見出し画像

プーチンの二面性をどうするか?

■ウクライナ戦争終結の条件

前回の投稿でプーチンの二面性についてご紹介しました。
「太陽のプーチン」は、欧米諸国を敵対視するプーチン、「月のプーチン」は、ロシアを欧米諸国の仲間入りさせたいと思っているプーチンです。
そして、欧米諸国は「月のプーチン」に気づいていない、とドゥーギン氏は指摘しています。

ここにこそ、戦争終結の突破口があります。
単純な話、プーチン自身が自分の二面性に気づけば、戦争を続ける意味はなくなります。
しかし、そう簡単にはいきません。
そうなるには、いくつかの条件が整う必要があります。それを思いつく限り列挙してみましょう。
○バイデンをはじめとする西側諸国のリーダーたちが、自分たち自身の二面性に気づく。つまり「私たちは、ロシアを軍事的脅威と感じると同時に、ロシアを重要な貿易相手国だと認識してもいる」という具合いです。しかも、この二面性のうち、むしろ後半の方が比重が大きい、ということも知る必要があります。そのうえで、ロシアにどのようなメッセージを送るのか、ということです。
○すべてのロシア兵(軍関係者)が、プーチンの二面性(むしろ「月のプーチン」の方が比重が大きい)に気づき、この戦争の無意味さを思い知り、一人でも多く銃を置くこと。
○西側諸国の政府レベルでも民間レベルでも、避難民だけでなく、ロシアの投降兵や亡命兵に対しても受け皿をできる限り多く用意すること。
○世界中の人が、自分自身の中の「二面性」(太陽の自分と月の自分)に気づき、太陽と月を共存させる(相反する二つを統合する)こと。

おそらくあなたは、3つ目までは一連の流れだと感じるかもしれませんが、3つ目と4つ目の間には大きな隔たりがあるように感じるのではないでしょうか。
これらはいわば「上位条件」で、おそらくそれを満たすための「下位条件」が無数にあるでしょう。つまり、上位条件同士の間を下位条件で埋める必要があるのです。
たとえば、投降や亡命によってロシア兵が減ったとき、ウクライナ側がここぞとばかり攻撃を激化させたり、ましてや今度はロシア領土を侵略したり、といったことが起きたとしたら元も子もありません。
つまり、ひとつの動きで終わるのでなく、すべての条件が連動する必要もあるでしょう。
ここでは、そのいちいちの「下位条件」については触れません。

■私たち自身の中のプーチン

さて、肝心なのは、3つ目までと4つ目の間の隔たりをいかに埋めるか、ということです。
これがいわば、私たち一般の民間人が誰でも今すぐできる世界平和実現のための取り組みなのです。いえ、それどころか、これに今すぐ取り組まないと、世界平和どころか、第二・第三の「プーチン的現象」が次々に「生産」されることにもなりかねないのです。

「われわれ自身のなかのヒトラー」を書いたスイスの医師にして思想家のマックス・ピカートは、ナチスが出現した背景を「内的関連性の喪失」だと言っています。

○「ナチスの世界は、関連性の喪失の上に成り立っている。こうした世界においては、人々は簡単に戦争をおっぱじめ、簡単に戦争を忘れ、そしてまた簡単に戦争に取りかかる」
○「ナチスの残虐行為は、いわば工場の装置からあるいはすっかり機械装置と化してしまった人間によって、発生した」
○「ヒムラーがバッハ演奏者であったり残虐行為を指揮したハイドリヒがモーツァルトを聴いて涙することは不思議ではないのだ。殺人とモーツァルト、ガス室と演奏会場、それが平気で並んでいるのだ。それは関連性を喪失しているからだ。」
○「今の瞬間にひとりの子供の腕をやさしく撫でているヒムラーのその手が、次の瞬間には死の部屋へと毒ガスを吹き送るハンドルのうえを撫でるのである。」
○「テレビ、ラジオ、新聞などは、単に無関連的でバラバラというだけにとどまらず、関連のない世界を製造している。もろもろの事物がはじめからお互いに関連しないように、次々に忘れ去られていくように事物を製造する。こうしたバラバラの外部世界は、はじめから人間の内部の無関連性、非連続性にねらいをつけて作業計画を立てているのであって、関連性喪失の状態を種にして仕事をしているのだ。だからヒットラーは、こうした関連性を喪失した社会の中で、随所に何度でも顔を出すことによって、その他の支離滅裂な関連性なきものより目立つ存在になった。人々は彼に馴れ、彼を受容するようになった。それはちょうど新聞紙上の雑多な広告の中に繰り返し繰り返し出てくる練り歯磨きを、人々が買うようになるのと同様である。」

われわれ自身のなかのヒトラー

私たちは、テレビのニュース番組で、ウクライナの悲惨な情勢が映し出された次の瞬間に、大谷翔平がホームランを打った映像を見せられ、また次の瞬間に都内で強盗があった報道を見せられるとき、そうした一連のニュースに感じる「並列感」や「分裂感」から目を離してはいけないのです。それらを何の関連性もない個々バラバラな事象とみなした瞬間、そうした私たちの心の隙間に、第二・第三のプーチンが巧みに忍び込むでしょう。

プーチンが、自分の中の相反する二人のプーチンに気づくこと、そして私たち自身が、自分の中のプーチンと、プーチンを毛嫌いするもう一人の自分に気づくこと、この二つの内的事象の関連性から、私たちは決して目を離してはいけないのです。

■生き返るためにいったん死ぬこと

プーチンにしろ、私たち全員にしろ、相反する二つの自分が対立している状況は、無意識の中で起きていることです。相反する内的事象の一方しか意識できていない、という点が問題なのです。意識しているなら、プーチンも侵略戦争など起こさなかったはずなのです。
私は様々な記事で、「成長とは、連続する無意識の意識化である」ということを書いてきました。子どもは心の多くの領域が無意識状態です。それが徐々に意識の領域へと開き出されていくことで成長するわけです。成長するとは、簡単に言うと「子ども」が「大人」になり、「大人」が「もっと大人」になり、「もっと大人」が「超・大人」になる、ということです。
あなたがもし「大人」なら、とりあえず「もっと大人」になる必要がある、ということです。もちろん、あなた一人がそうなったとしても、大勢に影響はないかもしれません。したがって、戦争を終結させるためには、地球市民としての全ての人の成長の動きを連動させる必要があります。
つまり、世界中の人が一斉に、とりあえず「大人」から「もっと大人」になる、ということです。さらに、できれば「もっと大人」から「超・大人」になることです。

「あまりに漠然としていて、つかみどころがない」とあなたは思うかもしれません。そこで、この動きをもう少し具体的に見てみましょう。
プーチンが「月」の自分に気づくことを想像してみてください。
ドゥーギン氏は、自分で言う通り、まったく迷いのない根っからの愛国者のようです。なので、欧米諸国に敵対する「太陽のプーチン」には共感できても、欧米諸国にすり寄ろうとする「月のプーチン」に対しては、軟弱で優柔不断で矛盾だらけの「腰抜け」だと思っているようです。
したがって、プーチンが「月」の自分に気づくということは、そうした側近たちへの「裏切り」を意味し、国のリーダーとしての不適任を認めることであり、権力の失墜、完全なるアイデンティティの喪失を意味します。だからこそ、自分の「月」の部分を無意識に抑圧しているわけです。国のリーダーが抑圧されていれば、抑圧的な政策となり、その結果、国民も抑圧されます。それが今のロシアです。日本も先の大戦下ではそうだったはずです(おそらく、もっと激しく)。

皆さん、わが身に置き換えて想像してみてください。
自分の「月」の部分を認めるということは、今まで苦労して積み上げてきた社会的信頼や実績や地位などをすべて失い、作り上げてきたアイデンティティを完全に崩壊させるようなことです。あなたなら、「もっと大人になる」という理由で、それを選択できるでしょうか?
プーチンが「月」の自分に気づくということは、太陽と月の間で激しい葛藤を経験する、ということでもあります。それは、喩えるなら「ハムレットの究極の葛藤」、つまり「生きるべきか、死ぬべきか」ということです。もちろん、この究極の葛藤が生じたとき、たいていの人が「生きる」(今までの自分を継続させる)という選択肢にしがみつくはずです。誰も、地位や名誉や実績や社会的信頼や財産を失いたいとは思わないはずです。しかし、この葛藤が統合へと向かうためには、間違いなく「死」を選択しなければならないのです。もちろんそれは「模擬的な死」です。「旧い自己」をいったん葬り去り、まったく「新しい自己」に生まれ変わる、ということです。チョウが誕生するためには、サナギが死ななければならない、ということです。

■「大人」から「もっと大人」への成長プロセス

ここまでをいったんまとめておきます。
ウクライナ戦争を終結させるには、プーチンが自分の二面性に気づく必要があります。そのためには、西側諸国のリーダーをはじめとする世界中のなるべく多くの人が、自分の二面性に気づく必要があります。
人間が成長するとは、無意識を意識化することであり、たとえば「大人」から「もっと大人」になるとは、次のような一連のプロセスを踏むことです。

○自分の「月」の部分に気づく。
○「生きるべきか、死ぬべきか」の究極の葛藤を経験する。
○自己の(模擬的な)死を受け入れる。
○まったく新しい自己(アイデンティティ)へと生まれ変わる。

さて、あなたには、このようなプロセスを踏んで「死と再生」のドラマを演じた経験があるでしょうか?
模擬的であれ何であれ、自己の死を覚悟して思い切って何かを敢行することを、日本語の慣用句では「清水の舞台から飛び降りる」などと言い、仏教では「懸崖撒手(けんがいさっしゅ)」などと言います。切り立った崖にかけた手を、思い切って離す、という意味です。それは文字通り「死」を覚悟することです。
プーチンにそれを要求するなら、あるいはロシア兵に銃を置くことを促すなら、まず私たち一人一人がそれと同じ意味のことを(内的関連性のもとに)やってのける必要があります。

かくいう私は、様々な記事において、私自身にとってのこの「死と再生」のドラマについてさんざん書いてきました。ここで繰り返すことはしませんが、ここ30年あまりを振り返るなら、少なくとも3回はこれを経験しました。一回目はバブル経済崩壊の時期、二回目は3.11の大震災と原発事故の時期、三回目はコロナ禍の時期です。こう見ただけでも、社会の大きな節目と連動していることがおわかりいただけるでしょう。
私の見る限り、残念ながらこうした社会的にも大きなターニングポイント(気づきのチャンス)を立て続けに3度経験しても、相変わらず「内的関連性」を失った状態のままの人が多いようです。

■「プーチン現象」に対する「バタフライ効果」

ロシアによるウクライナ侵攻という、世界的に言って大きな出来事が、一人一人の人間の自己成長や自己変革に大きな影響を与えないわけがありません。当然のことながら、すべての人が、遠い他国同士の間に起きている局地的な現象ととらえるのではなく、自分事としてとらえるところからの出発です。
もちろん私たちは今、ロシア対ウクライナという局地的な戦争が、世界全体の(特に経済的な面で)バランスシートを塗り替えてしまった、ということを経験しています。日本ももちろんその影響下にあります。これはいわばトップダウン式の波及効果です。私たちは一般にこのトップダウン式の因果関係は信じますが、反対のボトムアップ式の波及効果は信じない傾向にあります。

しかし、たとえば気象学者のエドワード・ローレンツが、いわゆる「バタフライ効果」(ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす可能性)について語ったのは1972年でした。
「気象学的にはそうした波及効果があったとしても、人間の社会で同じような現象が起き得ると考えるのはなぜか」と、あなたは疑問に思うかもしれません。そういうあなたには、次の記事を読まれることをお薦めします。

ごく簡単に言うと、気象学上の「バタフライ効果」にしろ、人間社会における「ナチス現象」や「プーチン現象」にしろ、私たちはそれらの現象が水平方向の関連性によって起きると思い込んでいるフシがありますが、実はそれらはむしろボトムアップ式の垂直方向に起きることによって、顕著な現象として現れるのです。

先の大戦後、28年間にわたって存在し続けた「ベルリンの壁」が一夜にして崩壊した経緯をご存知でしょうか?
1989年11月9日の夕方、東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府は、その対応策として、それまで認めていなかった自国民の西側への旅行の規制を緩和する措置を発表します。このとき、ドイツ社会主義統一党の政治局員で、党ベルリン地区委員会第一書記のギュンター・シャボフスキーが、うっかり「ベルリンの壁を含むすべての国境検問所から出国が認められる」と発言したのです。しかも、外国人記者の質問に、「(発効は)即刻です」と答えたといいます。そこで、多くの東ベルリン市民が壁の前に集まり、国境検問所が緊迫した事態となったため、夜遅くに検問所が通過を認め、ベルリンの壁はなし崩し的に開放されたのです。
もちろん、このような突発的な事態を引き起こす第一条件として、「自由に西側に行きたい」という多くの東ドイツ市民の「思い」が集結している必要がある、ということです。その「トレンド」がいわば「外圧」となって、担当者の口をすべらせた、ということでしょう。もちろん、第二の条件として、担当者の内面に、国境検問の職務に忠実である自分と、同じ国同士の間に「壁」を設けることのバカバカしさ、という葛藤があり、後者の比重の方が大きいという自覚も必要でしょう。

そんなことはまず起きないと思いますが、私はついつい想像してしまいます。プーチンがうっかり口をすべらせて、「すべてのロシア国民は、自由に国外へ出ることができる」と言ったとしたら、今のロシアでいったい何人の人が国内に留まるでしょう?
ただ、そうしたあり得ない現象があり得るとしたら、それはベルリンの壁の崩壊がそうであったように、私たち一般の世界市民たちが、戦争の終結をどれだけ強く望むか、そのことにかかっているのは間違いありません。

■風が吹けば桶屋が儲かる

このような「バタフライ効果」、日本語で言うなら「風が吹けば桶屋が儲かる」式の連鎖反応、ボトムアップ式の波及効果を意図的に引き起こすにはどうしたらいいのか、という話になってきます。
このプロセスをごく大雑把にシミュレーションしてみましょう。
この場合の「テキサスの竜巻」「ベルリンの壁の崩壊」とは、プーチンに自分の「月」の部分を気づかせる、ということです。そのために必要となる「蝶の羽ばたき」や「壁を超えたいという思いの集結」とは、次のような流れを意図的に作り出すことでしょう。

○一人ないしごく少数のグループが「大人」から「もっと大人」への成長(無意識の意識化)を経験する。
○この現象が局地的なトレンドとなり、さらに全体的トレンドへと発展する。
○そうした動きが世界規模の「ムーブメント」になっていく。
○これにより新しい「世界世論」が形成され、それが「外圧」となって戦争の終結へと向かわせる。

さて、そこで皆さんにご提案です。
皆さんにとっての「自分の中の二面性の統合」体験、「大人」から「もっと大人」になった体験、「内的関連性」の体験、「模擬的な死による再生」体験、「ベルリンの壁の崩壊」(つまり「瓢箪から駒が出た」)体験を大いに語っていただきたいのです。
どんな些細なことでもかまいません。
たとえば、家族や友人や職場の同僚といった人たちとの関係性において、長年の間「言おうと思いながらも言い出せずにいたこと」を思い切って伝えてみた、といったこと。
あるいは、長年疑問に思いながらも、生活のためという理由で続けてきた仕事を、思い切って辞めて転職してみた、といったこと。
とにかく、自分の中にあり、自分を抑圧し、自由意思を制限したりコントロールしようとするものから目を背けず、それと意識的に向き合い、そのコントロールとはまったく逆のことを思い切ってやってみることにより、それを乗り越えた体験と言ったらいいでしょうか。
それらの体験は、プーチンが自分の「月」の部分に気づき、ウクライナから撤退する、といったこととは、影響力の規模は違ったとしても、構造は同じです。あるいは、心ならずも戦争に駆り出された兵士が、自分の死を覚悟のうえで思い切って銃を置く、といったこととも、構造は同じです。その構造に多くの人が気づくことこそ、「内的な関連性」の回復にとって、何より重要なことなのです。

無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。