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i (西加奈子)読んだ。

 西加奈子さんの小説を読むのは初めてだった。良い小説だった。

 この小説には普段僕がよく思うことが書かれてあった。
 例えば、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだとき、東北で地震が起きたとき、主人公は巻き込まれはしなかった。そして、「生き残ってしまった」「なんで私じゃないの」と感じてしまう。
 シリアで生まれてアメリカ人の父と日本人の母に養子として引き取られ、自分の代わりに引き取られなかった子供がいて、その子供はひどい戦争に巻き込まれているのかもしれない。そして自分は恵まれた環境に身をおいている。そこに主人公は罪悪感を抱く。
 よくわかる。

 僕もよく思った。神戸の地震でなぜ死ねなかったんだろう。東北のときもそうだった。また死ねなかった。また生き延びてしまった。
 世界は残酷で理不尽だから、僕のような死ぬべき人間が生き延びて生きるべき人間が死んでしまう。なんで俺じゃないんだ、と運命を呪った。

 でも、そんなことはきっと関係なく人は死ぬ。みんな平等に死ぬ。どうあがいても。それが少し早いか遅いか。人間の一生なんて宇宙の歴史からしたら一瞬だ。残念ながら。だから嘆かなくてもみんな死ぬ。新型コロナウイルスで人類が滅びなくてもいずれ滅ぶ。何万年後か何億年後か知らないけれど。

 それは明日かもしれない。この文章を書いている途中で脳梗塞で死ぬかもしれない。明日事故で死ぬかもしれない。そんなことを悩んでもどうしようもない。

 自分がそっち側の人間になる可能性があったことが主人公を苦しめた。養子としてもらわれなければ、今頃シリアでぜんぜん違う人生を送っていたかもしれない。そうだったら今の幸福は訪れていなかった。代わりの誰かの幸福を奪ってしまった。それなのに、その幸福の中にいるのに、こうして嘆いている。それがまた罪悪感を生む。

 それはしかたのないことだ。人間というのはそういう風にできている。同じ境遇でもそんなふうに感じない人もいる。作中でもそう言及されている。わかってはいるけれどどうしたらいいんだという人間の感情がここには描かれていた。

 恵まれた環境にいるのに、苦しい、悩みは尽きない、というのは永遠のテーマというか昔から書かれて続けてる普遍的な命題だと思う。例えば太宰治も、地主の家に生まれ、不自由なく育ったはずだ。少なくとも金がなくて学校に通えないという子供とは違う。でも悩みに悩んで、悩んでいる小説を書いた。そして彼の作品は、これは私のことを書いた小説だと支持されてしまう。人それぞれ、状況境遇はそれぞれで、それぞれに思い悩むことはある。それでいいんだよ、それが君なんだ。というのがこの小説の行き着くところなんだろう。そんな事は頭の片隅でわかっているけれど、わかったつもりになっているけれど、それが大人をやるっていうことだと思っていたけれど、こうして肯定してくれることは救われる。この小説だけじゃなくて、他の小説でももちろんそうだし、それが小説じゃなくて身近な誰かかもしれない。主人公にとってはそれは親友だった。抱きしめてくれて、人間の体温を知って、美しいラストシーンに誰もが心を打たれる。そうだろう。その通りだろう。じゃあ、自分は抱きしめる側になるのか、抱きしめられる側になるのか、お互いにそうなれる関係の誰かは存在するのか。
 もちろん存在はしない。残念ながらそれが現実である。
 そんなに世界は優しくないし、戦場の子どもたちも同じように世界に失望する。そう思える、そう知ることができることは、やはり僕は恵まれているのだろう。そしてそれがいいとか悪いとかではない。救いは小説の中にしかないから僕は小説を読むのだろうか。……それもあるだろう。そういう生き様なだけだ。
 そして本当は存在したのだ。実際に抱きしめてくれなくても。あの人と出会えたからまだ僕は生きているしこの小説を読むことができた。

 ところで、僕は自分の血が滅びればいいと思っているタイプの人間なので、主人公の子供がほしい感情が全然わからなかった。もちろん主人公は養子で、家族の写真の樹に自分だけ血がつながっていないことがどこか後ろめたくて、血のつながった自分の子供を得ることで安心感や、自分がこの世界に生まれた意味を見い出せる、といったことはわかる。しかし現実の残酷さを知って、生きることの苦しみも知っているので、そんな自分の子供なら同じように苦悩させるかもしれない。なぜ産んだと不届千万なあの啖呵をきっとはくだろう。若者に優しくない現代日本で悲しみを増やすだけだ、という知ったふうな感情もある。でもきっとそれはどっちの感情も愛なんだろうと思った。i なんだろうと思った。

 文庫版付録の対談でも書いているけど、世界のどこかで起こっている残酷な現実について人々は目をそらしがちだし、もっと話すべきだ。僕はこの瞬間にもどこかで誰かが虐殺されたりしているかもしれないことに、また自分じゃなかったと思う瞬間がある。でもそれは思うだけ。誰ともそんな話はしない。みんな思っているかもしれない。誰もそんな事を考えていないかもしれない。世界の状況の報道が少なくても、戦争は現実に起こっているし、この瞬間も時間は止まることなく悲しみは続く。21世紀の文明人である我々はグーグル先生に聞けば大抵のことを教えてもらうことができる。ちょっと調べたらもしかしたらわかることかもしれないのに、それをしないのは怠惰だ、とは思わない。みんな怖いから。でもほんのちょっと勇気を出して調べてみたらいい。そして人々と会話をする。それが大きな行動につながって世界を変える、なんてことはないかもしれない。でも自分は変わるかも? 一人で悩んでいたものが、抱きしめてくる大親友がそこにいるかもしれない。

 やっぱりそういうものに、私はなれない。

 だから本を読む。みんなもこの小説を読んで考えたらいい。話し合えなくても。この小説に描かれた感情がこの世界に存在すると知ればいい。

 僕はそう思う。いい小説だった。

 この曲はこの小説のテーマ曲だと今勝手に決めた。

 終

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