見出し画像

夢と意識の状態(ステート)

■第四・第五の意識状態

ピアジェ、マズロー、エリクソンなどの先駆者に始まり、ゲブサー、グレイヴス、レーヴィンジャー、キーガン、クック=グルーター、コールバーグ、オファロンらに受け継がれた近年の発達心理学の分野は、人間の意識発達にはいくつかの段階(レベル)があることを示してくれている。
また、ソーンダイク、ガードナー、ペイン、ゴールマン、サロベイ、メイヤー、ビーズリーといった研究者は、人間の知能(知性)の発達が多重的であり、複数のラインの同時進行あるいは時に相乗作用によって起きることを示してくれている。
人間の意識発達を考える場合、レベルとラインに加え、もうひとつ重要な尺度がある。それは意識の状態(ステート)と呼ばれるものだ。
今まで私たちは、人間の意識状態といえば、昼間起きて活動している(覚醒)状態、夢をみている浅い眠りの状態(REM睡眠)、自分では意識できない深く眠っている状態(ノンREM睡眠)の3種類だけだと考えていた。ところが、特に瞑想に関する生理学的な研究から、深い瞑想状態(いわゆる「変性意識状態」)に達した人の示す意識の状態は、他の3つの状態のどれにも該当しない(あるいは3つの状態を兼ね備えたものである)ことがわかってきた。ごく簡単に言うと、肉体は深い睡眠状態にありながら、脳は起きて活動状態にあるときよりさらに活発に活動している状態だという。つまり、肉体は眠りにつき、意識だけが全方位的に「醒めている」状態ということだ。
ところが、話はこれで終わりではない。何と、いわば「第五の意識状態」とも呼べるものがあるという。つまり、起きて活動しているときにも、REM睡眠のときにも、ノンREM睡眠のときにも、深い瞑想状態のときにも、一貫して同じ意識状態が継続するような、そんな人が実際にいるというのだ。「変性意識」が「通常意識」になってしまっている、と言ったらいいのだろうか。簡単に言うと、いわゆる「悟り」を啓いた人の意識状態は、そのようなものだという。つまり、本来は意識がないはずの深い眠り(ノンREM睡眠)のときでさえも、意識を保っているというのだ。逆に言えば、目が覚めている状態でも、深い眠りのときと同じ意識状態を保っているというのだ。
もちろんそんな意識状態に一足飛びになれるはずもない。段階を踏んだ「修行」が必要だ。そんな究極の意識状態になることにどんな意義があるかといえば、そんな人は、悩まない、葛藤しない、恐れない、ジタバタしない、騒がない、うろたえない、つまり心が波打たない、ということらしい。これは、そうした感情がなくなるということではなく、そうした感情を抱いている自分を静かに「観ている」という意味だ。別の言い方をするなら、自分の意識の現前で展開するすべての現象(たとえ内面的な「自己」という現象でさえ)を、ただありのままに「見ている」状態だという。それをウィルバーは、「純粋な観照者(目撃者)」の状態(あるいは「不断の観照意識」)、あるいは「霊(スピリット)の眼」と呼んでいる。
そして、さらに続きがある。そのうち、この「眼」さえもなくなるという。つまり、見るものと見られるものの「二元」さえも超越し、「非二元」の状態になる、というのだ。簡単に言うと、「あなたがコスモスを観ているのではない。あなたがコスモスなのだ」というわけだ。
禅の世界で言うと、「悟後の修行」というものがある。悟った後にも、さらなる修行が必要だというのだ。己を完全に滅却し、非二元の状態になるまで修行は続く、ということか。

ここから先は

6,136字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300

無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。