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現実と再現に新たな関係性を結ぶーピカソの時代とあるべき秩序

国立西洋美術館で「ピカソとその時代ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を見てきたので、初投稿も兼ねて感想を書いてみます。

◼︎ピカソのキュビズムと社会へのアンチテーゼ
ピカソといえばキュビズムで、キュビズムとは下記の通り。

それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた。 

Wikipediaより


のような現代美術の動向であると。この「いろいろな角度から見たものの形ひ一つの画面に収める」というキュビズムは、複数の視点から物事を見ることの象徴のように感じた。そうだとすれば、第一次世界大戦下におけるピカソの作品は、戦争という強いストーリーに対するアンチテーゼになりうるのではないかと考えることもできる。

『ヴァイオリン』
一つの実物に対して複数の印象を重ねる。

■人々が生み出す魔術的世界とキュビズム
森田真生は『数学する身体』の中で、人は「客観的な環世界についての正確な視覚像ではなくて、進化を通して獲得された知覚と行為の連関をベースに知識や想像力といった『主体にしかアクセスできない』要素が混入しながら立ち上がる実感」の中で生きていると述べている。
人は同じ景色を見ていてもそれぞれに異なる情報を受け取っている。言い換えれば、感覚器官から得られる情報の中で、どのような情報を強く感じ取り、どのような感情になるのかは完全に人それぞれである。

私がここで言いたいのは、人それぞれが受け取る「現実」はすでに、キュビズムと同様なのではないかということだ。「現実」を切り取り、それらを貼り付けて一つの世界を生きること。一人ひとりが行う、この魔術的な取り組みをピカソは絵にしたのではないか。

『大きな横たわる裸婦』
社会情勢を作品で表す、芸術によるメッセージ。

■結論と戦後のピカソ
人々の生産性としての側面を強調し、人間性を剥奪する戦争というナラティヴの中で、改めて普段それぞれが生み出してる魔術的世界に光を当てる。それがピカソの絵画に象徴されていると考えることができのではないか。そんなことを考えた展示だった。
この考え方を裏付ける訳ではないが、第一次世界大戦後から第二次世界大戦の間の作品からは、戦争が終わった喜びや躍動感のようなメッセージを感じる。

『踊るシレノス』
喜びの発露に見えるような神々の踊り。
『窓辺の静物、サン=ラファエル』
嵐が去った後の澄んだ風と音楽のある風景。

第二次世界大戦後のキュビズムの作品においても、社会情勢を反映する装置としてと芸術というよりは、むしろ芸術がたんなる芸術として社会に吸収されていくような秩序の回復が感じられる。

『闘牛士と裸婦』
メッセージから表現そのものへの追求へ。

私たちが普段目にしている風景は、他の人が見ているそれと本当に同じなのか。戦争という強烈なナラティヴのなかで、人々の主体にしかアクセスできない魔術的世界を絵画として視覚化した画家がピカソだったのではないか。そんなことを感じた。

いやいや、そうじゃない!という思いは是非コメントに。

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