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シリーズ「新型コロナ」その10:日本政府への緊急提言

医療の四象限

■台湾はなぜ早期収束できたのか

台湾は、この新型コロナウィルス対策において、早々に高い成果を挙げたようだ。その要因は何だろう。
PRESIDENT Onlineは、次のように伝えている(筆者抜粋)。
https://president.jp/articles/-/34226

『新型コロナウイルスへの対応の速さで、台湾政府は世界的に評価を高めている。
事態の悪化に先んじる迅速な決定、次々と打ち出される合理的できめ細やかな措置。厳格な防疫態勢、マスクの配給システムや国民への積極的な情報公開、さらに中小企業やアーティストへの支援策まで・・・。
なぜそこまでスピーディなのか。台湾の政府系シンクタンクで長年顧問を勤めていた藤重太氏は、「日本は論功行賞などで素人でも大臣になってしまうが、台湾はその分野のプロでなければ大臣にはならない。この政治システムが最大の理由だ」と指摘する。
「パソコンに触ったことのないIT担当大臣」など、台湾ではありえない。
台湾では国民の直接選挙で選ばれる総統が行政院長(首相に相当)を決め、その行政院長が中心となって閣僚を任命する。最大の特徴は、「大臣」に相当する人々が誰ひとり「国会議員」ではないという事実だ。行政院長や部長・政務委員(大臣)は、立法委員(国会議員)ではないのだ。』

大臣が議員も兼ねることを是とする日本の政治では、立法府と行政府が微妙に混交していることになる。これを称して「三権分立」と呼んでいるわけだ。

また台湾は、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の危機を経験した結果、必要な法整備がすでにできていたことも、早期収束の大きなポイントだったようだ。

■「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の偏り

とはいえ、「隣の芝生の青さ」に指をくわえている場合ではない。
新たな法整備や行政改革はさておき、今すぐにでも打っていただきたい対策を、今回私は日本政府に緊急提言したいと思う。
それは、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーの見直しである。
この会議は、新型コロナウィルス対策において、国の命運を担う政府の重要な「ご意見番」的役割の集団である。その人選に、私は大いに苦言を呈したいと思う。

あらゆる学問分野、この世の森羅万象を総べる「インテグラル理論」の提唱・実践者であるケン・ウィルバーは、自身の理論をどう実践していくかについても、分野別に様々な提言を行っている。
たとえば、医療の分野にインテグラル理論を導入する場合、医学分野の専門家に限定せずに、この記事冒頭の図(筆者手書き)のような4つの異なる分野の専門家をまんべんなく揃えて、患者の治療にあたることを推奨している。(「インテグラル理論」より)
私は、この「4象限」の考え方を応用し、「いじめ、虐待、ハラスメント」といった社会問題にどう対処すべきかを、ひとつの組織論としてまとめた本を書いた(現在、某出版社より出版準備中)。
この考え方にてらしてみると、現行の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバー(下記)は、特定の分野の専門家にあまりにも極端に偏り過ぎている。

●座長
脇田 隆字 国立感染症研究所所長
◎副座長
尾身 茂 独立行政法人地域医療機能推進機構理事長
〇構成員
岡部 信彦 川崎市健康安全研究所所長
押谷 仁 東北大学大学院医学系研究科微生物分野教授
釜萢 敏 公益社団法人日本医師会常任理事
河岡 義裕 東京大学医科学研究所感染症国際研究センター長
川名 明彦 防衛医科大学内科学講座(感染症・呼吸器)教授
鈴木 基 国立感染症研究所感染症疫学センター長
舘田 一博 東邦大学微生物・感染症学講座教授
中山 ひとみ 霞ヶ関総合法律事務所弁護士
武藤 香織 東京大学医科学研究所公共政策研究分野教授
吉田 正樹 東京慈恵会医科大学感染症制御科教授
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/konkyo.pdf

ほとんどが医学・疫学・ウィルス学の専門家、かろうじて一人法律家が混じっている程度。相手がウィルスなのだから、こうした専門家を集めるのはしごく当然のように思える。しかし、こうした極端な「専門化」のあり方は、パラダイムとしては19世紀型である。

■統合的な新型コロナウィルス対策をシミュレーションする

では、(21世紀の)新型コロナウィルス対策において、どのようなメンバー構成が「インテグラル(統合的)」なのかを、以下にシミュレーションしてみよう。

●右上象限(個的-外面的、行動的)
〇必要な対策:
PCR検査の体制強化(あるいは新しい検査方法の開発)
診断基準・基本治療方針などの策定
治療薬・ワクチンの開発
感染予防に関する個人の行動変容指導(「家庭の医学」的な知識)
免疫力を上げる生活指導(食事、運動など)

〇関連する専門分野:
医学、生理学、感染症学、疫学、看護学、衛生学、栄養学

●右下象限(集合的-外面的、社会的)
〇必要な対策:
臨機応変な超法規的措置
症状に応じた感染者の隔離行政(発熱外来、ホテルなど)
一般患者との区別(動線分離、病室設計なども含め)
様々な財源確保(必要なリソース、国民への経済補償などのため)
検査機器、人工呼吸器、その他の医療リソースの確保
医療従事者の人的管理(健康面、仕事の流れなど)
社会全体の行動変容指導(市民生活、営業、移動など)
国民へのインフォームドコンセント
新たな法整備
すべてをシステム(プロジェクト)として一元管理する

〇関連する専門分野:
政治・経済学、社会学、医療政治学、法学、危機管理学、システム論

●左上象限(個的-内面的、志向的)
〇必要な対策:
感染者やその家族の精神的ケア
国民全体の内面的ケア
精神的に免疫力を上げる指導

〇関連する専門分野:
精神医学、心理学、哲学、カウンセリング、精神神経免疫学

●左下象限(集合的-内面的、文化的)
〇必要な対策:
医師と患者間のコミュニケーション改善
感染者の家族、および一般市民の文化的啓発活動
この専門家会議全体の取りまとめ役
プロジェクト全体の組織管理(説得、交渉、調整、意思決定、伝達)

〇関連する専門分野:
医療人類学、臨床教育学、倫理学、コミュニケーション学、医療ジャーナリズム、病の記号論

以上のシミュレーションからも一目瞭然だが、現状の新型コロナウィルス対策においては、右下象限の負担がかなり大きいということが言える。しかも、日本の現状では、明らかにこの象限がうまく機能していない。この分野を、医学畑の人にやらせるのは無理がある。医療従事者が本業に集中できるように周辺を整備する役割だからだ。医療従事者がこうした周辺的な業務から解放されれば、どれだけ安心して治療に専念できるだろう。
左上象限は、今はまだそれほどクローズアップされていないが、これから長期戦になったときに、大きな問題になるだろう。東日本大震災などのときもそうだったが、物理面の支援が一段落すると、必ず心の問題が浮上する。ちなみに、私は自主的に(民間レベルで)この象限を分担しようと思っている(平時のときから常にやっているが)。
左下象限は、実は、組織活動をするうえでもっとも重要でありながらも、意外に見過ごされている分野である。この分野の専門家が、この専門家会議全体の取りまとめ役になれば、会がスムーズに進行し、効率のいい有意義な結果を期待できるはずだ。また、この分野の専門家は、中央行政と地方行政の橋渡し役にもなれる。いわば、感染症対策プロジェクト全体の取りまとめ役ということだ。少なくとも、医学分野の人が座長を務めるよりも、よほどましである。

いずれにしても、右上象限(医学畑)は、感染症対策という全体のストーリーの4分の1に過ぎないことが、おわかりいただけるだろう。

■狭い専門分野に凝り固まることの弊害

医者は一般的に、大学の医学部において「医学」あるいは「医術」について集中的に学ぶが、たとえば、より多くの人に、適切な医療を安全・迅速かつ効果的に提供するには、全体的にどのような社会システムが必要かを考案する医療政治学・医療社会学といった分野に関しては素人のはずだ。
あるいは、「医療人類学」「医療史学」といった学際的な学問については、特に今の日本のアカデミズムの世界の慣習では、まずもって学ばない。
ましてや、「コミュニケーション学」といった分野の教育・訓練となると、まず皆無に等しいだろう。ところが、いざ患者と(あるいは社会と)対面するときは、医学的観点(患者をどう治療するか)と同じくらい、コミュニケーション技術(患者や社会とどう意思疎通するか)が重要になってきたりする。医者の態度次第で、患者の容体が悪くも良くもなる、といった例はいくらでもある。私の知る限り、同じ医学分野でも、精神科医の方がまだそうした観点を重視しているようだ。
今回のこの感染症対策は、一人の患者とどう意思疎通するか、というレベルの話ではない。全国民とどう意思疎通するか、という問題である。たとえば「最低7割、極力8割減」というもっとも基本的な政府メッセージが、いまだに国民の間に浸透していないのは、その数字の根拠(計算式)がしっかり伝わっていないからだ。
はっきり言っておこう、「出歩かないでほしい」と言われても出歩いてしまう原因は、ズバリ「不安」である。この「不安」が、ある一定のレベルまで引き下げられれば、誰も出歩かなくなる。この「不安」の種類にも、大別して「医学上の不安」「政治・経済、社会制度面での不安」「心理的不安」「対人関係上の不安」という具合に、やはり最低4種類ある、ということだ。したがって、その不安の解消の仕方にも4種類ある。
たとえば、4象限のうち、この事態への対処として比重が大きいのは右下象限だと述べたが、この右下象限の仕事を簡単に言うと、「人、物、お金を動かす体制づくりと運営」ということだ。この三つの事柄の管理システムがしっかり整備され、滞りなく順調に運営されていると納得できたとき、人は初めて安心するのだ。
日本の政治は、どうも昔からこうした取り組みが苦手のようだ。一言で言うと、「地に足のついた統合的なヴィジョンと、それを実現するロジックがない」ということだ。

一方、海外では、こうした特定の学問分野の垣根を取り払おうという試みは、遅くとも20世紀後半からは頻繁になされている。
ウィルバーによれば、「実際、世界中の医療機関や保健機関において、4象限モデルが次々と採用され始めている」という。(前掲書より)
日本は、この手の試みに関しては、情けないぐらいの後進国だ。

「学際」ということに関しての一例を示すと、疫病や生物学の分野を人類史的観点から考察した著作の多いフランスのジャック・リュフィエ教授は、もともとの専門は「形質人類学」という分野で、そうした観点から「医療人類学」という新しい分野の草分けの一人ともなっている。
教授は、その著書「ペストからエイズまで ―人間史における疫病-」の中で、こう述べている。

「医療人類学の試みは、空間と時間とにおいて大きな感染性疾患に対する適応形態を辿るだけではなく、さらに、病気、習慣、信仰ないしは心性の間の関係を時と場所とに応じて検討する必要に迫られた。このことは、われわれの無知を測り知ることとなった。人類の病歴に関して解明できていない不確実な点、免疫による《防御》過程のいまだに解明されていない神秘は、未来に対していくつかの質問を不安のうちに提出させることになる。」

この言葉は、新型コロナウィルス対策を考えるにあたっても、医学的な見地だけではなく、歴史、文化、信仰、あるいは政治といった文脈においても検討する必要を迫っている。
それと同時に、日本の感染症対策は、台湾のそれでもなく、戦前の日本のそれでもなく、「今の日本のそれ」でなければならないことも示唆している。しかも、「未来」を見据えた「今」である。
この極めて困難な作業を効果的に、かつ安全に執り行うには、とても医学・疫学分野の専門家だけでは足りない。

こうした緊急事態において、人はウィルスが原因でだけ死ぬわけではない。医療体制の不備や、社会制度の不備、人や社会との関係性のストレス、あるいは単に漠然とした不安や絶望感といった原因でも死ぬのだ。こうした事態に対して、右上象限の専門家だけではとうてい対処できない。

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