手書きメモという習慣について考えていた
今朝、日光浴をしながら考えていた。最近、思考がさらにまとまらないなぁ、と。
なぜだろう?
最近、iPadを買った
最近変わったことといえば、iPadを買った。
すべてのメモを手書きからデジタルに移行しようと考えていた。
「えっ?まだ紙でメモ取ってるんですか?」と
打ち合わせ時、紙のノートにメモを取る相手に心のどこかで見下してたところがあると思う。(ここで謝罪します)
いままでもiPhoneとMacで連携して純正のメモアプリやEvernoteなどを使ってデジタルメモ管理体制を構築していた。
そこにiPadを導入して、Apple Pencilでさらに手書きのメモもデジタルにできるぜ!って、これでメモ管理体制は完成や!って思ってました。
しかし、何かおかしい
いままでA4用紙に雑多なアイディアやそれこそメモを書き出して、思考を整理してある程度まとまった状態をデジタルメモにしていた。
それをすっとばして、直接iPadでデジタルメモで完結、紙いらない、環境にもいい。これは表彰されてもいいね、って考えだったけど。
ここ数週間の経過を見ると、iPadでのデジタル的な手書きメモは、紙への手書きメモとの同列ではないことが分かった。
これは懐古的な「紙はすばらしい」とか、そんな話じゃない。
私ほど、デジタル好きで全てをデジタルにして、データをクラウド上に上げてシンクライアント人類を目指してきた人はいないと思うほどのデジタル好きが気づいた答え。
見る人が見れば、周回遅れのあたりまえの議論なのかもしれない。
けど、実感としてさっき気づいたのでこのnoteに書いて残しておきたい。
これからデバイスやアプリの進化で、すべてをデジタルに〜って流れは何度となく来ると思う。
しかし、手書きで紙にペンでメモを書くという習慣だけは無くしてはいけないとこれを読む未来の自分に伝えたい。
そりゃ、すべてデジタルだとスマートに思えるけど、スマートに見えるけど実際の脳みそが混乱していたら本末転倒だ。
紙とデジタルのハイブリッドが最適解
結局は、紙とデジタルのハイブリッドが最適解だと思う。
脳にチップが埋め込まれた電脳化したSFのような世界になっても、手書きで紙にペンでメモをし続けなさい。
まさにメモ的な文章なので特にオチはない
まとめ
iPadを買って手書きのメモもデジタル化してデジタルネイティブやでぇ、ヒャッハーと思ってたら違った
ペンで紙に手書きで書くという行為に脳機能的な何か特別な効果があるんだと思う。でないと、iPadにapple pencilで同じ効果が得られないことに説明がつかない。
これから全てをデジタルにしたいという誘惑が何度となく来ると思うが、紙にペンで手書きでメモをするという習慣だけは崩さず死守しよう。