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はい、チーズ、【人類学者の日常】

人類学者であるからには人間のことや人付き合いが大好きなのだろうと思われる向きもあるかもしれないが、とんでもない。私は自他ともに認める人見知りのようで、また大勢の人ががやがやしているところはどうも苦手であることに最近気がついた。人に「迷惑」をかけることを恐れて、頼みごとを口に出せないことも、しょっちゅうである。


写真を撮る

いつだったか、海外で参加したツアー旅行のようなもので、「先住民の村訪問」というスケジュールが組まれていたことがあった。住む場所を定期的に移動する昔ながらのキャンプ生活を営む人びとの集落を、観光客として訪れ、彼らの文化に触れるイベントである。案内された最初に、「小屋のなかに立ち入ったりしなければ写真は自由に撮ってもらってかまわない」と現地のガイドが宣言した。同行者は興味深そうにあちこち歩きまわり、開放的な小屋に生活し、居並んで座ってこちらを眺める「先住民」の人びとを写真におさめていた。

しかし私はそのとき、どうしても、写真を撮ることはおろか、カバンからカメラをとりだすこともできなかった。そのとき限りの観光客を相手にしている商売だから、その人たちは先住民の格好をして先住民のフリをしている一般人かもしれないし、ツアーへの参加費だって払っているのだから、写真くらいは撮ってもよいのではないか…。

しかし、写真を撮るという行為を想像すると、人類学の名のもとに、有り体に言ってしまえば、略奪や搾取や倫理観に欠けるふるまいを行なってきた前時代の人類学者の姿が思い出され、なんだか自分がそうした行為に加担しているような気分になって、落ち着かなくなってしまったのだった*1。


見られることには憎悪がある

写真を撮るという行為は、「見る者と見られる者」という関係性を強く顕在化させる。安部公房という作家が『箱男』という小説のなかで「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」と書いたとおり*2、見る者は見られる者から、良い感情を抱かれない。写真に撮るという行為によって、被写体となる人びとの世界から、やりきれないいたたまれなさによって、私ひとりだけが切り離されてしまうような気分を味わう。

そしてこの「見る者と見られる者」という関係性は、人類学の歴史と切っても切れない間柄にある。植民地や帝国主義の時代以降、生物学的に興味深いとか、学問的に重要であるとか、そうした理由で、人類学者は同じ時代に生きる同じホモ・サピエンスに、遠慮のない目線を向けてきた。それはヒトという存在のより深い理解にもつながった一方、今なお爪痕の残る禍根をももたらしたのであった*3。


はい、チーズ

でもまあ、難しく考える必要はないのかもしれない。気さくな笑顔で「写真を撮ってもいいですか」とひとこと聞けば、それで済む話なのだろうと思う。私は私の「コミュニケーション力」のなさを、過去の人類学者の悪行のせいにしているだけなのかもしれない…。

人類学の歴史を私のなかで私なりに受容することができたとき、人類学者として、私はより広い視野と行動力を同時に得られるのだろうと思う。

(執筆者: ぬかづき)


*1 たとえば、『幻のアフリカ』(ミシェル・レリス [岡谷公二, 田中淳一 訳]. 2010 [1934]. 平凡社) などを読んで、当時の人類学者の倫理観に欠けるふるまいに唖然としたことがあります。

もちろん現代の人類学者は、こうしたことはしません (そしておそらく、前時代の人類学者もみながみなそうではありません)。調査の対象となる人びとと信頼関係を築き、倫理基準を遵守し、研究成果を現地のコミュニティに還元する努力をします。

*2 安部公房. 1973. 箱男. 新潮社.

*3 たとえば世界各地で「先住民問題」が今なおつづいています。また、明治時代における日本の人類学の興りは、西欧の人類学者から研究対象として「見られた」当時の日本の学者たちが、自分たちも「見る側」に回ろうと一念奮起してなされたという興味深い論考もあります (坂野徹. 2005. 帝国日本と人類学: 1884−1952年. 勁草書房)。

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