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いかなる物事にも、二者択一ということはありえない

あなたは、目の前の問いに対して、Yesである証拠を探しているだろうか、それともNoである証拠を探しているだろうか。
実際には、Yesである証拠を探せば、いくらでも見つかる。Noである証拠を探しても、いくらでも見つかる。
物事に白黒つけたがる人間は、片方の目を閉じているにすぎない。
「白か黒か」「YesかNoか」「正しいか間違っているか」「善か悪か」を問いただそうとする人間は、物事を平面的にしか捉えていない。しかし、私たちは二次元ではなく三次元の世界に住んでいる。つまり、広がりと同時に奥行きのある世界だ。
両方の目を見開いてはじめて物事は立体的に見える。二つの目を見開くことで、右と左、遠と近がはじめて融合する。目が二つあることの意味は大きい。

「二兎追う者は一兎も得ず」と言うが、実際には、二兎追わなければ一兎も得られない。二つのうちの片方を諦めることは、欲しいものを手に入れる方法論の半分しか覚えないことに等しい。方法論の半分で得られるものは、半分ではなくゼロである。
「せめて~だけは」と思う気持ちが自分を追い詰め、おとしめ、その「せめて」さえも不可能にしてしまう。
二兎を同時に得る方法論は、一兎を得る方法論とは次元が違う。二兎を得るコツは、三兎目を視野に入れることである。ただし、三兎とも得ることが目的ではない。三兎を得るつもりで一兎を得よ。

いかなる物事にも、二者択一ということはありえない。選択肢は常に複数存在する。
二者択一を迫られたら、両方を可能にする第三の選択肢を探すべし。第三の選択肢とは、二つの選択肢の「他に」あるのではない。もしそうなら、あなたはそれを選ぶ気にはなれないだろう。第三の選択肢とは、二つの選択肢を同時に満たし、なおかつその二つを超えたものであるはずだ。それを見つけたとき初めて、あなたの両目が開かれる(場合によっては、第三の眼も)。

「そんなものが考えつくのか?」
そのように考えているうちは考えつかない。
あなたが卒業しなければならないのは、「これ以外に答えはない」という考えそのものである。

それでも人生にはどうしても二者択一を迫られる場面があるだろう。もちろんそのときあなたはどちらかを選ぶ。しかし、選ばなかった選択肢が消えるわけではない。
二者のうちの一方を選ぶことは、答えではなく、答えに至る第一段階を踏み出したにすぎない。卒業とは入学の別名である。
選ばなかったもう一方は、いずれ姿を変えて再びあなたの前に立ちはだかるだろう。そのときあなたは一段階上の開眼を迫られる。
人生のステップアップと目が開かれることは常にセットだ。

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アンソニー  K
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