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旭川女子中学生いじめ凍死事件

2021年2月、北海道旭川市の女子中学生が、他校を含む中学生男女から、わいせつ画像の撮影を強要され、それを拡散される、自慰行為を強要される、などのいじめ(性的暴行)を受け、それを苦に自死するという事件が起きた。
学校側は、これがいじめであることを終始否認、むしろ被害生徒の方に以前から自殺願望があったとし、説明会に遺族側が弁護士の同席を望んでもそれを容認しなかった。
被害生徒の母親が学校を相手に調査を行ったところ、関係者から信じられない言動が次々に飛び出した。
なかでも、この中学校の教頭の弁は耳を疑う。

教頭「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみて下さい」
教頭(被害者がわいせつ画像を撮影させられていた事実を知らされ)「これは単なる悪ふざけ。いたずらの延長だったんだから。もうこれ以上、何を望んでいるですか」
母親「じゃあ、娘の記憶消してください」
教頭「頭おかしくなっちゃったんですか? 病院に行ったほうがいいですよ」
母親「学校に通うというのは、とても怖くてできないと思う」
教頭「僕なら怖くないですよ。僕は男性なので、その気持ちはわかりません」

被害者の中学校の元校長の弁(文春の取材に対し):「何でもかんでも、イジメとは言えない」「当然悪いことではあるので、指導はしていました。今回、爽彩さんが亡くなった事と関連があると言いたいんですか? それはないんじゃないですか」「子供は失敗する存在です。そうやって成長していくんだし、それをしっかり乗り越えてかなきゃいけない」
(以上、Wikipediaより)

もちろん、この中学校は最悪の対応だ。
しかし、残念ながらこの中学校だけが特別なわけではない。
「いじめを苦に自殺」という事件が発覚すると、学校側は必ずと言っていいほど、この手の「言い訳、弁明、自己防衛、責任転嫁、事態の矮小化」に終始し、被害者をかばうどころか、逆に加害者を擁護したり優遇したりする態度を貫こうとする。
第三者的な立場の人間からも、いじめ、虐待、ハラスメントの被害者に対し、ときどき次のような発言がなされることもあるようだ。
「いじめの原因は被害者にもある」
「加害者とよく話し合って、自分たちで解決(和解)してはどうか」
「多少のいじめは心の抵抗力をつけるのに必要なことだ、社会勉強だ」
なぜこんな論理がまかり通ってしまうのか・・・?

私は、2月5日の講演会で、加害者グループ・関係機関・被害者の三者をめぐるこうした事情に隠れている「共通の構造」を明らかにするつもりだ。

当日、講演会をYouTubeにてライブ配信予定:


FBのイベントページ:

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