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05.テストで採点ミスするから生理をやめた話(含・微ジェンダー論)

(画像は実家の保護猫「ユリ(♀1歳)」とユリに乗られた「与作(♀5歳)」で記事とは関係ありません)

記事にアンケートをつける機能があれば、ちょっと聞いてみたいとも思う。

上記タイトルについて、
「A.まあ、そうだろうね」と特に何も感じないか、
「B.どういうこと?」と疑問を抱くか。
どっちが多いだろうか、性別でA・Bが割れたりするものだろうか、とか。

ここ数年だいぶ解禁されてきた話題だが、難しいとは思う。程度が難しい、と。「生理ちゃん」もキャラとしてはおもろいけど、個人的には見た目がどぎつくてなー。

それから、生理について語ると出てきそうなのが「それって結局、甘えだろ」という意見。確かに、自分のことは甘やかしていいならいくらでもそうしたいから、程度が見極められない。

よって以下の内容も、人によっては「色々言ってるけど、結局お前の甘えじゃん?」としか感じられない人もいることだろう。

あと「女性の生き方」的なものに言及する部分があるけど、あくまで個人的な考えなので悪しからず。自分以外の他人がどう生きようが、そこに口出しするつもりはありません

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会社でも「生理休暇」って休みの項目があるにはあるけど、よっぽど先進的なところ以外、なかなか使う人いないよね(誰が、どんな職場を想定して作ったんだろう)。
高校教員時代にも、同年代の事務の人に聞いてみたが「過去に、ALTで1人だけいたくらいかな。ってか、いちいち管理職に知らせたくもないでしょ」——そうだな、未だに心は高度成長期に生きている連中に告げたい人はまずおらんだろうよ。

(追記:成立した当初には利用する人もいたらしいが、今は全体の0.9%とかだそうな。へえ。)

結論から言うと、筆者は教員1年目の途中から、子宮内膜症の治療薬で完全に生理を無くし(転職後に別の薬にして一時再開したものの、生活上の支障が大きかったので結局すぐに戻し)た。
あのカオス極まりない状態にぐじぐじと耐える期間のあらゆる損失を考えれば、多少薬代はかかるが(当初は月1万ほど、ジェネリックが出た今ではその1/3ほど)非常に楽に生きられるようになった。

いやあ、人智って素晴らしいね。あとは健診の採血検査さえ無くしてくれれば、心から医療を応援したいと思う。「皮膚から出るガスで検査ができる新技術」とかいうのをニュースで見たけど、一刻もはよう実現しとくれ。はよはよ。

さて、一般にはPMS(月経前症候群)、あるいはPMDD(月経前不快気分障害)として知られている話ではあると思うが、個人差が相当大きいと言われてもいるので、自分の場合どんな症状があるかと言うと、

・物理的な苦痛:腹痛、腰痛、頭痛、たまに腹筋がつって動けなくなる。
・たまに突発的なめまい。
・精神的な苦痛:過去の嫌な出来事を繰り返し思い出すようになる。夜眠れず起きていると無性に腹立たしくなり、咽び泣きながら皿や茶碗を割らずにいられない(「割る用」はダイソーでまとめ買いしていた)。
・視野が狭くなり、ものの左右を取り違え、すぐ物をなくす。IQが著しく低下してポンコツと化す。

どれもやめてほしいが、個人的に一番きついのが最後。仕事への影響がでかいからである。
普段は約90~100度ある視野が、50〜60度しかないような感覚だとか、喋っているととにかく言葉が出てこず「えーと、えーっと!」ばっかり言ってしまうとか、パンの袋を開け、袋を捨てようとしてパンをゴミ箱に放り込んでしまうとか。

脳みその一部がごそっと消えたような感じと言えばいいだろうか。もともと計算には苦手意識があるが、特にこの時期は、1+1=2はまだしも、2+3=6とか、16+18=24とか普通にやらかしてたし。小学1年生か。まさにポンコツとしか言いようがない。

さて、タイトルの出来事について。
1年目の教員には、極少人数体制の学校以外、たいてい「指導教官」というのがつく。だいたい同じ学年の授業を担当し、学校でやれと言われている「教科研修」の担当者として、たまに授業を見せてくれたり、レポートにハンコを押したり押さずに文句を言ったり、雑用を押し付けたりしてくる有難い先輩教員である。

特に筆者の指導教官は、いつまでも昭和の心を忘れず、老後の安定のためだけに教員をしているような50代男性であった。
いま不意に神様が現れて「好きなやつ5人殺してあげようか」と言ってくれたら、4人目くらいには入れる予定である。

前述のような症状が出ている時期に、溜めてしまったレポートをまとめて処理して提出したら「こんなに一度に見られるわけないだろ、何考えてんのあんた?」と突っ返してきたので(てめえが内容読んでるとこ見たことないが? 毎回同じコメントだろ?)、不毛の地と成り果てて久しそうな頭頂部にボールペンを突き立てるのを思いとどまった(椅子にふんぞりかえって座ってるからちょうどいい高さなんだこれが)代わりに、おなじみ深夜0時の職員室にて、いつもの居残りメンバーが帰った後で、机の引き出し開けてハンコ探して偽造コメント入りレポートに押して、管理職に提出したこともある(それでも全く気づかないんだから、もーまんたい)。

まあそれはいいとして、本題はテストの時期のこと。研修レポートなんぞは提出さえすれば誰にも何にも影響ないのだが、さすがに成績はそういうわけにはいかない。

ただでさえ記述があって時間のかかる採点を睡眠時間削りつつ2、3日でガーッとやるのに、いっそう頭がポンコツなので、
「○なのに点数カウントされてない」
「ここの解答欄一列、○も×もついてない」
「小計を足したら、合計が10点マイナスになってるんですけど」
返却したら教卓のところまでばらばらと訴えに来るわ来るわ、一応これらはまだ謝って修正すればなんとかなる問題である、
あまりにこうした採点ミスの修正が相次ぐと余裕がなくなり、さらなるミスを招く恐れは、それ以前から十分に感じていた。

「もうダメだ」と心底思ったのが、二学期の中間テストを一番最後に返却したクラスの授業が終わり、ほっとして職員室に帰った時だった。
例の不毛の人に「点数出た?」と訊かれ(すぐにエクセル入力して平常点調整して一覧を教務部に提出しないと怒られるのだった)、
「はい、ここに……」
と名票(出席簿の名前のとこだけ短冊状に切ったもの。解答用紙の束に貼っておいて、点数を記入したらはがして教務手帳〈成績管理用の手帳。俗に言う閻魔帳〉に保管し、それを見て入力する)を取り出そうとしたら——あるはずの場所に、無かった。

血の気が引いて、授業に持っていった物を机上に全て出して漁ってみるが見当たらず、
「……教室に忘れてきた?」
呆然とつぶやいた時、
「はぁあ? すぐに取ってこいやボケぇ!」

おい、それ暴言!
 と思ったがまあ構っちゃいられない、無駄に広い校舎の廊下をダッシュし、5階の教室までの階段を駆け上がり、当の教室には何気ない顔で入って、黒板を消している生徒に「どしたん?」と尋ねられ、「んー、忘れ物したかなと思って」適当に応えて教卓の上を見る。

無い。しゃがんで中を見るが、余ったプリントが入っているだけで、無い。床に目をやっても、綿埃と生徒の足しか見当たらない。
まさか、誰かが……? と見回してみたが、一応「進学校」だったので、そこまで素行や性格の悪い奴は、まあ学年に3人くらいだった。もし発見した奴がいれば、きっと言ってくるはずだった(点数=個人情報を知られるのが問題なのでその時点でアウトなのだが)。

空洞のようになった頭で、後からどっと吹き出した汗で背中にシャツが張りつく不快感を覚えつつ、途中で落としていないか確認しながら階段を降り、ふっと上着のポケットに手を突っ込んだ……ら、くしゃっと皺の寄った名票が出てきた。

——なぜ? 絶対こんなところに入れない。教務手帳に貼り付けるはずが、なぜ。

???でいっぱいの頭でひとまず職員室に戻り、深々と謝罪すると、不毛の人はゴミを見るような目で「あのさ、もうちょっとしっかりしてくれん?」とだけ言った。

おそらくは採点ミスの修正に忙しく、焦っていた時にチャイムが鳴って、「はい終了! 号令!」と全体に声をかけて自分も立ち上がったとき、手に持っていた名票をペンと一緒にポケットに突っ込んだのだと思われる。全く覚えていないが。

このままじゃいずれもっとでかいことをやらかすに違いない、なんとかできないものか——当時もピル(ヤーズ、ルナベルなど)は飲んでいたのだが、メリットは期間を管理できるかできないかだけであって、情緒不安定やポンコツになるのは変わらなかった——と思い、
「もう思い切ってなくせませんかね」
と婦人科で相談してみたところ、
「どうしてもって言うなら、なくせるよ」
との答え。

「ただ、余計に気分が悪くなったり、不正出血に悩まされたりする人もいるお薬だし、財布に優しくないし、本来別の目的で使うものだから、あんまりオススメはしないんだけど」

そんな風に言われると怖くもなるが、まあ摘出手術よりはマシだろうという気持ちで「ちょいと試させとくれ」と頼み、処方してもらった。

結果、不正出血なんて全く起きないし(むしろ多くの人が問題なく使っているとされる某ピルのほうが不正出血しまくって大変だった)、気分はむしろ毎日清々しく、ずっと立ち込めていた暗雲が消え去って青空が見えたみたいに生活が変わった。

お薬バンザイ! さらばポンコツな私!

これにてめでたしめでたし——なのだが、まあそれに付随する不満もついでだから書いておくとすれば、
その後の転勤先で、そして今も、なかなか「生理なくしたい(撲滅したい)」という希望に対する理解が得られないことである。
上記の婦人科は田舎にしてはかなり先進的で理解があったけれども、お医者によって本当に対応がさまざまで、不快な気持ちを味わうこともある(これに関してはむしろ京都のほうが保守的かもしれん)。
「え、それじゃあなた、子供どうする気?」とかね。そりゃあ、それで食ってる人たちだからそうかもしれんがな。

ちなみに、この点に関しては親族もうるさい時期があったが、
「病院も注射も嫌いやのに、なんで自分のほうからわざわざ収容されに行かなあかんの」
「金と時間が勿体無い。他のことに使いたい」
「飽きっぽいから、10ヶ月も腹ん中入れとくとか無理。3ヶ月コースとか選べたら考えんこともないけど」
等々伝えてきたので、何も言わなくなった。諦めて末の弟に期待をかけてくれていることだろう。

とはいえ、筆者とて、リカちゃん人形で遊んでいた頃なんかは「将来子供が生まれたら、名前はねー…」などと言っていた記憶もある。
大学の学部生時代にはいわゆるフツーの恋愛をして、「もしもあいつに裏切られたら、あいつが寝てる間に喉仏を刺して、温かい返り血を浴びてから死のうと思ってる」と友人に惚気ていたような微笑ましい時期もあった。

転機は、院で修士論文を書いていた時だったと思う。
80〜90年代に書かれた女性作家による小説の主題を探っていく中で、彼女らが大いに影響を受けたと思われる、主に70年代に発表された「花の24年組」(=萩尾望都、大島弓子、竹宮惠子などの少女漫画家たちを指す)の作品評をあれこれ読み漁っていた時だった。

大塚英志氏による少女漫画評だったと思うが、「少女は血を流して母になる。社会の圧力によって母にさせられるのだ」という感じの言葉(記憶が曖昧)が、当時の自分にはひどく刺さった。

ほんまや! ずっる! 男はずっとそのままでええんやん」
「そんならこっちも進化キャンセルしたろ

ということで、Bボタン連打したまま(「ポケモンといえばゲームボーイで赤緑」時代の人間ゆえ今もそうなのかは知らんが)、今に至っている。
上野千鶴子先生の本なども読むようになった。

(上記の話をすると、親は「これだから頭が良いとろくなことがない」などとぼやいた——院の研究室には天才秀才というか奇人変人がゴロゴロいたからそれに比べれば全く平凡だと思うのだが、ついに理解は得られなかったのでこっちも諦めた)

「そんなこと言ってたら日本が滅ぶぞ」とか言い出す輩も世間にはいるようだが(昭和の心を忘れない幸福な人たちに多そう)、自分としては「別にええやん、社会が追いついてないんだから、個人が無理せんでも。それぞれ好きに生きれば。納税はせなあかんけど」派である。

(ちなみに「03.」の記事で書いた引きこもり中の妹については、実は今、ネットを使ってなんとかならんもんかなーと自立支援プロジェクトを進めている)

この世には『平家物語』以来不変の、盛者必衰の理ってもんがあるんやからさ……ぼちぼちでええやん、って。

当初は、こんな内容を長々と書くつもりはなかった。
極めて個人的な駄文にお付き合いいただきありがとうございます。こういう考え方の人間もいると知ってもらえればいいかなと。

次回、「06. 〜拝啓 もうすぐ定年の君へ〜 」(予定)。

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