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AKのスピリチュアル講座5:願望実現や自己啓発理論のウソ

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■願望実現と「存在の大いなる入れ子」

スピリチュアルなこと、スピリチュアリティとは、何かと対立したり何かを排除したりすることではなく、すべてを積み重ねていくことです。したがって、そこには必然的に様々な事象が堆積した「層」があり、構造があり、段階があり、時間があります。
この点が何より重要で、間の「層」を省いたり、はしょったりすることはできません。
しかしこの省きやはしょりが平気でまかり通ってしまう場合があります。
典型的な例は、いわゆる一部の自己啓発本や「スピリチュアリスト」がよくやる常套手段ですが、願望実現のプロセスを説明するときに、量子物理学の理論を援用し、あたかも人間の意識が量子と同じ性質を持ち、同じ動きをするかのような「省き・はしょり」を行い、自分の潜在意識に叶えたい願望を繰り返し刷り込めば、あとはオートマチックで現実化する、といった根も葉もない理論を展開するというパターンです。

もし仮に人間の意識が量子と同じ性質を持ち、同じ動きをしたとしても、それだけで意識がそのまま物質化する、といった考えには、ほとんどの物理学者が同意しないでしょうし、精神的な伝統の世界も同意しないでしょう。このあまりに強引な理論は、物理学にとってもスピリチュアリティにとっても冒瀆行為です。
「存在の大いなる入れ子」の「物質+生命」層と「心+魂+霊」層との間には隔たりがあり、その隔たりを統合することこそが真のスピリチュアリティだと申し上げましたが、この隔たりを量子論で埋められるという考えはあまりに短絡的であり、一種のトリックないし錬金術と言わざるを得ません。いわば、いちばん内側のマトリョーシカに当てはまる法則で、いちばん外側のマトリョーシカも説明してしまおう、という考えです。それは、単細胞生物に働く法則で、高等生物の事情をすべて説明できる、という強引な理論よりもさらに強引です。
もし本当に自分の意識や願望を物質化(現実化)したいのであれば、意識から物質へ至る入れ子構造、つまり「霊→魂→心→生命(身体)→物質」という連鎖を、そうとう丹念に何度も辿り続ける必要があるはずです。

たとえば、私は音楽プロデューサーをしていますが、新しくCDを一枚プロデュースするとします。どんなCDにするか、コンセプトを立て、イメージを広げ、それが現実化したら世界のどのような文脈に置かれるのか想像します。つまり「何を実現したいのか、その目的は何か」をはっきりさせる作業です。次にそのコンセプトに合った楽曲やプレーヤーを集め、プレーヤーに丁寧にコンセプトを伝え、それがどのように実現できるかを一緒に具体的に描いていきます。そしてプランができたら、それに合わせて実際のレコーディングを重ね、音源化していき、ミキシング、マスタリングと実作業を積み重ねます。それと並行してジャケットのデザインなども決めていき、デザイナーとともにパッケージを作っていきます。
そうして出来上がったものをプレスや印刷に回して、ようやくCD製品が完成するわけですが、それで終わりではありません。今度はそれをどのように世の中に周知させ、売っていくか、試行錯誤が続くわけです。
これは果てしなく続く意識の物質化作業です。この作業を、いったい誰がどのような方法論で省くことができるでしょう。私が頭の中で「こんなCDがあったらいいな」と願うだけで、周りの人たちが勝手に動いてくれて、それが物質化して、私の手元にある日突然届けられるとでもいうのでしょうか。そして、一夜明けたらそのCDが世界的に大ヒットしているとでも・・・?

余談ですが、もしどうしても物理学理論とスピリチュアリティを結びつけたいのなら、まず真っ先に踏まえなければならない物理学的現象があります。それは、我々の暮らす宇宙は、ビッグバン以来膨張し続けている、ということです。この先何十億年か何百億年かわかりませんが、膨張傾向が続くわけです。その後、宇宙は収縮に向かうかもしれません。この傾向に地球も影響を受けているでしょうし、量子の動きもこれにシンクロしているに違いありません。これが人間のスピリチュアリティにどのような影響をもたらしているかを考える方が、よほど生産的ではないでしょうか(もちろんこれも短絡的にはできないことですが)。

この項をまとめておきます。
「自分の意識や願望を現実化させようとするときに、どれだけ量子論を援用しようが、「存在の大いなる入れ子」が示すそれぞれの層を省いたり、はしょったりすることはできない」

■本当に現実化するのは「隠された意図」

忠告のために申し上げておきますが、もしあなたの潜在意識の中に、表面的な願望とは裏腹な「意図」が隠れていたなら、表面的な願望ではなく、その隠された「意図」の方が現実化してしまうでしょう。そして、あなたはその現実化したものを目の前にして、愕然とするに違いありません。「こんなはずじゃなかった」と。そのとき、あなたの中で、偽物の法則が本物の法則によって裏切られるのです。

たとえば、こんなことを想像してみてください。
ある大企業の経営が傾き、経営改革を担って、ある新しいCEOが赴任してきました。その新しいCEOは、さっそく社内の経営状態を調査し、何が原因かを突き止め、やる気がありそうな幹部や管理職を集めて改革に着手します。その手腕は見事で、会社はみるみるうちにV字回復を成し遂げます。そこまでなら、このCEOはまさに功労者であり、英雄として称賛の対象のはずです。ところが、このCEOは陰で経費の誤魔化しや脱税などをして、密かに私腹を肥やしていました。それがまかり通るはずもなく、内部告発によって、そのCEOの悪事が表面化し、すべてを失い失墜します。このCEOは、自分の悪事が発覚しないと、本気で信じたのか、すべてが明るみに出ても、あくまでシラを切っています。不正な資金による利益の私的利用は、自分の功績に対する当然の報酬だ、とでも考えているようです。
このCEOの本当の意図は、会社を救済するという利他的な目的に自分が貢献することではなく、単に私腹を肥やし、自分が利益を得るために会社を利用することだった、と言われても致し方ないでしょう。この人物は、奉仕の世界に生きていたのではなく、虚飾の世界に生きていたのです。まさに、表面的な願望ではなく、隠された「意図」が現実化してしまったのです。

ネガティブ思考を徹底的に退け、極端なポジティブ思考を強いるような「自己啓発」理論は、一歩間違えば、潜在意識の中の隠された「意図」をより一層見えにくくさせ、人を煙に巻くための方便として利用されないとも限りません。
たとえポジティブ思考に何らかの効果があったとしても、母親が子どもに言う「痛いの痛いの、飛んでいけ!」というおまじない程度のものです。効果よりむしろ弊害の方がはるかに大きいでしょう。さすがの母親も、重い病気や怪我などで子どもが死にかけているときに、「痛いの痛いの、飛んでいけ!」というおまじないが功を奏するとは思わないはずです。この「おまじない」レベルの理論(トリックあるいは錬金術)を、全世界規模で展開することで誰が得するのか、真剣に考える必要があります。

この項をまとめておきます。
「ポジティブ思考を保ち続ければ、自然に願望が叶うとする自己啓発理論は、単なるおまじない(トリックないし錬金術)の類である」
「本当に現実化するのは、表面的な願望ではなく、潜在意識の中に隠れている意図の方である」

■「物・心混同」理論の恐ろしさ

ある部分に成立する法則は、他の部分、あるいは全体にも成立すると見做す考えを、「還元論」あるいは「還元主義」といいます。一本の木にあてはまる法則は、森全体にもあてはまるはずだ、という考えです。
意識の働きを、量子論を借りて説明しようとするのは、いわば物理還元主義です。しかも、物理現象を語る言葉だけを用いてスピリチュアルな現象を説明しようとする試みですから、かなり極端な還元論であり、はっきり「唯物論」と言った方がいいかもしれません。
還元論あるいは唯物論は、一本の木から森全体を透かし見る方法ですから、個から全体へ、マトリョーシカの内側から外側へ、高層ビルの下から上へ向かうスピリチュアルな上昇の道のように見えますが、そこには「進化」の概念がありません。もしあなたが、「物質を構成する分子を適当に寄せ集めて団子状にすれば、そのうちその団子は何らかの有機体へと進化するはずだ」とするなら、進化論の専門家が異議を唱えるでしょう。願望実現のプロセスに量子論を援用する考えは、その程度の理論です。

あなたの意識が一本の木の状態から森全体へと進化しているとしたら、あなたが一本の木だった頃の意識状態とはまったく異なっているはずです。森全体となったあなたにとって、一本の木の見え方は、まるで違うのです。宮崎駿流に言えば、あなたの意識は一本の木から「ダイダラボッチ」へと進化しているかもしれません。
いわゆる「悟り」と呼ばれる意識状態は、自他の区別、自分と外界との境が取り払われ、すべてが一体化した状態だと言われますが、だからといって自他の区別がなかった乳幼児の状態に戻ったわけではない、ということです。よく「赤ちゃんは悩みがなく、幸福な状態だから、赤ちゃん返りした状態がいちばんいい」といった言い方をしますが、赤ちゃんの意識状態と、意識の成長・発達が極まった状態とでは、まったく似て非なるものだということです。そこにはまさに、マトリョーシカのいちばん内側といちばん外側ほどの意識の差があるわけです。
極端なポジティブ思考を押しつけてくる理論からは、人間の意識をなるべくマトリョーシカの内側の状態にとどめておきたい、という意図を感じます。「願望実現の唯一の方法は、すべてのことをポジティブに考えることであり、うまくいかないのはちょっとでもネガティブに考えたせいだ」と信じ込ませておけば、人は赤ん坊ほどの判断力と批判精神しか持たないことになるでしょう。それこそ、人をいちばん意のままに操りやすい状態です。
量子論を援用して、願望実現のプロセスを短絡的に説明しようとする試みも、「自・他混同」状態にある乳幼児と同じレベルで、「物・心混同」状態を作り出そうとする試みです。

この項をまとめておきます。
「願望実現のプロセスに量子論を援用する考えは、唯物論であり、物質と心を混同させ、人を意のままに操りやすくする」

■「前・超の混同」に注意

「赤ん坊状態」と「悟り状態」の混同は、まさにケン・ウィルバーが「前・超の混同」と呼んだものに相当します。つまり「前・成人」状態(赤ん坊の状態)と「超・成人」状態(悟りを啓いた状態)を同一視するようなものです。
赤ん坊と悟りを啓いたお坊さんでは混同しようがないかもしれませんが、これがひとつの国家ないし文化・文明だったらどうでしょう。
一人の人間が、数十年かけて、赤ん坊から幼年期、青年期、成人期、老年期という具合に意識の成長・発達を遂げるとしたら、ひとつの国家レベル、あるいは文化・文明レベルでも、同様のプロセスをたどって(数百年、数千年単位で?)成熟すると、ウィルバーは指摘しています。人類の意識進化の歴史を「前・近代」「近代」「超・近代」という具合に大雑把に三つに区切るとしたら、国家・文明レベルの「前・超の混同」も起こってきます。

たとえば、ニューエイジ世代にありがちですが、マヤといった古代文明を取り上げて、その天文学的知識や、自然と一体化した文化・文明のあり方をもてはやしたりしますが、マヤ文明は平気で人身を生贄として神に捧げる儀式を行っていましたし、森林伐採と土壌の浸食がマヤ文明の農業を衰退させたと言われています。
余談ですが、いわゆる「ザ・シークレット」だとか「引き寄せの法則」だとかという自己啓発理論や願望実現メソッドが爆発的に流布した背景には、偉人たちによって密かに伝承されてきた「隠された古代の知恵」といった根拠のない「演出」があったことを思い出してください。

特に環境破壊を食い止めようとするエコロジストの中には、ライフスタイルをだいぶ昔に戻した方がいいと考える人も多いようですが、古代文明のあり方を、そのまま現代に導入することはできません。もし部分的に取り入れるとしたら、現代文明がどのような「堆積」の上に成立しているかを充分認識したうえで、その上に何を新たに構築するかを考える必要があるでしょう。それは決して安易にできることではありませんし、優先順位を間違えても成立しません。エネルギーの無駄遣いを是正するために節約に励むことは必要かもしれませんが、意識まで古代に戻すわけにはいきません。

この項をまとめておきます。
「人の成長も文明の成長も、過去・現在・未来と分けたときに、過去と未来が同じように見えたなら、何がどのように堆積してきたのか、その層あるいは構造あるいは段階を見るべし」

■無意識の意識化

高層ビルの最上階、マトリョーシカのいちばん外側の意識状態には、いきなりなれるわけではありません。まずは、自分が現在どのぐらいの層のマトリョーシカの状態にあるか、高層ビルの何階ぐらいに位置するかを把握し、ひとつ外側のマトリョーシカの状態、ビルのひとつ上の階を目指すしかありません。
この「意識の上昇作業」「意識の脱皮作業」を行ううえで、まず真っ先に取り組まなければならないことは、「無意識の意識化作業」だと私は考えています。自分の潜在意識の中に隠れた意図があるなら、それも突き止めておく、ということでもあります。「無意識の意識化」に関しても、いずれ詳しく取り上げますが、これだけは言っておきましょう。
厳しい言い方で恐縮ですが、人の心を扱う職業の人、人を心理的に指導する立場の人が、指導する当の本人よりも低い(狭い)意識しか持ち合わせていないなら、成長を促すのではなく退行を促すことにもなりかねません。そればかりか、実害をもたらす場合さえあります。いじめ、虐待、ハラスメントといった現象、あるいは引きこもっている人を死に追いやるような事情の裏には、まさに上に立つ人間、指導する立場の人間の意識の低さ(狭さ)が見え隠れしています。
自分の無意識(潜在意識)から目を逸らさず、それと真剣に向き合い、それをはっきりと意識化し、その無意識に隠された問題を自ら克服した経験が一度でもない限り、心理学者、心理療法士、カウンセラー、精神科医、セラピスト、精神分析家など、人の心を扱う職業に就いてはならない、と私は思っています。
スポーツのコーチが選手を指導できるのは、段階的成長のすべてのプロセスを自分も経験してきたからにほかなりません。
一例を挙げるなら、薬物依存をはじめ、アルコール依存やギャンブル依存など、様々な依存症の人を支援する施設としてDARC(ダルク)というのがあります。ダルクの特徴は、依存症を克服した経験を持つ人が指導的立場になってグループミーティングなどが行われている点でしょう。依存症克服の経験者は、その経験によって、人間的に一回り成長しているはずであり、いわば脱皮のプロセスを(その苦しさも含め)誰よりもよく知っているわけですから、下手に知識だけがある専門家よりも、よほど実際に則した指導ができるわけです。

この項をまとめておきます。
「あなたが人の心(意識と無意識の両方)を扱う立場なら、まずあなた自身が自分の無意識を意識化する経験を持つ必要がある」

この記事全体をまとめる意味で、同時にこの「講座」自体の向かっていく先を見越す意味からも、最後にこういう問いかけをしておきます。
なぜ私たちは物質と心を直結させて、願望が瞬時に実現できるかのような考えを持ちたがるのか、そして、相手が自分より低い(狭い)意識しか持ち合わせていないことを知りながらも、「年上だから」「人の上に立つ立場の人だから」という理由だけで、なぜ盲目的に服従する(大人しい家畜の群れと化す)ことをよしとしてしまうのか、そこには何かしら人間存在の根幹にかかわる事情があるのではないか、ということです。

今回は、願望実現や自己啓発理論の中に潜む還元論や唯物論の危険性について触れました。次回は、この還元論や唯物論の問題点について、さらに掘り下げていきます。

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