"EAT"の事。
レコード会社が作り出したのか、マネジメントが作り出したのか、まさかバンドの狂言は無いでしょうが、バンドのバイオグラフィーって本当か?ってのは結構ある。フィリピンの少年が有名なバンドのヴォーカルになったという話や、路上生活者の子どもがDJで成功するという話なんかは、心温まる実話だと思うし、炭鉱労働者がブラスバンドで成功するというのは映画の世界の話だけど、実際にストライキの一環として合唱団を作ったサウス・ウェールズの鉱山労働者たちのグループは実在した。一方、記憶喪失のシンガーに歌わせてみたら凄く上手かったなんて怪しいもあったなあ。全員がそうだとは言っていないけど、路上生活者で結成されたといわれるバンドがイギリスに存在した。その大げさなキャッチフレーズが邪魔にしかならないほど、そのバンドのサウンドは、誰にも似ていない素晴らしいものだった。レーベルの売り出し方だけが悪かった訳では無くって、バンド内部の軋轢やパーソナルな問題もあったけど、あまりも早くに解散してしまうという、勿体ないバンドがいた。そんなバンドの名前は、Eatと言いました。名前がシンプルすぎるのもいけなかったのか...。
英国イングランドはロンドン出身のバンドとして結成されたEat。初期メンバーは、ヴォーカリストのAnge Dolittle, ギタリストのMax Noble, ギタリストのPaul Noble, ドラムスのPete Howard, ベースのTim Sewellの5人組でした。メンバーの風貌からのウワサか、レコード会社の戦略だったのかも知れませんが、ロンドンのキングス・クロス駅にたむろしていた路上生活者が結成したバンドと言われていますが、実際のところは分かりません。 Tim SewellはCorect Spellingというバンドで活動歴が、Pete HowardもCorect Spellingに在籍していて、The Clashのドラマーとして活動していた事がある人物。彼が叩いたドラム・パートは殆どがリズムマシーンに置き換えられたらしいですが。バンドが、実はバース出身というのも後から判明した感じで、ロンドン...?という、何か怪しいバイオ。ヴォーカリストでフロントマンのAnge Dolittleは、Eat以前にキャリアが無いから、彼だけが路上生活者だったのかも知れないけど。いきなりThe Cureを擁するPolydor傘下のFiction Recordsと契約というのもなんだか出来すぎな気が...そんな話題性なんて必要がないというか邪魔なくらいに、Eatというバンドのサウンドは最初から最後までが凄かったのです。彼らのデビュー・シングル"The Autogift EP"は、Fiction Recordsから1989年にリリースされています。すべての音楽要素を食ってやる!とばかりに大口を開けたジャケットに包まれた3曲入りのシングルですが、スワンプ・ブルース、サイケデリック・ロック、フォークをミックスした泥臭くて強靭なロック・サウンドは、インディ・ダンスが溢れていた時代とは逆行していましたが、凄いインパクトがありました。Fiction Recordsとしてはシングル単発の契約だった様ですが、このシングルの収録曲"Skin"をJohn Peelがラジオでヘヴィ・オンエアして大プッシュ、好評を博したためにバンドの運命が一気に変わり、Fiction Recordsはアルバム5枚の大型契約を提示しています。正に華麗なる手のひら返し。
同1989年にバンドのリリース・ラッシュは続き、シングル"Plastic Bag EP"は、前シングルに無かった、スローでアーシーな伸びやかなギター・サウンドと抒情的なメロディとヴォーカルによる、UKのバンドというよりもアメリカのバンド、例えばR.E.M.を引き合いに出していい程の懐の大きいものでした。しかし、このシングルの販売価格が高いと不満を漏らしたバンドは、ライヴ・ツアー中にシングルを無料でバラ撒くという暴挙に出ます。うーん、イギリスのバンドっぽいなあ。だけど、レコード会社の心証を害するのでは。同じ年にはシングル"Tombstone"、バンドのサウンドにめちゃハマっていたLovin' Spoonfulのカヴァー"Summer In The City"を表題曲にしたシングルを立て続けにリリースし、その懐古趣味とも思えるサイケデリック・サウンドでイギリス音楽界に殴り込みを掛けて衝撃を与えました。
1989年にリリースされたシングルの大半の曲を収録したデビュー・アルバム”Sell Me A God”も同じ年にリリースされています。何というハイペースでしょう。ブルース、サイケデリック・ロックをミックスした混沌としたサウンドと、アメリカン・ロックのダイナミズムと抒情性を詰め込んだこのアルバムは、全英チャートの10位を記録する大ヒットとなりました。アルバムのレコーディング中は、お互いのサウンドの意見の相違からくる軋轢で相当に荒れたものであったみたいですが、それとは裏腹に一躍人気バンドになります。このアルバムのレコーディングの最中に、スタジオが隣だったThe Wonder Stuffと知り合って意気投合し、メンバーのパーソナルな未来に影響を与えることとなりますが、Eatの活動に関しては、残念ながらプラスに作用することはなかった様です。アルバム発売を受けて、Jesus & Mary ChainやPhillip Boa & Voodoo Clubのヨーロッパ・ツアーのオープニング・アクトとして演奏して評判を博しますが、バンド内の軋轢は増すばかりでした。デビュー・アルバムをリリースしてまもなく、MaxとPaulのNoble兄弟が、ふたりで新バンド U.V. Rayを結成して脱退してしまいます。
一気にふたりのギタリストを失ったバンドは、新たに Jem Moorshead, Malc Treeceをメンバーに迎え、1990年にシングル"Psycho Couch / Alien Detector"をFiction Recordsのサブ・レーベルであるNon Fiction Recordsからリリースしています。サイケデリック風味は薄れましたが、アーシーで奥深くて懐の広い泥臭いギター・サウンド、強靭なベース・ラインとドラム、そして何よりも哀愁味のある良質なメロディが素晴らしいです。こんなにいい曲なのに、何故サブ・レーベルからリリースしたのかの意向は不明ですが、毒気を感じるジャケットや、不思議で奇妙なプロモ・ヴィデオが問題だったのかも知れません。1枚のシングルをリリースしただけで、バンドは単独のツアーに出ます。それだけ自信作だったのではと思いますし、実際に内容も素晴らしく、NMEのシングル・オブ・ザ・ウィークに選定されますが、セールスとしては奮いませんでした。そして、ツアーの最中にバンド内部の緊張状態がピークに達し、予定されていた2作目のアルバムのレコーディングが中止になり、バンドは活動休止状態になります。
1992年、活動休止期間中ではありましたが、以前にレコーディングされた音源を使用して4曲入りのシングル”The Golden Egg EP”をリリースしています。アメリカナイズされた懐の大きいギター・サウンドと、良質なメロディはそのままに、ポピュラリティも獲得できる様な優れた楽曲ばかりが収録された完成度の高いもので、お互いに顔を合わせるのも嫌だと言い放つバンド・メンバーによるものとは思えません。同じ年にシングル”Shame”をリリースしています。クリアーとノイジーなギターの絡みや、メロディ・ラインとヴォーカル、ハーモニー、躍動するダイナミックなビートまで、アメリカに拠点を移して活動した方が良かったのでは?と思うほど完璧なアメリカナイズされたロック・サウンドには、バンドの成熟を感じさせます。しかし、逆に考えれば、評判となったデビュー曲のブルージーで猥雑で泥臭い部分はすっかり削ぎ落されていました。このシングルは、本国イギリスとアメリカでリリースされています。
1993年には突如として活動を再開し、シングル"Bleed Me White"をリリースしています。プロデューサーとして、The CureやThe Farm, Depeche Modeなどを手掛けたMark Saundersを起用し、Jesus JonesのMike Edwardsが参加し、ここ最近の完成度の高いサウンドを、よりカラフルにした勝負作で、全英チャートでは73位と久々にランク・インを果たします。このシングルの評判を受けて、制作が見送られていた2作目のアルバム”Epicure”を1993年にリリースしています。先行シングルを詰め込んだアルバムではありますが、非常に聴き応えのあるアーシーなサウンドと、良質なメロディとの絡みや、卓越したバンド・サウンドの、この短期間での成熟度に驚かされるクオリティを持った作品です。このアルバムを引っ提げてのライヴ・ツアーに出た彼らは、色々な場所を熱心に回り、本国イギリスでは数々のソールド・アウトを出すなど好評でしたが、全米ツアーに関しては、観客がゼロだった日もあったようで、これがメンバーの自尊心を激しく傷つけたと思われます。そのせいか、メイン・ヴォーカリストのAnge Dolittleがヘロインにハマり、最早バンドを続行するのは不可能となりました。そして、同じ年にバンドは解散しました。
バンド解散後、ヴォーカリストのAnge Dolittleは、デビュー・アルバムのレコーディング時から交流を続けていたThe Wonder Stuffのメンバー、Jim Ledbetter, Malc Treece, Martin Gilks, Paul Cliffordと共にバンド We Know Where You Liveや、元HipswayのPim JonesとのユニットBig Yoga Muffinで活動しました。Pete Howardは、The Wonder StuffのMiles Huntが立ち上げたバンド、Vent 414のメンバーとなり、The Wonder Stuffの再編時にはメンバーとして加入しています。Eatは、解散から20年を経過した2014年に、突如として再結成を果たします。ロンドンの有名なパブ、The Half Moonで行われた2回のライヴのチケットは即日ソールド・アウトとなり、会場は観客で埋め尽くされました。マンチェスターでもライヴを行い、大盛況となります。同じ年に1990年にレコーディングされていた音源やライヴを収録したコンピレーション・アルバム”The Trabant Tape”を自主リリースしています。2016年には、ニュー・シングル"She Cries Flowers"をリリースし、その後も断続的にライヴを中心に活動を続けています。
レーベルの作り出す枕詞も一因ではあるかも知れませんが、早すぎるリリース・ペースで進化しすぎて、デビューからたった2年でサウンドを変化させ過ぎてしまったEat。名曲を多数生み出しながら、ドラッグや内部の軋轢で自滅してしまった残念なバンドでした。彼らが早々とアメリカを目指していたら、また違った音楽人生が待っていたかもしれません。そう言えば、同じ時期のスコットランドのバンド、Del Amitriって近いサウンド志向を持っていて、イギリスでもアメリカでもヨーロッパでも高い人気を獲得していましたっけ。彼らはアメリカ資本のA&M所属だったので、レーベルの力の差だったのかもしれませんね。Eatのサウンドは、当時の軽くて踊れるサウンドが主流だったイギリスにマッチしなかっただけで、Del Amitriや、R.E.Mにだって引けを取らないくらいに懐の広いもので、素晴らしいメロディと奥行きのあるものだっただけに残念ですが、そう思っていたファンがいたからこそ、彼らの解散を残念に思い、再結成ライヴが大盛況になったのだと思います。現在でも活動を行っていますので、失われた20年を埋める意味でも、長らく活動して欲しいバンドであります。今回は、デビュー曲で代表曲、この曲のイメージが付きまとっていたため、後の楽曲の良さが半減して聴こえてしまったのかな、と思うくらいにインパクトのあった因縁のこの曲を。
"Skin" / Eat
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