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まぎれもなく古いヒト

つい先日の2015年10月14日に,人類学者たちをびっくりさせる論文が,権威ある学術雑誌『Nature』に発表されました*1.今回は,その解説をしようと思います.この論文は,中国科学院のLiu博士たちによって出されたもので,中国南部の湖南省の洞窟から,約10万年前のヒト (ホモ・サピエンス) の歯がみつかった,というものです.


ヒトはいつアフリカを出たか?

「あんそろぽろじすと」のほかの記事でも取り上げているとおり,現在地球上に暮らしている人類であるわれわれヒト (ホモ・サピエンス) は,推定で20万年前くらいにアフリカで誕生し,そこから世界中に広がっていきました.これまでの研究では,ヨーロッパや中東における石器や人骨の出土状況から,大部分のヒトがアフリカを出たのは【5万−6万年前】くらいだと言われていました*2.

ただ何事にも例外というものがあり,イスラエルの【10万年前】くらいの遺跡から,ヒトの骨が出土したという研究も報告されていました.この遺跡の結果を尊重するなら,ヒトは5万−6万年前よりもっと昔に,アフリカを出ていたということになります.

ですが,5万−6万年前より古い,アフリカの外にある,明らかにヒトが暮らした遺跡というのは,ほかにほとんど例がありません.このイスラエルの遺跡に暮らしたヒトたちは,たしかに5万−6万年前よりもっと昔にアフリカを出はしたものの,アフリカの外で継続的な暮らしをつづけていくのには失敗した人たちなのだろうと,人類学者たちは考えていました*2.


中国から約10万年前のヒトがみつかる

そんなおりに発表されたのが今回紹介する論文です.中国南部・湖南省のFuyan洞窟から,47本のヒトの歯がみつかりました*3.洞窟の地層の年代や,一緒に出土した動物の生きていた年代から,この歯は8万−12万年前のものであることが示されました*4.

人類学者たちにとって,この結果は非常な驚きでした*5.多くのヒトがアフリカを出て世界に広がるずっと前に,イスラエルどころか,アフリカからもっと離れた中国の湖南省に,ホモ・サピエンスの一部がすでにたどり着いていたことになるのですから.さらに,Fuyan洞窟の歯は,アジアのより北部に暮らした古い時代のヒトの歯と比べて,現代人の歯に似ている度合いがより高かったというのです.

Fuyan洞窟からは石器がみつかっておらず,歯以外の部位 (そもそも出土しているのかどうか,私は知りません) についても報告がなされていません.石器技術や歯以外の部位は,原始的だったのか現代的だったのか,気になるところです*6.また,ほかの地域や時代のヒトとの関係を調べるには,古代DNAの分析が有効でしょう.将来的な研究が待たれます.


新たな発見によって更新される科学

今回の発見によって,ヒトがアフリカを出た年代や,その拡散様式についての議論は,新たな局面を迎えるかもしれません.たとえば,今回の発見は,ヒトがアフリカを出た年代はもっと古いのでは?という仮説をサポートする事実となるでしょう.しかし,ただちに「大部分のヒトがアフリカを出た5万−6万年前という年代は誤りだ!」とかいうことにはなりません.

人類学者たちは,慎重に,これまでの研究で得られた事実の蓄積と,今回の発見が示す事実を考えあわせて,また,まだわかっていない部分については謙虚にそのことを認め,より確からしい仮説を徐々につくりあげていきます.そうしてできあがる仮説も,また新たな発見によって強化されたり更新されたりしていきます.今回のような発見を見るたびに,仮説の設定とその検証によって発展していく自然科学の在り方を,改めて感慨深く思い出すのでありました.

(執筆者: ぬかづき)


*1 Liu W, Martinón-Torres M, Cai Y, Xing S, Tong H, Pei S, Sier MJ, Wu X, Edwards RL, Cheng H, Li Y, Yang X, de Castro JMB, Wu X. 2015. The earliest unequivocally modern humans in southern China. Nature 526: 696–699.

以下のような解説ページも設けられています (英語).

Teeth from China reveal early human trek out of Africa - Nature

日本語で丁寧に解説している記事もあります.

東アジア最古の現生人類化石? - 雑記帳


*2 Mellars P. 2006. Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. Proc Natl Acad Sci 103:9381–9386.


*3 全体的なプロポーションとして,小さなサイズ,うすい歯根,フラットな歯冠といった明らかにヒト的な特徴を示し,それぞれの歯種ごとにもヒトの歯の特徴を明確に備えていたそうです.


*4 歯が出土した層よりひとつ新しい層の洞窟生成物 (石筍) に含まれるトリウム230 (半減期約7.5万年) の濃度を測定し,約8万年前という年代を得ました.また,歯が出土したのと同じ層から出土した動物の種構成などから,12万年くらいまではさかのぼると推定したそうです.


*5 論文のタイトルに見慣れない「“unequivocally” modern human」つまり「“まぎれもなく”現代的なヒト」という語が入っていることから,私は勝手にその驚きを感じ取りました (笑).

参考に,Google Scholarで調べた数値を参考に出すと (2015年10月21日現在),2011年以降で,“obvious(ly)” [= 明らかな] という語をタイトルに含む論文は764件,“surprising(ly)” [= 驚くべき] だと1820件,“unequivocal(ly)” [= まぎれもない] は111件でした.


*6 たとえば,7.5万−8万年前には南アフリカで石器などの狩猟技術の「革新」がおこり,この新たな技術はそれ以降に世界に広がっていったヒトにも受け継がれていったと考えられています*2.しかし,先に紹介したイスラエルの約10万年前の遺跡では,この新たな技術が見られません.Fuyan洞窟のヒトたちの石器技術はどうだったのでしょうか…?

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