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タンパク質が明かす壁画の来歴

何百年も昔に描かれた絵画などの貴重な文化遺産について、できるだけ質を悪化させずに後世に残していくことは、現代に生きる我々の責務と言えるかもしれません。この文化遺産の保存や修復には、どのような素材がどのような技術で使われていたかの理解が欠かせません。それらが異なれば、最適な保存・修復方法も異なってくるからです。

ですが、作者はとうの昔に亡くなり、使われていた技術もきちんと記録に残っていないような場合、個別の文化遺産にどのような素材がどのような技術で使われていたかを知るのは困難です。そうした記録の残っていない文化遺産に使われた素材や技術を明らかにするためには、古くから、自然科学の手法が用いられてきました。

今回紹介するのは、最先端のタンパク質分析の手法を用いて、14世紀に描かれたフレスコ画の製作過程や素材を明らかにした研究です*1。


「4人のクララ会修道女」

"A Group of Four Poor Clares (4人のクララ会修道女)"は、14世紀のイタリアを代表する画家であるアンブロージョ・ロレンツェッティによって描かれた壁画です。19世紀に発見され、壁から剥ぎ取られた後、最終的に英国のナショナル・ギャラリーによって購入され、現在は美術館に収蔵されています。

この壁画はフレスコ画の手法のうちの、特にフレスコ・セッコの手法を用いて描かれています。フレスコ画は、まだ水を含んでいる漆喰に絵を描く技法ですが、フレスコ・セッコの技法では、乾燥した漆喰の上に絵を描きます。そのままでは乾燥した漆喰に塗料が定着しないため、卵や膠などのタンパク質が媒材として利用されます。フレスコ・セッコの適切な保存のためには、この媒材タンパク質の正体を知る必要があります。

"A Group of Four Poor Clares" | The National Gallery (CC-BY-NC-ND)


タンパク質の分析

コペンハーゲン大学などの研究者たちが、この壁画から2点サンプルを採取し、質量分析を利用した最先端のプロテオミクス分析によって、壁画に使われたタンパク質を網羅的に調べました*1。プロテオミクス分析は、医学をはじめとして、考古学にも適用されはじめている手法です (参考: 昔のチーズの作り方)

その結果、卵白 (多くはニワトリで、一部アヒルのものが混じる) とコラーゲン (ヒツジとウシ) がみつかりました。卵黄に存在するタンパク質はいっさい発見されませんでした。卵白はニスのように使われ、それを保護するために、上からコラーゲンの糊が塗られたと考えられます。

これらのタンパク質について、紫外線によって生じるダメージを調べたところ、下の層にあるにも関わらず、卵白はコラーゲンに比べて長い期間光にさらされていたことがわかりました。この結果は、後世の保存作業の一環として、壁画が作成された時代よりも後に、壁画の表面にコラーゲン層が塗られたことを示唆します。

この壁画の微細な構造を観察した別な研究では、コラーゲンの層には塗料が含まれず、また壁画の亀裂の中にも入りこんでいることがわかっています。これらの結果も、壁画が作成された時代よりも後にコラーゲンの糊が塗られたという推定と整合的です。


おわりに

そういえば、ひと昔前に話題になった、「酷すぎる修復をされたスペインのキリスト画」もフレスコ画でしたね……。これは極端な例ですが、正確な知識や情報なしに保存や修復を行なうと、貴重な文化遺産の価値をひどく損なうことになりかねません。今回紹介した研究のように、考古遺物に使われるのと同様の手法を文化遺産にも適用することで、それによって保存や修復に役立つ情報が得られるのです。

(執筆者: ぬかづき)


*1 Mackie M, Rüther P, Samodova D, Di Gianvincenzo F, Granzotto C, Lyon D, Peggie DA, Howard H, Harrison L, Jensen LJ, Olsen JV, Cappellini E. 2018. Palaeoproteomic profiling of conservation layers on a 14th century Italian wall painting. Angew Chemie 130: 7491−7496.


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