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【書評】オランウータンとともに

今回紹介する書籍『オランウータンとともに』*1は,1970年代のはじめ頃から,野生オランウータンの長期研究を世界で初めて行なった女性研究者の自伝です.リーキーズ・エンジェルと称された3人の女性研究者*2のひとり,ビルーテ・ガルディカス博士は,これまでほとんど研究されておらず,謎の類人猿とされてきたオランウータンの調査に挑みました.

師であるルイス・リーキーとの出会い,インドネシアの熱帯雨林ですべてをイチからはじめるフィールドワークの想像を絶する大変さ,ゴリラやチンパンジーと違って大きな群れをつくらない孤独なオランウータンの生きざま,そうした物事が,生き生きと,愛情深い視点で語られます.

オランウータン好きのみなさまには,この本,もちろん楽しんでいただけると思うのですが,私は読んでいきながら,オランウータンだけにとどまらない本書の魅力を見たのです.それはさまざまな「対比」です.似ているけれどやっぱり違うもの同士がぶつかったとき,そこには実におもしろい発見が生じます.この記事では,そうした3つのことがらについて紹介したいと思います.


1. オランウータン孤児とヒトの子育て

ペットとして密猟されたオランウータンの孤児を,ビルーテは野外調査キャンプに引き取り,野生に戻すために「子育て」します.いたずらをしたり世話を要求したりするオランウータンのアカンボウ*3たちにへとへとになりながらも,相互に信頼を構築しあい,彼女は孤児たちに「我が子」としての確固たる愛着を感じるようになります.

スギト (執筆者注: 最初の孤児オランウータン) は私の赤ん坊になった.スギトがどんな時でも体にくっついているため,私の彼に対する愛情はなおさら深まった.私にしがみつくスギトを見おろす一瞬,私は彼が人間ではないこと,私の生物学的な子どもではないことをうっかり忘れることもたびたびだった.

それから時は経ち (舞台はまだインドネシアの熱帯雨林の奥),ビルーテと夫ロッド・ブリンダマウアのあいだに,長男ビンティ (もちろんヒトの赤ん坊です) が生まれます.人類学の教科書に書いてあるとおり,ヒトの赤ん坊はオランウータンのアカンボウに比べて格段に手がかかるため,野外調査をつづけるためには,ベビーシッターを迎え入れる必要がありました.

オランウータン孤児の「子育て」では,オランウータンのアカンボウであってもこんなに愛着を感じることができる!と,ヒトとオランウータンの〈類似〉に驚いたビルーテですが,実際にヒトの子供を育てると,ヒトとオランウータンの〈差異〉に気づきます.我が子ビンティが成長していくにつれ,その違いは際立った印象をビルーテに与えます.

最初の誕生日を迎えるまでには,もうビンティははっきりと人間の特徴を思わせるしるしを示し始めていた.二本足で歩き,話し,道具を使い,食べ物を共有した.オランウータンはこのすべての行動が可能だが,それはもっと大きくなってからで,また人間と同じくらいにまで発達させることはない.

こうした発達上の違いは,人類学の分野では繰り返し語られてきていることですが,実際にオランウータンとヒトの両方を「子育て」した著者の視点から語られると,やはり重みが違うように思います*4.そして,読むからに可愛らしいオランウータンのアカンボウの振る舞いは,読者をとりこにしてしまうことうけあいです.


2. 女と男の葛藤

実は,ビルーテはひとりでインドネシアに調査に入ったわけではなく,すでに結婚していた夫のロッドと,最初から一緒でした.ロッドはビルーテの調査になくてはならない存在として働き,ビルーテと共に調査に出て,写真を担当し,道を切り開き,現地の男性たちと交友関係を結びます*5.

ロッドは非常に「男らしい」性格で,性格の荒い大きなオトナの雄オランウータンと睨みあって打ち負かしたり,違法伐採者を引っ捕らえて連行してきたりします.厳格な人でもあったようで,いたずらっこのオランウータン孤児であるスギトには厳しく接し,結局スギトが成長して野生に帰っていく (もしくは追い出される) まで,ロッドとスギトは反目しあいます.

物語の終盤で,そんなロッドも大きな悩みを抱えていたことが明らかになります.調査と切り離せない病気や栄養失調が嫌で嫌でたまらず,しかし「西洋的男らしさ」で何も言わず愚痴もこぼさなかったこと,研究がうまくいくよう,ロッドは7年半ずっとビルーテをサポートしてきましたが,主役はあくまでビルーテで,自分はそれ以外になにも積み上げていないこと.

「でも僕は何の資格も持ってない.」ロッドは繰り返し言った.「車も銀行口座も抵当すらない.仕事もない.何もない.」

私はここまで読んできて,男性の「強さ」っていったい何なのかと考えこんでしまいました.見た目上の強さの下には,苦しんでいることを表に出せない弱さがあるのかもしれません.仕事や野心や冒険に熱中するよう刷り込まれた男性ジェンダーは,いざそうしたものが取り去られたとき,ぽきっと折れてしまう脆さにもつながり得るのかもしれません.

夫婦はその後,それぞれが自分にとって納得のいく選択をします.本書は,オランウータンの調査記録であるとともに,人類学や社会学でずっと議論になってきた,男女の葛藤について書いた本でもあるのです.以下の1文がとても示唆的で,印象に残っています.

シーザーは「Veni, vidi, vici」,「われ来たれり,見たり,勝てり」という有名なせりふを残し,そしてその地を去ったが,女性ならこう言っただろう.「われ来たれり,見たり,とどまれり」と.


3. 東洋と西洋,あるいは発展途上国と先進国

微笑みを絶やさない建前の下に本音を隠し持ち,多数決を排し全員が納得するまで話し合わねば物事が決まらないといった東洋的な価値観に*6,最初,ビルーテとロッドは戸惑います.しかし,東洋的価値観の尊重し従うべき部分をわきまえ,根回しをし,一方では,個を重視し信念を貫く西洋的な価値観で押すべきところは押し,彼らは,インドネシアでなおざりになっていた自然保護をぐいぐいと実効するものにしていきます*7.

保護区を守るために,公式・非公式という,二重の過程を経る必要があった.つまり公式の過程とは,森林局が正式に境界線を北に移したことであり,非公式な過程とは,シナガさんの居間での財閥会社社長との合意のことである.

当時,ペットとして密猟されたオランウータンのなかには,高値をつけられ先進国に密輸されていくものもいたそうです.先進国の市場経済が,オランウータンの密猟に金銭的インセンティブを与えてしまい,生息数の減少を促進している側面があったのです.熱帯雨林の破壊についても同様で,先進国で高まる木材やパルプの需要を満たすため,オランウータンの生息環境が次々に破壊されていきました.西洋などの先進国が,東洋の自然破壊を非難するとき,ぐるっと回ったその原因の一端が実は先進国自身にもあるという,ねじれた関係が書き出されます.

そして,現代医療の恩恵を受けている北米出身のビルーテとロッドは,死をごく遠いものと感じていました.しかしインドネシアの熱帯雨林では,生と死は隣合わせで,すこし体調を崩していた人が雨に打たれて簡単に亡くなってしまったり,先進国では問題にならないような些細な感染症で人やオランウータンが亡くなっていく現実を目にします.そうした状況は人々の価値観にも影響を与えており,圧倒的な力をもつ自然の前では,絶対的な真実も,自分がコントロールしきれる現実も存在しないのでした.

死とは戦えないのだ.死は認めて受け入れるしかないのだ.ダヤク (執筆者注: 現地の民族の名称) にとって生とは仮の時である.皮肉にも,彼らは死を受け入れているからこそ,人生を精一杯楽しむのだ.
西洋的な価値観にどっぷりつかっていたので,私にはこんな審判は受け入れられなかった.


まとめ

本書は,暑苦しい熱帯雨林のなかで汗と泥と雨にまみれ,マラリアに苦しみ,虫や怪我に襲われながらも,オランウータンの生態を徐々に明らかにしていくスリルに満ちた探検記です.それと同時に,異なる種や性別や文化がぶつかりあったときに生じるさまざまな葛藤や融和も,かなりの分量で生き生きと描かれています.

読む人のバックグラウンドに応じて,さまざまな側面が立ち現れてくるものと思います.もしこの記事を見ている方のなかに,本書を読まれた方がいましたら,どのような感想をもったか,コメントなどで教えていただけましたら幸いです.

(執筆者: ぬかづき)


*1 ガルディカス BMF (杉浦秀樹, 長谷川寿一, 斉藤千映美 訳). 1997. オランウータンとともに―失われゆくエデンの園から <上> <下>. 新曜社: 東京.

引用部分はすべてこの書籍より.翻訳者はいずれも霊長類学や保護活動で活躍されている研究者で,その点からも,誤訳など気にせず安心して読んでいただける本だと思います.


*2 リーキーズ・エンジェルってなに!?という方は「ゴリラ考【人類学者の日常】」の記事をご覧ください.


*3 人類学や霊長類学では,ヒト以外の霊長類の発達段階を表すときにはカタカナで (例: アカンボウ,オトナ),ヒトの発達段階を示すときには漢字で (例: 赤ん坊,大人),表記する慣例があります.本文ではこの慣例にしたがいました.


*4 ビルーテとロッドの長男ビンティは,熱帯雨林の奥でオランウータンに囲まれて育ったため,オランウータン的な行動をするようにもなります.たとえば…

ビンティは2歳になったばかりの時,ジャカルタで超人的な木登りの才能を実演してみせた.(中略) 彼のくすくす笑う声が聞こえた.見上げると,中庭にある6メートル上空の金属製の給水塔の先に彼がいるのが見えた.今でも彼がどうやってあそこに登ったのかわからない.

子供の適応能力というのはなんともすごいものです..


*5 調査地はイスラム社会だったため,女性が表に立つことは望ましくないとされていたようです.


*6「なかなか決まらない話し合いのはなし」にも,戦後すぐの日本における同じような場面が描かれていますね.


*7 とはいえ,現在でも,自然保護は満足のいくレベルには達していないかもしれません.アブラヤシのプランテーション,森林伐採,森林火災など,危機は山積みです.

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