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大災害の夢が意味するもの

2019年4月某日、おそらく生涯忘れられないであろう強烈な夢をみた。
東京に大地震が起きる。
たまたま街を歩いていた私の目の前で、高層ビルがドミノ倒しのように次々と倒壊していく。
ところが、不思議なことに、音もしなければ、埃も立たない。おそらく色もついていなかったと思う。地震で揺れていることは確かなはずだが、妙な静寂感さえある。身の危険もそれほど感じない。
それでも東京の街は確実に容赦なく瓦礫の山と化していく。再生不可能な巨大な破壊・・・。
逃げ惑う人々。ちりぢりに避難し、身を寄せ合う人々・・・。

そんな中、とりあえず私は(そのとき借りていたという想定の)自宅アパートに残してきてしまった貴重品の入ったバッグを取りに戻らなければならないと思っている。しかし確実に倒壊しているであろうアパートに戻り、瓦礫を掘り返して運よくバッグを見つけられたとして、そこに入っているはずの、やれ財布だ、やれ免許証だ、やれ預金通帳だ、という貴重品を回収したところで、いったいどうなるものだろう、とも思っている。もはや、そんなものは役に立たないではないか。そう考えると、バッグに未練はなくなる。
むしろ、東京が廃墟と化し、法も秩序もなくなってしまった今、ほしいと思うもの、使えそうなものは、その辺からいくらでも調達できるのではないか?
では、自分が今いちばん欲しいものとは何か?
そんなことを考えているところで、目が覚めた。
強烈な悪夢のはずだが、恐怖よりも達観というか、むしろ清々しささえ感じている自分がいた。
「起こったことは、起こったこと。あとは野となれ山となれ」という感じなのだ。

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