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"DESSAU"の事。

ミュージシャンにとって、自身の出身地からのルーツを重要視する人もいれば、無自覚な人、敢えて捨ててしまう人もいる。アメリカはテネシー州ナッシュヴィルは、言わずと知れたカントリー・ミュージックの聖地で、そんな土地柄にうんざりして都会を目指し、恐らくは偶然の出会いから重要な人脈を築いたにも関わらず、結局は地元へ戻ってローカルなバンド活動をし、都会の友人の助力を得て良質な作品を残しながら、成功を収めることが出来なかったばかりか、あまり気に留めてもらえなかったアーティストがいた。その人物の名前はJohn Elliott、彼が率いたバンドはDessauと言いました。

[Red Language] (1985)

Dessauの中心人物はナッシュヴィル出身のJohn Elliott。元々は、地元ナッシュヴィルでパンク・バンドCloverbottomのエレクトリック・パーカッション及びプログラミングを担当するメンバーとして1980年に音楽活動を始めています。同じ年にバンドの唯一のEP"Anarchy In Music City"をリリースしています。これは、ナッシュヴィルで最初のインディーズ・レコードだったと自身が語っています。このタイトルから伺えるように、ナッシュヴィルの音楽シーンにうんざりしていた彼は、バンドを離れて、自分が求めるサウンドを探すために故郷を離れます。1981年の事でした。隣接する州といっても、600km離れているイリノイ州シカゴに辿り着いた彼は、大変な人物たちと知り合いになります。その人物とは、Alain JourgensenとPaul Barker=Ministryの首謀者ふたり、そしてJoy Divisionなどを手掛けた大物プロデューサーのMartin Hannettでした。当時、Ministryはまだ自身の凶暴性に自覚的ではなく、音楽的にはエレ・ポップっぽいサウンドをやっていた時期でした。この出会いが後にJohnの音楽人生に大きく影響していく事になります。2年ほどシカゴに滞在した彼は、やはり故郷に焦がれたのか、1983年に地元ナッシュヴィルへ戻り、地元のエレクトリックなニューウェイヴ系のバンドFactualに加入しています。エキセントリックなヴォーカルとエレクトリック・ビートが意外とイケるバンドでしたが、3枚のシングルを残して解散すると、Johnは自身のバンドとしてDessauを結成します。1984年の事でした。

[Happy Mood] (1986)

1985年にデビュー・シングルとなる12インチ”Red Language”を自主リリースします。今作に収録されていた曲"Red Languages", "Crutch of Utility"は、Factualのライトな部分をダークにしたエレ・ポップという印象で、印象的なベース・ラインはJoy DivisionやA Certain Ratioを髣髴とさせます。それもそのはず、彼がシカゴで知り合った人物の中のひとりであり、前出の2つのバンドを手掛けたMartin Hannettが、このシングルのプロデュースを担当しているのです。Johnは、Martin Hannettの結婚式を仕切る程の仲だった様で、このコラボレーションが実現したみたいです。バンドのメンバーとしては、FactualのメンバーだったSkot Nelsonや、地元ナッシュヴィルのベテラン・ミュージシャンMike Orrなどが参加しています。1986年には、2作目の12インチシングル"Happy Mood”をFactualが在籍していたナッシュヴィルのインディ・レーベルFaction Recordsからリリースしています。前作と路線は同じシンセサイザーとデジタル・ビート、ベース・ラインが特色的なエレ・ポップで、バンド・メンバーが流動的なためか、あまり一貫性のない作品ではありましたが、収録曲”Unshakeable”あたりに、ちょっと不穏な空気感とカオティックなヘヴィネスが漂ってきたのが面白いです。1986年と言えば、Ministryが"Twich"をリリースした頃であり、Johnは、Ministryの新しいサウンドを聴いて触発されたのかも知れません。そして、次作は彼らと一緒に作りたいと考えたのではないかと思います。

[Mad Hog] (1988)

Dessauのサウンドを一気に変えたのは、やはりこの人たち、シカゴ滞在時に知り合ったMinistryのふたりAlain JourgensenとPaul Barkerでした。Alainがプロデュース、Paulがベースを担当して制作した”Isolation”は、Dessauの代表曲に挙げられる楽曲となっています。曲名でお気づきの方も多いかもしれませんが、この曲はJoy Divisionの名曲のカヴァーです。この曲を含むシングル”Isolation”は1988に12インチでナッシュヴィルのインディ・レーベルCarlyle Recordsからリリースされています。かつて触れたシカゴの音楽シーンの急成長を身をもって感じたJohnは、シカゴ組のバック・アップを受け、アジテーション・ヴォイスとヘヴィで性急なビート、場違いなエレクトリック・ノイズをミックスして、原曲を破壊するかの様な楽曲に仕上げました。同年にリリースされた12インチ”Mad Hog”でも、再びAlain JourgensenとPaul Barkerの協力を得ています。Johnのヴォイスは益々強靭になり、それに伴ってバックのサウンドも重厚感のあるものに変化しています。まだMinistryの手を借りていない時期に制作されたシングル"Happy Mood”に収録されていた、当時のMinistry直系のサウンドだった"Unshakeable"をMinistryのふたりがリミックスして再構築したヴァージョンを収録、テンションの高いヘヴィなサウンドへ進化させています。思えば同時期にMinistryが彼らの金字塔的なアルバム"The Land Of Rape And Honey"を制作していますので、このレコーディング・セッションは、お互いにとって有意義であったのでは無いかと思います。

[Exercise In Tension] (1989)

1989年には、Dessauのデビュー・アルバム”Exercise In Tension”がリリースされています。Johnのアジテーション・ヴォイスや、エレクトリックなビートやベース・ラインはよりヘヴィになり、ノイジーなギターが鳴り響くテンションの高い作品になってはいます。しかし、アルバム・トータルとしては散漫な感じが拭えず、先にリリースされたシングルの楽曲"Isolation” , "Crowfest" , "Europe Light"が目立ってしまっていたのが残念でした。プロデュースは、ナッシュヴィルのGiles Reavesが手掛け、同じくナッシュヴィルの Carlyle Recordsからリリースされています。Johnは、1990年にシングル"Beijing / Europe Light (Remix)"をリリースした後、Dessauとしてのバンド活動を終了すると宣言します。グランジの台頭でポスト・パンクやインダストリアルが廃れてロックの時代が大きく動き、このままの音楽活動に未来を感じなかったのが理由みたいです。Johnは、Chagall Guevaraの元メンバーによるインダストリアル系のクリスチャン・バンドPassafistにプロデュース及びメンバーとして参加しています。

[Dessau] (1995)

1995年にDessauは再始動し、バンド名を冠したアルバム"Dessau"をリリースしています。今度はPaul Barkerがプロデュースを手掛け、Ministry人脈のLuc Van AckerやJeff "Critter" Newellが参加しています。彼らが手掛けたニュー・ミックスは非常に聴き応えがあるものでしたが、アルバムとしてのクオリティという意味では疑問が残りました。それもそのはずで、今作はドイツのMausoleum Recordsからリリースされていますが、レーベルはDessauの全ての楽曲の権利を買い取り、その権利を全て利用した寄せ集めのアルバムとして制作していたのです。翌1996年には、8曲入りのミニ・アルバム"Details Sketchy"をワシントンD.C.のインダストリアル系レーベル"Fifth Colvmn Records"からリリースしています。このアルバムは、Paul Barkerがメインのソングライティングとベース&ギターを手掛け、プロデュースをJohnが、再びMinistry人脈のLuc Van Acker、PigfaceのVan Christie、FilterのRichard PatrickやDie WarzauのJim MarcusとJason McNinchといったインダストリアル系の面々が多数参加しています。Johnはソングライティングを行っていないので、音楽への意欲は失われていたのかも知れませんが、楽曲の権利を失った彼らの最後の意地だったのかも知れません。この作品は、"Fifth Colvmn Records"の歴代最高売上を記録しているそうです。Dessauとしての最後のレコーディングは、彼らに最後まで協力してくれたMinistryのトリビュート・アルバム” Another Prick In The Wall - A Tribute To Ministry - Volume 2”のためにレコーディングした、Ministryがまだエレポップだった頃のアルバム"With Sympathy"収録の"Revenge"のカヴァーでした。これを最後に、バンドは活動を終了しています。

[Details Sketchy] (1996)

知名度的には主従関係と思われてしまうMinistryとDeassauですが、ナッシュヴィルとシカゴという離れた距離にいながら、互いに切磋琢磨してサウンドを磨き上げた、まるで兄弟バンドの様だった。Dessauは、Ministryと共にインダストリアル・シーンの中心になることだって可能なバンドだったと思う。Ministryのふたりは、自分たちが成功してからもJohnの動向を気にかけてDessauを最後までサポートした。田舎へ戻ることが悪い訳では無いし、地元ミュージシャンやプロデューサーを起用し続けたJohnの選択は間違っていたとは言えないけれど、あり得たかも知れないDessauの輝かしい未来への扉を、John自らが閉ざしてしまったのは惜しかったなあと思います。

今回は、John Elliottがオリジナル・テイクを作り、Alain JourgensenとPaul Barkerがリミックスして磨き上げた、3人の友情によって奇跡的に生まれたといっていい、この名曲を。

"Unshakeable (Remix)" / Dessau

#忘れられちゃったっぽい名曲


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