【書評】ネアンデルタール人は私たちと交配した
「何か一つのことを成し遂げた、と思うなら、次に進め。安穏としていてはダメだ。次は何かを見つけるんだ。」
これはApple社の創業者、スティーブ・ジョブズの言葉です(※1)。今回紹介する本『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(※2)の著者、スバンテ・ペーボは、この言葉を体現しています。
この本はネアンデルタールゲノムの解読と、どのようにして交配の有無が明らかになったのか、分かりやすくかつ詳しく書かれています。それと同時に、この本は彼の自伝でもあり、彼の生い立ちや振られた相手の名前まで、ここまで赤裸々にと思うほど書かれています。洗練された科学書でもあり、手に汗握るスリリングな自伝でもある本書は、一冊で様々な楽しみ方がある良書です。
古代DNA界のスティーブ・ジョブズ
スバンテ・ペーボという人は、言うなれば古代DNA界のスティーブ・ジョブズです(古代DNAについては以前の記事「バック・トゥ・ザ・DNA」をご覧ください)(※3)。彼は研究を通じて人類学に大きな影響を与え、教科書を書き換えるような仕事をいくつもしてきました。ノーベル賞に人類学部門があったなら、間違いなく彼は受賞していたでしょう。
とはいえ彼の古代DNA研究は、本来の研究テーマの合間に、教授に内緒で行う趣味の実験から始まったものなのです(※4)。当時の彼は博士課程の学生で、細胞の免疫の研究をしてきました。しかし幼い頃からエジプト学に興味のあったペーボは、考古学者と話すうちに、遺跡から発掘された骨からもDNA解析できないかと考え始めます。
思い立ったが吉日で、レバーを買ってきてオーブンで焼き、ミイラに近い状態にしてからDNA抽出してみたり、実際のミイラの破片にDNAが残っていないか分析してみたり。ついにはミイラのDNAを抽出し、論文を書きます(※5)。後にそれは現代のDNAの混入だったと分かるのですが、それも本書には隠すことなく書かれています。現代のDNAの混入に苦しんだ彼は、外部からのDNAを遮断する特別なクリーンルームを作ります。そうしてやっと、約4万年前に絶滅したネアンデルタール人たちの、DNAを抽出する作業に取り組みます。
ペーボの手腕
本書のあとがきや解説では、彼は優しく穏やかで誠実な人、という風に書かれていますが、私はどちらかと言うと「信念を貫き、人々に影響を与える人」という印象を受けました。世間でのスティーブ・ジョブズと同じイメージです。
彼がネアンデルタール人のゲノムを解読する際には、協力した相手と関係を切り、新たな手法を取り入れるということをしています。最初はエディ・ルービンと協力し、バクテリアの中でネアンデルタールDNAのクローンを作る方法を取り入れます。その後、この協力関係を断ち切り、次はパイロシーケンス法を取り入れた454社の創立者ジョナサン・ロスバーグと協力します。やがてロスバーグとも手を切って、イルミナ社のパイロシーケンス法を用いるようになります。優しくて穏やかなだけなら、ここまでの決断はできなかったでしょう。このような判断があったからこそ、「2年間でネアンデルタール人のゲノムを解読する」と宣言してから3年半後、ゲノム解読の偉業を成し遂げたのです(※6)。
ネアンデルタールゲノムには驚くべき情報が含まれていました。一番の驚きは、我々ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の間で交配があったということです。ホモ・サピエンスはアフリカから出て全世界に広まりましたが、その拡散の途中において(本書ではおそらく中東だろうと述べられています)、ネアンデルタール人と交配があったのです。その結果、アフリカ以外の地域の人では、ネアンデルタール由来のDNA配列を5%以下の割合で含むことが分かりました。
人類学は人権問題と結びついて捉えられがちです。この事実をどのように発表すればいいか、ペーボは悩みます。ネアンデルタール人のゲノムを受け継ぐ子が、差別の対象になりはしないだろうか。しかしその心配は杞憂に終わったようです。誰も「やーい、おまえの母ちゃんネアンデルタール人!」なんて言ったりしないし、そんなことは馬鹿げています。
そして同時に、学問の領域でもペーボの研究を受け入れない、頑な態度を取り続ける人もいました。けれどペーボの研究結果は多くの人々に受け入れられ、人類学への大きな貢献とみなされました。
デニソワ人の謎
一つのことを成し遂げたペーボは、安穏としていません。次はデニソワ人の謎に突き進みます。
ロシアの考古学者から送られてきた骨片の数々。多くはネアンデルタール人かホモ・サピエンスだろうと思って研究グループの一員が解析していると、不思議な配列を見つけます。これが後にデニソワ人と呼ばれる個体のミトコンドリアDNAでした。
ネアンデルタールとホモ・サピエンスの間では、ミトコンドリア配列の違いが平均で202ヶ所あるのに対し、デニソワ人とホモ・サピエンスの間では385ヶ所(ほぼ倍!)でした。明らかにネアンデルタールとは異なる、第3の人類です。
デニソワ人については、駆け足で話が進みますが、それでも重要な発見があります。デニソワ人はロシアの洞窟で見つかったにもかかわらず、なんと太平洋、オセアニアの人々にそのゲノムが受け継がれていることが分かったのです。このデニソワ人については、どのような形態をしていたのか、どこでヒトと交配したのかなど、まだ分かっていないことが多く、謎は解明しきれていません。
ペーボのその後
しかしペーボは、もう次に進み始めています。ヒトの言語能力と関わる遺伝子、FOXP2は、以前にも「あんそろぽろじすと」で紹介しました。
この遺伝子について、ヒトと他の哺乳類ではふたつのアミノ酸が異なっていることを、ペーボらのグループは発見していました(※7)。このヒト型のFOXP2をマウスに導入することによって、ニューロンの成長の仕方が変化することも明らかになってきました(※8)。このような研究を他の遺伝子にも行うことによって、なぜヒトが他の動物とは異なる進化を遂げたのか、その全体像が明らかになるかもしれない、とペーボは考えています。
きっとペーボはこれからも、次に進み続けるでしょう。
(執筆者:mona)
※2 ペーボ, S (野中香方子 訳). 『ネアンデルタール人は私たちと交配した』文藝春秋 (2015)
※3 古代DNA界のビル・ゲイツは誰かと聞かれたら、私はエスケ・ビラースレウ (Eske Willerslev)を挙げます。二人は古代DNA界の二大巨頭です。ペーボがネアンデルタール人、デニソワ人などの古代人に興味津々であるのに対し、エスケは古代エスキモーなど、ホモ・サピエンスの古代DNAに興味が強いようです。ペーボは本書でも、エスケが「わずか」4000年前のエスキモーのゲノム解読を行ったことを揶揄していて(21章)、ここに彼の競争心が滲み出ていると思います。
※4 趣味の研究が昂じて自身の研究テーマになる、ということはたまに耳にします。例えば雑誌『細胞工学』での連載記事が有名な大阪大学の近藤滋教授も、現在の研究テーマである「動物の縞模様」はポスドク時代の趣味の研究が発端になったそうです。70万もする水槽を買い込み、ボスに内緒で魚を日々観察してたのだとか。教授のエピソードも臨場感たっぷりで面白いです。
※5 Pääbo, S. “Molecular cloning of Ancient Egyptian mummy DNA.” Nature 314.6012 (1985): 644–645.
※6 Green, R. E. et al. “A draft sequence of the Neandertal genome.” Science 328.5979 (2010): 710–722.
※7 Enard, W. et al. "Molecular evolution of FOXP2, a gene involved in speech and language." Nature 418.6900 (2002): 869-872.
※8 Enard, W. et al. "A humanized version of Foxp2 affects cortico-basal ganglia circuits in mice." Cell 137.5 (2009): 961-971.
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