ヴィジョン クエスト 1
前回の話、『サマージ』の体験のあとスピリチュアルな世界からは、距離をおいて、代わりに武術にのめりこみました。
中国拳法の、故 地曳武峰師範の道場に入門し、朝、学校に行く前に1時間、夜は近くの小学校の校庭で2時間、毎日練習しました。
なので、ケンカもそこそこ強かった。
変な子供でしたが、学校の中ではイジメにもあわず、アウトサイダーで居続けることができたのです。
高校に入学してからは、演劇部に入り舞台の世界にものめりこみました。
高校1年生の夏休みには、大人と同じ舞台に立って、ギャラも貰えるようになり、学校の中でのアウトサイダーっぷりは、益々拍車がかかりました。
正直、高校3年間で、クラスメートの名前を一人も覚えませんでした。
なんの興味も無かった。
あの頃は、自分はこのまま、この演劇の世界で一生生きていくんだな~ということに何の疑問も持っていませんでした。
ところが20歳を過ぎて、才能を認めあった仲間と自分達の劇団を組んで、順風満帆といってもよい頃、ある舞台の打ち上げで、誰もが知ってる有名俳優の方と、同席したときに、その方の話が、その後の人生を変えてしまったのです。
「この前、ロケで南の島へ行ったときに、毎朝、海岸を散歩してたら、現地の小さい女の子と知り合いになったんだ。
言葉は分からないけど、なついてね。
一緒に砂浜で山を作ったりして遊んだりしたんだけど、オジサンは、日本では有名な俳優なんだぞ~って言ってもさ、分からないんだよね。」
あたりまえじゃねえか。
と、思いました。
何言ってんだ、このオッサン、とも。
その瞬間まで、有名人と同席して舞い上がっていたのに、一瞬にして世界がセピア色に枯れ果てて見えました。
このままじゃダメだ。
この世界だけで生き続けると、いつか自分もこうなってしまう、と思いました。
その後、劇団を辞め、演劇の世界からは足を洗ったのですが、さて、どうしよう?
高校生の頃から、ろくに遊びもせず働いていたので、お金はたくさん有りました。
また、その頃、俳優をやりながら、アマチュア劇団や、中学、高校の演劇部のコーチをしていたのですが、アマチュア劇団や、演劇部というのは、必ずしも俳優志望の人達だけが集まる訳ではありません。
中には、
「自分を変えたい」
という切実な動機で来る人もいる。
私は、そういう人が、演技の指導をしていく中で、自分で自分にビックリするような自分に出会って、急に光を放つような、その瞬間に立ち会うのが好きでした。
そのために、ゲシュタルトセラピーやサイコドラマをはじめとする心理療法の勉強もしていた。
中でも気になったのは、ネイティブアメリカンに伝わるストーリーテリングの技術でした。
物語を聞き、語ることが、教育となり、癒しにもなるという優れた技術が伝わっているという。
ネイティブアメリカンについて調べるうちに、もう1つ、気になることが見付かりました。
『ヴィジョン クエスト』
"ネイティブアメリカンが、子供から大人になるときの通過儀礼で、現地の言葉ではハンブレチヤという。
独り山にこもり、絶食し、不眠、不休で4回夜を越すまで祈り続ける。
そこで得たヴィジョンをもとに、長老は若者に新たな名を授ける"
これこそが、今の自分に必要なものだと思いました。
ヴィジョン クエスト!
当時、ヴィジョン クエストについて書かれた本は、一冊だけでした。
私は、本に付いていた読書カードに熱烈な感想文と、自分もいつか絶対にヴィジョンクエストを受けたいという願いを書き、出版社に送りました。
数ヵ月後、出版社から、本の担当者と名乗るかたから、電話がかかりました。
「今度、本の翻訳者と共に、アメリカの聖地にヴィジョンクエストを受けに、ごく少人数で行くのだが、貴方も良かったら参加しませんか?」
新たな運命の扉が、開いたのです。
~続く
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