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【書評】フィールドワークの安全対策


調査地に出てデータやサンプルを集めたりするときほど「備えあれば憂いなし」ということわざの正しさを実感するときはありません。こういう道具を使いたかったのに持ってくるのを忘れたとか、こういうデータをとればおもしろいと調査地に入ってから気づいたとか、インターネットの十分につながらない僻地で参照したい情報を自分のPCにダウンロードしてくるのを忘れたりだとか。

そうした備えは効率的に研究成果をあげるのに役立ちますが、我が身を守るためにも重要です。たとえば、調査地が寒冷な気候なら防寒の備えが必要ですし、伝染病の流行地なら予防接種が必要です。親しい人や研究室の同僚・上司に調査の日程や現地の連絡先を伝えておくことで、有事の際の連絡がつきやすくなります。

今回紹介する書籍『フィールドワークの安全対策』*1では、野外調査を行なう研究者たちが、調査におけるさまざまな危機と、そうした危機への対応について、それぞれの経験をもとにさまざまな角度から論じています。よくある安全マニュアルとは異なり、「現場の生々しい」状況がふんだんに述べられており、ドキュメンタリーのような臨場感にあふれています。

ここでは特に、書籍の全体を通じて描き出されていた、人間関係それ自体が研究者の命を助けるセーフティネットになる、ということについて考えていきます。


セーフティネットとしての人間関係

長期間調査地に入って研究をする際には、自分がふだん暮らしている住み慣れた環境と違う場所で生活することになるため、直面する危機もふだんとは違うものになり、またそうした危機への知識や対応について十分な経験がない状況になります。見慣れない毒蛇に襲われそうになったり、生食が危険なごはんを食べてしまったり、極端な場合には調査地で暴動や紛争が勃発したり。そうした危機を乗り越える際には、事前に用意しておいた装備や所属組織の後方支援が助けになると同時に、調査によって築いた人間関係が大いに役立つのです。

たとえば、漁村での調査中に東日本大震災に襲われた研究者が、知り合いの漁業者の助言によって津波から逃れられた事例 (第10章) や、エチオピアの政変 (第11章) や南スーダンでの武力衝突 (コラム3) で、現地の友人の助言どおりに行動したり、長年の友人を頼って戦火から退避することで無事に帰国できた事例は、そのことを明確に示しています。調査地で現地の言葉を使い、現地の習慣にできるだけ溶け込んで人間関係を築き、現地の人びとからも自身の存在を認識されることで、適切なタイミングで適切な助言をもらえたり、研究者自身も信頼できる相手を識別して頼ることができるようになるのです。

その一方で、バングラデシュでの調査地で、研究者の存在が村人のあいだの嫉妬や策略を助長してしまった例 (第9章)、調査リーダーの意思決定が危機に遭遇した際の帰結を左右する例 (第5章) など、現地の人たちとの関係や調査者間の人間関係それ自体が逆に危機を生み出す側面を持っていることも特筆しておく必要があるでしょう。


最後に

研究は未知のフロンティアに挑むものであり、未知の危険がともなう場合も往々にしてあります。というよりそもそも、予測できないところにこそ、本当に重大な危機が潜んでいます。自然環境や社会環境が急速に変化し得る現代社会に暮らす私たちにとっても、そうした重大な危機は決して他人事ではありません。予測していなかった危機に対して現場でどのように振る舞うか、あるいは予測できない危機に対してどれだけ事前に準備をしておくかということについて、本書に紹介されている野外調査の研究者たちの活きた経験は、研究者以外の人たちにもきっと役立つことでしょう。

(執筆者: ぬかづき)


*1 澤柿教伸, 野中健一, 椎野若菜 (編). 2020. 100万人のフィールドワーカーシリーズ第9巻 フィールドワークの安全対策. 古今書院.

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