使われたようだ。このレンガ造りの建物が変電所というのも時代を感じる。丈夫で頑丈そうで力強い。車窓から見たかったものである。
 時間はないのでどんどん先へ進んで、峠の湯のところで、線路跡の遊歩道は終わる。峠の湯に寄って中を覗いてみる。お土産が売っていた。買わないけど。そしてレストランが併設されていた、けど開いていない。昼ごはんどうしようかな。まあいいや。ということでトイレだけ済まして道に戻る。そこから先はトンネルが待っている。

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 レンガ造りのトンネルがきれいに遺されている。日常でトンネルなんて歩かないから不思議な気分。中も明かりがついていて、道も整備されていて歩きやすい。涼しい。寒いぐらいだった。
 次に見えてくるのは碓氷湖。

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 かすかに見えるのが碓氷湖。近くで見たいけど例によって時間はない。
 そしていくつかトンネルを抜けてようやく到着するのが、めがね橋だ。ここは下に降りられる。下には道路が走っていて車で訪れることもできる。

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 ご立派! よくこんな山の中にこんな物作ったなと思わずにはいられない。明治26年(1893年)にできたらしい。

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 橋の上からは昔の線路も見える。向こうの線路は昭和38年(1963年)にできた。それまではこっちのめがね橋の方を利用して鉄道は走っていたのだ。今は向こうの線路も使われなくなったけれど。こっちの線路は70年間も利用されていた。使われなくなってからも半世紀以上が経っている。これからも何百年と遺し続けてほしいものです。貴重なレンガ造りの橋。今の技術で橋を作ろうとなってもレンガでは作らないものな。
 また例によって時間はあまりないので、ゆっくり堪能できず、戻る。トンネルをまたいくつか戻って、たどり着く。

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 この看板のドライブインに寄る。昼飯だ。峠の湯で食べられなかったので、ここしかないと来る途中で思った。大正解だった。食べたのは、のぼりも出ているソースカツ丼。そして自分用に力餅をおみやげに買う。ついでに熊よけの鈴も買う。たぶんこの季節なら熊に出会うことはないけれど。せっかくなのでつけていくことにした。

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 値段は忘れた。美味しかったです。山登るのに元気をもらった。

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 これが力餅(のパッケージ)と鈴。食べたのはホテルでだけど。赤福の小さい版みたいな感じ。これは峠を超えるのに元気が出るなぁ確かに。昔は本当に峠越えの力餅ということで作られていたのだ。ここに限った話ではなく。そしてこのお店は、旧熊ノ平駅で営業をしていて、駅で売っていたそうだ。ホームで。峠駅の峠の力餅が有名だけど、あれと同じ光景がこの駅でも行われていたのだ。しかし、駅は利用されなくなってしまう。そこで、現在のドライブインに形を変えて営業をしているのだそう。ほへぇ。旧中山道、碓氷峠に行く人はぜひ訪れてほしい。

 腹ごしらえをしたあとは、中山道とかいてある国道18号を少し歩いて、旧中山道と書いてある(地図を拡大するとわかります)細いところへ行く。

(その2へ続く)


もっと本が読みたい。