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くり返しみる悪夢に注意(夢の学び14)

いみじくも「夢の学び人」を自任するなら、たとえ楽しい夢、愉快な夢、快適な夢をサラっと受け流したとしても、決して「みなかったこと」にしてはならない夢があります。それはくり返しみる悪夢です。
何をもって「悪夢」とするかは、夢をみた本人の主観です。たとえ人に話したときに「他愛のない夢だ」と言われたとしても、本人にとって不快な夢だったら、それは悪夢です。なおかつくり返しみるなら、それはもっとも重要で緊急度の高いメッセージなのです。もしそれを無視し続けたとしたら、同じ悪夢をみ続けるだけではなく、より強迫的になるかもしれないし、ある種の精神的症状が出るかもしれません。あなたは夜寝るのが怖くなり、不眠症になるかもしれません。そんなとき医者に行ったら、「悪夢をみ続けて、不眠症になったって? それはお気の毒です。では、睡眠導入剤を処方しておきましょう」と言われるのが落ちです。これは危険極まりない対処法です。悪夢をくり返しみることは、宇宙船の中でアラームが鳴り続けているのと同じです。あなたはアラームが鳴らなくなる(回路を遮断する)処置をして、「ああ、よかった。これで安心だ」となるでしょうか?
大変恐縮ですが、現代医学は、この過ちを犯し続けているのです。

さて、かくいう私にも、くり返しみる悪夢がありました(あえて過去形にします)。何年も何年も、私はまったく同じ悪夢をみ続けました。ストーリー展開は少しづつ違うのですが、シチュエーションはまったく同じなのです。夢の中で、私はとっくの昔に大学を卒業した人間として登場します。ところが、なぜか相変わらず「小学校」に通っているのです。高校でも中学でもなく、いつもなぜか小学校なのです。その日がその小学校の卒業式の日、という設定の場合もあるのですが、なぜか私は成績表も卒業証書ももらい損ねて、翌日からまた同じ教室に通わなければならない、という夢の場合さえありました。私はまるで「シーシュポスの神話」のように延々と小学校に通い続けているのです。
神を欺いたシーシュポスは、神々の怒りを買い、大きな岩を山頂に運んでは岩が転がり落ち、また運んでは転がり落ちる、という延々と続く罰を与えられます。
いったい私は誰からどんな罰を与えられているのでしょう?
とにかく、この悪夢が言わんとしていることは、あまりに明白です。私は自分の実力よりはるかに劣るアイデンティティに甘んじている、ということです。
私は何年にもわたって、いかに自分のアイデンティティ・レベル(社会的な地位も含めて)を上げていくか、そのことばかりを考え続けてきました。今でも、それに変わりはありません。
ところが、振り返るなら、ここ1年ぐらいは、この悪夢をまったくみていないのです。この1年で何があったのでしょうか。
この話は次回に続きます。

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