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怖いと可愛いだけの世界

長女は怖いものが多い

鬼、おじいさん、ゴリラ、ゾウガメ、笹、ダダンダン、海、裏返した靴下、ワッペンの裏側、お風呂に入ってシワシワになった指先、自分が漏らして足についたウンチ

あげればキリがないが、でかいもの、いかついもの、見た目や肌触りが気持ち悪いものなんかはだいたい怖いという認識になるようだ。

では彼女にとっての怖いの反対は何かというと可愛いである。

ちょうちょ、ペンギン、キティちゃん、うーたん、赤ちゃん、パン

こちらは怖いよりも分かりやすくて小さいものや愛らしくデフォルメされたものはだいたい可愛い。でも時にはオクラとかも可愛いと言ったりしてその範囲は広い。なんでも可愛いっていう女子高生かよ。

言ってしまうと彼女の世界はすごくシンプルで怖いと可愛いの2種類しかないのだ。マイナスの感情は怖い、プラスの感情は可愛い。オクラも好きだから可愛い。

この前箱根に行った時、ちょっと暗い道を通らないと辿り着けない離れの露天風呂みたいなのがあって、そこに行くまでの地図を見て「怖い」と言っていた。「これは怖くないよ〜」と言うと「可愛い?」と聞いてきた。やっぱり怖いの反対は可愛いでその二つ以外に選択肢がないのである。

でもここ最近でその選択肢が増えてきた。例えば面白いや気持ち悪い。

靴下を裏返すと表側の柄を表現する縫い目が見えて、これが怖いと言っていたのだが、最近は気持ち悪いと言うようになった。

彼女なりにマイナスの感情を怖いと気持ち悪いに分類し始めたのだ。言葉が変わるということは頭の中でもすみ分けが出来ているのだろう。

子どもに限った話ではないが、知らないことを知ることは自分の世界を拡大して人生を豊かにしてくれる。その一方で既に知っている世界をより細かく捉えられるようになることも人生を豊かにしてくれる。それっぽく言えば認識の解像度を上げていくことになる。

あえて言葉でこの二つの方向性を考えてみると、新しい世界を知ることはつまり「名詞」のレパートリーを増やすことだ。スプーン、公園、友達、鹿威し、排他的経済水域、ロヒンギャ。知識として脳内に蓄積されるのはその多くが名詞だろう。

逆に自分の認識の解像度をあげるのは「形容詞」のレパートリーによるものであろう。何かをしたことによって生じるこの感情をなんと言ったらいいのか、つらい?悔しい?いやいや世知辛いか?自分の微妙な気持ちを認識できるようになることは、すなわち気持ちが表現できるということだ。

語彙を増やす行為においてはとかく新しい世界を知ること=名詞の獲得がフィーチャーされる傾向にある気がする。クイズ番組でも答えは大抵が名詞だ。

まぁこれは言葉の性質上仕方ないことではある。でも意識しなければ名詞ほど形容詞の語彙が増えていかないのは事実だ。テレビのバラエティは先ほど例に出したクイズ番組を筆頭に知識は増えるが感情を表現する語彙はそうそう増えない。ドラマでも映画でもいちいち登場人物の感情をセリフで説明したりはしないし、YouTubeなんて名詞も含めてそもそも語彙が増えないだろう。

となると残るは本、それも小説だ。これは実感として分かる人も多いと思うが、小説は登場人物の微妙な機微を言葉で表すしかないので当然感情を表す言葉がたくさん使われる。小説は形容詞の宝庫と言ってよい。音楽も良いが語彙を増やすという意味では聴覚よりも視覚からの方が圧倒的に記憶に残る。

話が子育てから逸れてしまったが、何が言いたいかというと、子どもにはやっぱり本好きな子になって欲しいということだ。知識を増やすことも大事だが、自分の気持ちの解像度もしっかりあげていって欲しい。

無駄に入り組んだ考察をしてきた割に結論が普通だ。まぁでもやっぱり、本はいいぞ!

#コラム #子育て #育児 #パパの子育て


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