充電不足のイヤホンが左耳しか聞こえていなくても、平気で居られるほど穏やかでは無い日々。 ひとりの夜を越えられない なんて何年前に、何回、何人に歌われたんだろうみたいな大衆的なことばかり思っている。YouTubeで検索しても、わたしが聴きたい【夜を越えて】は全然上の方に出てこなくて、それがまた愛おしい。泣きたい心もいつか灰になるまで。 恋とか愛とか、そういう歌じゃないはずなのに、聴きたくなるのはどうしてかな。沢山助けられた思い出があるからだろうか。 ひとりじゃないって、だれかと
デュロキセチン30mgがよく効いているようで、なんでも出来る気がしている。20mgではあまり感じなかったけど、増量した瞬間顕著だ。最寄りの3駅前で降りて汗だくになりながら家まで歩いたり、今日は3時間しか寝ていないのにもかかわらず渋谷五反田間の4キロを1時間半かけて歩いた。 あれを飲み始めてから凪の状態がない。躁か、躁か、躁か、躁か、鬱。躁を抑えるためにデパケンも出されたけど、鬱に傾くのが怖くてまだ飲めていない。 素面でいるのが怖いから、今のわたしには躁くらいがちょうどいいのか
締めたいピアスのキャッチ。回すタイプで、私はロングネイルだから上手く嵌らなくて鏡の前にあぐらをかく。10分、20分、30分と時計をちらちら見つつ、指からピアスがこぼれ落ちるたびため息をついた。 ふと振り返れば、部屋が汚くて頭がぐらついた。もう慣れすぎてしまって、何が正しいのかわからない。きれいな状態がわからない。ペットボトル踏んで転んだことも、アクセサリー踏んで足の裏に穴が空いたこともあるのに。着飾って可愛く外に出ることは出来るのに、内ではちゃんとする、ができない。 今日
幸せなことがあるたび、自分の人生にそんな美しいことがあっていいのかと不安になる。自分のことを、幸せになってはいけない人間ではないかとずっと思っている。 10月に予約したファーストタトゥーも、決して人目に晒したり誰かに見せたい訳ではなくて、自分のからだに業を刻んで、それを自分で確認してはこれがあるから生きていられるのだと安心したかったからだった。 この気持ちを、もしあなたが理解できないのであれば、それは満たされていて健康であることの何よりの証明だと思う。
きみに出会う為、生まれてきました そう思える男の子なんです
遊ぶたびにプリクラを撮らなくなる年齢が来るなんてあの頃にわかには信じ難かったのに、今ではそれが当たり前になったことを、わたしはいまだに信じられずにいる。 福井駅前のバスロータリーのベンチに座ってバスを待つでもなくぼうっとするのが好きだった。ずっと有線のイヤホンをして、ipodから流れている大森靖子の歌詞をひとつずつ奥歯で噛んだ。 冬、ジェラピケ着て毛布にくるまって寝ることを夏にはすっかり信じられなくなる。正気じゃないとすら思う。時間の流れや、変化についていくちからが乏しい気が
寂しさには際限がないことを、23歳の夏にやっと知る。知ってしまったアタマを、知る前に戻すことは今の医学でもできないのかな。 わたしはとにかく居なくなりたかった。誰の人生にも存在していたくないと思った。アカウントを消して居なくなったような気になっても、わたしの本質が消えたわけではないことがとても悲しい。 先月行った行方不明展には、消えてしまいたいと願った人たちの感情があって、それらがあまりにも解ってしまって、苦しくて押しつぶされそうだった。 でも同時に安らかな気持ちにもなっ
隅田川の河川敷でずっと座っていたい。 水眺めて、たまに通る屋形船見て、イヤホンつけずに音楽流して、ぐーっと脚伸ばして。そうしないと溢れてしまいそうな、泣きたくなる夜がお前にわかるのか。 その純真さと真っ当さが、わたしを傷つけていること、知る由もないだろうけど。
いま、この瞬間、本当に聴きたい歌はサブスクになくて、死んじゃいたい。 1人でいるのもうやめたいよ。疲れたし怖い
マイ・ブロークン・マリコを観た。 わたし、シイちゃんから産まれたかった。シイちゃんの子どもになりたかった。というセリフが頭にこびりついていた。 すきなひとの、恋人にだって友達にだって親にだって子どもにだってなりたい。死んで生まれ変われるならどれに、なんてわたしには選べない。すきなひとなら、それにまつわる全てになりたい、その人自身にだってなりたいよ。 わたしの好きって、どんなに俯瞰で見る振りをしていても、根底はそういう気持ち悪いなにかだ。 好きでごめんなさい、と口癖みたいに言
自分が見世物として他人に確実に消費されている感覚を覚えるたび、心底吐きそうになる。泣きたい。わたしという個体はわたしだけのもので、他人の視線で簡単に縦覧されて良いものでは決してないのに。 大森靖子のプレイリストしか聞けなくなるとわずかな躁のサイン、間に八十八ヶ所巡礼、そのあと神聖かまってちゃんしか聴けなくなると鬱に入って、気が狂ってくる。 ソラナックス飲んでもイライラと不安感が拭えなくて絶望しそうだった。愛してほしい。
死んでしまう
もう何年も使い続けているInstagramのアカウントに捨て垢からdmのリクエストが来ていた。わたしの名前を呼ぶ書き出しから、一瞬で送り主がわかってしまった。4年ほど前に縁が切れた女の子だった。彼女とは2回縁が切れている。 内容はある映画を観たらわたしのことを思い出し、記憶にあったわたしのユーザーネームを検索したら出てきたから、というものだった。 「いつも愛に真っ直ぐで、突っ走ってて、全力で、等身大で、最高に可愛くて強いところが本当に大好きだったし、怖く思ったこともあった
しあわせに浸かると怖くなる。わたしがこんなにしあわせな経験していいのかと思って、ぶち壊したくなる。怖いよ。わたしの人生、もっと本気でめちゃくちゃにして。
休職になってから1ヶ月が経った。 大学生に戻ったかのような日々を過ごしている。毎日8時間の正社員の仕事と、わたし自身が生活することを両立するのは、今のわたしには不可能だったことにようやく気付く。こんな状態で騙し騙し1年間やっていたのはきっとぎりぎりの綱渡りみたいな感じだった。 朝7時50分に起きて電車に乗らない自分は変な感じがする。ZIPを1ヶ月見ていない。でも、この生活に納得している自分もいて、宙ぶらりんでちょっと気持ち悪い。 なんとか眠りについても、2時間経てば絶対に目
結局のところわたしたちはどこまでも孤独だった。取ってつけたような人の温もりから得られる安心など有限かつ刹那的で、赤の他人が最後まで一緒にいてくれるわけがないことをわたしは知っている。わたしに最後まで付き合えるのはわたしだけだ。