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信州をめぐる冒険 3日目

 2020.10.29 Thu.
 3日目――廃線ウォーク

旅の予定

0845 軽井沢駅 集合   
0930 軽井沢駅   → (廃線)  →1200 旧熊ノ平駅
1300 旧熊ノ平駅  → (廃線)  →1500 峠の湯
1720 横川駅    → (JRバス) →1754 軽井沢駅
(一泊)

 まず、最初に書いておきたいのは、2日目の途中でボールペンを落としたことを書き忘れていたということ。碓氷峠のどこかに3色のジェットストリームが落ちていたら僕のです。誰か拾ってあげてください。

廃線を歩く

 さて、3日目は廃線ウォークです。

 この日は朝、8時45分に軽井沢駅に集合なので、比較的朝は時間があった。ゆっくり寝れた。昨日の疲れも取れた……気がするだけでそうでもない。少しはましになったけれど。
 軽井沢駅に集合して少し東へ移動。
 そこで受付が始まる。ヘルメットとライトのレンタルとともに。主催者側の簡単な挨拶のあと、ラジオ体操をした。さて、出発だ。この日の参加者は40人ほどだった。

0924 出発

 現在の新幹線の線路の横に、遺された線路から。撤去されないで遺されているのだ。20年前はここを電車が走っていたんだよな。

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 線路の上を、歩くなんて初めてだ。たぶん。そしていきなりトンネルが待っている。

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 トンネルの入口近くにはこいつが。66.7‰という勾配を示している(下り)。ここにあるのはレプリカらしいが、66.7という数字はやはりすごい。
 ドキドキしながらトンネル内へ。
 トンネル内は電気は通っていないので、もちろん暗い。ライトを点けて歩く。上の架線やなんやらがあらかたなくなっている。これは盗られたものらしい。電車の架線に使われる銅線は高く売れるそうだ。なんていうことをガイドのお兄さんが解説してくれながら進む。

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 県境もトンネル内に書いてあった。また、信州から出てしまった。
 肌寒いトンネルを歩いていく。山道とは大違いだぜ。敷石とか枕木があるから歩きやすいというわけではないにせよ、道に迷うこともないし、急に坂道があるわけでもない。そういう意味では歩きやすい。

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 トンネルの壁にはこうやって数字がある。これは厚さを示しているそうだ。ここなら60cm。

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 入り口にはこんな表記も。1962年10月。58年前。この表記は何年先まで残り続けるだろうか。

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 またしてもトンネルを抜けてゆく。すぐ次のトンネルが見える。ここで煙を外に逃がす役割もあるんですね。と思ったが、トンネルは1962年製。とっくの昔に電化されていた。このトンネルができる以前は旧線があってアプト式が走っていたのだ。時代は移り変わっていく。アプト式じゃなくても、電気機関車で後ろから押すことで登ることができるように技術は進歩した。そしてかつてのラックレールは取り外された。寂しいね。またしても時代の流れを感じ取ってしまうよね。
 ここのトンネルとトンネルの間からは、こんな景色が見える。

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 奥の、白いの、全部ゴミです。不法投棄の山。上の道路から捨てられているのだ。不法投棄の名所か何かかな。道路や車を手に入れたから、人類は古いものを捨てる場所を生み出してしまった。人間のエゴだよ。そういえば、トンネル内にも、古い空き缶とかが捨ててあった。電車の窓から投げ捨てたのか。うおお、懐かしいデザイン、と我々はなるけれど、それだけではいけない。自然を守らない、人類の傲慢を感じる。そんなこと言ったら、鉄道もトンネルも山を貫いて走っている。だからこそ見られる景色があって今こうやって線路の上を歩いているのだ。そういうジレンマはつきまとう。だからといって人類に嫌気が差して、文明を捨てて生きることももはやできない。少なくとも今の僕には。
 またトンネルに戻る。

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 見通し不良。列車確認。これは保線とかトンネルの整備の作業員に対して書かれていて、次の列車がいつ来るか確認してから行動してねという注意喚起だ。

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 長いトンネルは途中に横穴があって、そこから外に出る。

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 なんだか石がゴロゴロしていました。鉄道会社の設備的な物があるのかと思ったらそんなものは何もなかった。どこかから山に迷い込んで、トンネルを見つけて入ったら横穴で、いきなり電車が目の前を通過するなんてことに遭遇することはなかったのだろうか。入り口にJRとか国鉄とか書いていないし、いきなりこれに出くわしたら興味本位で入ってしまうかもしれない。利用されていた当時は案内とか柵とかがあったのだろうか。入り口のところの柵の跡みたいなのが立っているし。

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 トンネル内には、横穴まで10メートルの表記。ずっとトンネルで作業していたら暗い気持ちになるから、明るい外に出て休憩も大事。
 トンネルを抜けた先の次の景色はまた違うものだった。

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 昨年の台風19号の被害らしい。枕木がむき出しになってしまっている。敷石や土砂が流されて。

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 古いトンネルも見える。埋められているけど。

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 古いアーチの上を旧線は走っていたのかな。そしてこの下は昔道路だったらしい。道路もまた形を変える。

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 下り線の方は、トンネル内のものが流されてしまっている。廃線になってしまっているから、復旧するのが大変である。管理は鉄道会社じゃないのだから。廃線ウォーク主催の安中市観光機構さんも大変である。でも、大変だと実感することは、鉄道会社がいかにすごいかをわかることにもなる。普段何気なく乗っている鉄道は、きちんと整備されているのだ。見えないところで。台風の被害などで一時運休になっても復旧してまた走れるようになる路線は多い。そのありがたみに感謝。

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 次のトンネルではこんなものを紹介していただいた。
 2層になっているけど、これは、右側(外側)を後で付け足したらしい。左側を最初に作っていたけれど、落石が多いことが判明して、付け足した。
 その証拠に、落石多いの案内もある。

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「落石おおい」10m延長したらしい。

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 お次は信号機。これは以前、廃線ウォークに参加した人が協力して使えるようにしたものらしい。眠っていたものが再び動き出した。撤去しないで遺っていたからこそ、という感じだ。

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 このトンネルと抜けると、旧熊ノ平駅。金網には、

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 立入禁止の案内。廃線ウォークでしか歩けないところを今まで歩いてきたのだ。貴重な体験すぎる。

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 そして旧熊ノ平駅。ここで昼食。

1145 旧熊ノ平駅

熊ノ平

 昼食は、峠の釜めし。名物である。初めて食べる。

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 とても美味しかったです。どれも味付けがしっかりしていて、ご飯との一体感も抜群。がっつり肉、とかじゃないところもよい。群馬の山の味。

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 天気もとても良い。青い空。ポカポカ。山の中の駅で食べる駅弁。都会の音も聞こえない。電車の音も。秋の陽気の中、美味しいお昼ごはんでした。

 そういえば、廃線を歩いている途中で、スタンド・バイ・ミーみたいだから、ということで、地元のミュージシャンによるスタンド・バイ・ミーをスピーカーから流してくれた。なるほど。スタンド・バイ・ミー、実は観たことないんだよね。

 出発まで時間があるので、周辺を散策した。
 熊ノ平ギャラリー。

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 昔ここでは雨による山崩れで多くの人が亡くなるという出来事があった。助けに来た人もまた、巻き込まれたそうだ。その当時、鉄道関係者がこの近くに住んでいたらしい。今では見る影もないが。そして、この駅は、前日に食べた玉屋ドライブインの、峠の力餅が売られていた場所だ。餅屋の家屋も近くにあったのだろうか。
 また、ここは列車の行き違いのために、ツッコミ線が用意されていた。長い列車は、頭をツッコミ用のトンネルに突っ込んで、通過列車を待った。そのためのトンネルを作っていたというのも興味深い。山の中だからそういう構造になってしまったのだろうな。もう一本、線路作って複線にするのも困難だったのかもしれない。
 あと、アプト式開通の碑は、線路で補強されている。

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午後

 1245 旧熊ノ平駅 出発

 まず、最初のトンネルで、昔のニュース映像とか、を見せていただいた。上映会をトンネルの中でするなんて、トンネルができた当時は誰も思わなかった。トンネルの中は暗いから、上映するにはうってつけなのだ。

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 スタッフのお兄さんが準備をしている。貴重な映像をありがとうございました。
 そしてまたトンネルを歩いていく。長いトンネルを。もう歩き慣れたもんだ。

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 次に見えたのは、向こうの下り線。そしてその向こうに、前日に訪れためがね橋がある。この位置からは見にくいけど。下り線を歩いたらきれいに見えるだろう。

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 トンネルは真っ暗。先は見えない。人生のように。

 1975年。最後のトンネル。ここで事故は起こった。

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 その跡を保存するよう願うプレート。

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 トンネルの壁に残る列車の跡。電気機関車の、EF63の青い色。
 その日の早朝、軽井沢から横川へ向かう、回送の電気機関車4両は、120km/h超のスピードで下り坂を駆け抜けて行った。本来は坂道なのでブレーキを掛けながら、スピードが出すぎないようにして走行するものなのに、普段より100km/hぐらい超えたスピードで走って行った。ブレーキが壊れていたとか。そして最後の最後、曲がりきれずに、遠心力でトンネルの壁に激突し、体を擦り付けながら走って行った。トンネルを抜けたところで線路から完全に外れ、線路脇に投げ出されて列車は停まった。幸い、死人も重傷者もいなかった。大きな事故だ。忘れてはならない。しかし、この事故にはいろんな噂があるらしく、早く帰りたかったから飛ばしていただけだとか、ストに抗議するためだとかなんだとか政治的な背景があるとか。真相が何であれ、大変な事故のはずなのに、軽いけが程度ですんでよかった、と同時に、車両の堅牢性を示すことになった。

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 トンネルを抜けた先。木が生い茂っている。この左側に列車は落ちたらしい。このあたりは、草も木も伸び放題で、歩けるように、きれいにするのが大変だと語っていた。線路の、枕木と枕木の間には切り株があったりする。20年もあれば、木はどんどん伸びる。草を刈って木を切って、今の姿になった。ありがとうございます。おかげで貴重な体験ができた。
 あとはこのまま峠の湯まで歩いていく。所々で、切り株につまづきそうになる。相当生い茂っていたんだろうな。
 長い廃線の旅もここで終わり。電車だとたいした時間じゃなくても、歩くとなるとやはり時間はかかる。鉄道の凄さも実感できる。
 碓氷峠は、群馬県側に降った雨は太平洋へ、長野県側に降った雨は日本海へ流れていくといわれている。当時、列車に乗った人々は、横川で降られた雨と軽井沢で降られた雨の違いを感じたりしただろうか。列車も雨に打たれて、車体を流れていった雨が2つの違う海に別れていく運命だと、そんなことお構いなしに峠を超える。着いた先は違う土地なのだ。それを結ぶのが線路の、列車の役目なのだ。役目を終えて静かに眠っていた間もそこに線路は横たわっていて、通り過ぎた人々のこと思う。流れた時代、降ってきた雨はどの海から来てどの海へ注ぐ。あの時代の雨が、また戻ってきて、反対の海へ旅をする。旅人は再びこの土地を訪れて、再び去っていく。碓氷峠は古から人々の往来を観てきたのだ。合戦も、明治天皇の御巡幸も、アプト式も、そして新幹線も。長野や新潟から東京へ物資を運ぶ際に、難所だった碓氷峠をアプト式を採用して開通させて、流通は大きく変わっただろう。時代は変わって、国道ができても、人々を運ぶ役割は変わらず、新幹線が走っても、人々は道を歩く。道は途切れない。これからも続いていく。

 1430 峠の湯 →(徒歩) →    横川駅
 1515 横川駅 →(JRバス)→ 1549 軽井沢駅

  予定より一つ早いバスに乗れたので、これで軽井沢駅に帰る。国道18号を通って。

今回は、軽井沢からの上り線を歩いたけど、今度は横川からの下り線を、機会があったら歩きたい。また違う景色が待っているだろう。

再び軽井沢の夜

 とにかく足が痛い。のは、バスに乗って少し足を曲げて同じ体勢でいたからだ。これは、去年、越後湯沢に行ったときも体験した。とても痛い。ふくらはぎ、というかスネの方が痛い。歩くだけで痛い。疲れた足に、変な体勢で血行がおかしなことになっているのだ。ホテルの近くでボルタレンを買う。ホテルに帰ってとりあえず貼ってみる。
 しばらくして、町へ繰り出す。といっても、駅前に何があるわけではない。少し離れれば色々あるだろうが、夕暮れ時に、しかも疲れているのに観光なんてできない。となれば、書店に行くしかない。
 旅先で見知らぬ書店で、見知らぬブックカバーを手に入れるのだ。

 調べたところ、少し歩いたところに軽井沢書店というのがある。ていうかそこしかない。なんだこの町。人が住むのに向いていないというのが率直な感想だ。そして本を買う。(ブックカバーは気が向いたら上げる)
 また、駅の方に戻って、今夜の食事を探す。軽く食べて、早く寝るべきだと思った。がっつり食べたい気分ではない。ということで今晩はこれだ。

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 信州ハーブ鶏のソテー(1848円)
 よなよなエール(770円)

 鶏肉。すごく美味しかった。久しぶりに鶏肉を食べた気がする。なにより、りんごを使ったソースが絶妙だった。よなよなエールも久しぶりに飲んだ。柑橘の香り。好き。大満足の夕食だった。ごちそうさまでした

ルート

 行ったところ(廃線ウォークのルートは下のを参照)

 午前中

 午後

 4日目に続く。
(そろそろ信州内をめぐるぞ)

もっと本が読みたい。