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【書評】『ヒトと文明──狩猟採集民から現代を見る』

ヒトと文明』は分子人類学の大家、尾本恵市氏による自然人類学の本だ*1。『生物と無生物のあいだ』で著名な福岡伸一氏は「尾本人類学の集大成」と評したが、この本を一般向けの人類学の解説書だと思って読み始めた人はきっと面食らうだろう*2。この本は解説書でも教科書でもなく、人類学者が人権問題を訴える本である*3。そういう意味ではレイチェル・カーソンの『沈黙の春』に近いのかもしれない。

もちろん、解説書としても読みうる本である。前半部分は著者の自伝と絡めて自然人類学の観点から人類学の総括がなされていく。例えばヒトのユニークさを表す言葉として、ホモ・ファーベル(工作人)、ホモ・ルーデンス(遊戯人)、ホモ・ポルターンス(運ぶヒト)など古今東西の言葉を紹介した上で、筆者はホモ・ドメスティクス(家畜人)を提唱する。ヒトは家畜の特徴(表現型の多様化、繁殖期間と寿命の延長、病気への耐性低下など*4)を兼ね備え、自ら家畜化したと著者は言う。文化人類学・民俗学・言語学を含めた幅広い視点のもとに語られる自然人類学の本は、日本ではあまりないので、これはこれで面白い。著者の「学問としての教養」が生かされている。

そう思って油断していると、本の後半から徐々にヒートアップしていく。先住民の人権問題について熱意のある語り口で訴えかける。フィリピンのママヌワ族(ネグリト)は鉱山開発の影響で住んでいた土地を追われ、森も砂浜も失われた中で生活している。アイヌの人達が古くから鮭を取り聖地とされる川にはダムが作られ、違法であると判決されたにも関わらず放置され、また新たなダムが建設されようとしている。

また先住民問題だけでなく、様々な文化についても人権の観点から切り込む。インドのカースト制度やアフリカ北部で行われている女性性器切除などである。良い文化、悪い文化はないという文化相対主義に対して、人権侵害は許されないとその問題点を指摘する。


人類学の立ち位置

日本の自然人類学者がこのように社会問題に訴えかける例は珍しい。人類学は微妙な立ち位置にある学問である。以下の記事でも触れられているように、人類学には「見る者と見られる者」という関係性がつきまとい、帝国主義の時代の負い目が未だに残っている。

はい、チーズ、【人類学者の日常】

現代の研究者はそのことも十分に分かっていて、だからこそ人権問題には踏み込みづらい。当事者でないものが語るのは、見方によっては奢っているようにも見えるからだ。例えば妊婦や障碍者が抱える問題についての構造とよく似ている。しかも人類学には過去の負い目があり、語りづらさは更に増す。

しかしこの本からは、そのような奢りや引け目は微塵も感じられない。人権問題についての熱意に満ちていて、読んでいるこちらも義憤に駆られる。それは筆者が先住民やマイノリティの立場の側に寄り添い、彼らの置かれている境遇に怒り、なんとかしたいという思いに駆られてこの本を書いているからだろう。そういうヒューマニズムが、この本の根底には流れている。

 科学に心情を持ち込まないのは原則だが、考えてみれば、人類学という学問は直接ヒト(人間)を対象とする点で医学に似ている。医学の原点が患者を病気から救いたいという一種の心情であるのと同様に、人類学者も被験者を単に検査・研究の対象としてではなく、共感や相互理解といった心情をもつことは許されるのではないか。

本の構成に関して、引用として私信が多く、また索引がないこと、一部断定的な表記があるのが気になるが、新書にそこまで求めるのは酷かもしれない。研究人生の集大成として、人類学者が自身の研究の本を出すことは意義のあることであろう。他の研究者にも自分の研究の総括をぜひ書いてほしいと思う。


ヒトを研究するということ

ヒトの研究者だからといって、人権問題や社会問題に興味を持っているとも限らない。社会的な責任を考えなければならないという立場の研究者もいれば、むしろ社会問題に囚われず研究をすることが大事だと思っている研究者もいる。どちらの立場もそれなりの理由・信念があり、どちらの立場もあって良いと思う。だが人類学全体が象牙の塔となり、社会と関わりを断つのはほぼ不可能だ。

私は著者と同じく、人類学も社会や人々の役に立つだろうと思っている。一方で、本当にそうなのか、もしかしたらそうじゃないかもしれないという思いもある。例えば先住民の問題にしたって、この本で扱われているママヌワ族は、遺伝子解析の結果からフィリピンのファーストピープル(2〜5万年前にアジアに来た)とされている。だが、ある集団の先住民の人の遺伝子を解析したとして、もし、たった数百年前に他の土地から移動してきた集団であることが判明したらどうなるのだろう。その民族の「先住民」としての権利は脅かされることになるのだろうか。

そういうことを考え始めるとキリがないのだが、それでも頭の隅で常に考え続けなければならない。正解はなくたって良い案はあるはずだ。人類学が社会とどのように関わっていくかは、人類学者の課題でもあり、希望でもある。

(執筆者:mona)


*1 尾本恵市. 2016. ヒトと文明──狩猟採集民から現代を見る(ちくま新書). 筑摩書房.

*2 例えばこんな感想もあります。
http://sicambre.at.webry.info/201701/article_4.html

*3 と、私が思っているだけなので、著者が本当にそう意図しているかは分かりません。

*4 この部分は具体的に書かれていなかったので、実際にどの程度検証されているかは分かりませんでした。

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