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シリーズ「新型コロナ」その33:女性元首たちの成功の秘訣、それで日本は・・・?

このシリーズ29から32までで、女性元首が率いる7つの国のコロナ対策成功例を見てきた。その成功の秘訣には明らかな共通点がある。それは、ウイルスという敵と闘うときの基本的なセオリーとも呼べるものであり、国家的危機に臨んで、国のリーダーがとるべき言動や政策のお手本でもある。
今回はそれをまとめ、さらに日本の対応とどこがどう違うのか比べてみよう。

■初期対応の迅速さ

〇台湾は、2019年12月の流行初期(国内初感染者が出る前)の時点で、渡航制限や国境管理に関連する124もの新たな対策を世界最速で実施した。
〇ドイツでは、国内で感染者が確認される前、1月の段階で、すでに国内の感染症研究所の協力のもと、検査体制の拡充が始められた。
〇ニュージーランドは、2月3日の時点で、外国籍の人全員を対象に、中国からの入国を禁止。入国を許された人に対しても、14日間の自主隔離を求めた。
〇フィンランドも、死亡者が確認されない早期から非常事態宣言を発令し、出入国禁止、公営施設の閉鎖を断行した。
〇ノルウェーも早々にロックダウンを実施した。

どこの国も「迅速」ではあっても、決して「拙速」ではなかったことは、ニュージーランドの例を見れば明らかだ。
ニュージーランドでは、2月3日から始められた入国規制が、3月19日の全面入国禁止までの間に段階的になされたことがよくわかる(シリーズ31参照)。

日本はこの時期、ダイヤモンド・プリンセス号の対応に四苦八苦し、東京オリンピック・パラリンピックの行方に皆が気を取られていた。この危機意識の低さが、後々の対応の遅れにつながったことは間違いない。
未知のウイルスがひとつの国に上陸するとはどういうことなのか、何がどのような順番で起こるのか、日本政府は2003年のSARS発生の段階ですでにそれを知りながら、いかに「対岸の火事」を決め込んでいたかについては、シリーズ12ですでに述べた。

■最初はきんちゃく袋の紐をきつく締め、徐々に慎重に緩める方策

このシリーズ4において、「最初はきんちゃく袋の紐をきつく締め、徐々に緩める」というやり方が、感染症拡大防止対策の基本セオリーだと述べたが、今回取り上げた多くの国が、この基本セオリー通りの規制のかけ方をしている。
たとえば、身体のどこかが出血しているときに止血バンドを絞めるなら、最初にしっかり絞めて止血し、そのうえで組織が壊死しないように様子を見ながら徐々に緩めるのが常識だが、実際に大量の血が流れ始めているのを眺めながら、絞めようか緩めようか判断がつかずにぐずぐずしてしまう国もあるようだ。

〇台湾は、世界最速で規制を始めたため、ロックダウン不要だった。
〇ドイツは3月中旬から事実上のロックダウンに入ったが、4月中旬には、一部規制解除を始め、5月上旬には大幅な規制緩和に踏み切っている。
〇デンマークは、3月11日からロックダウンを始め、4月15日から段階的に解除。
〇ノルウェーは、3月12日からロックダウンを実施し、4月20日から幼稚園や小学校を再開させた。
〇ニュージーランドは、3月25日からロックダウンを始め、4月28日から段階的緩和へ。
〇フィンランドでは、3月16日に非常事態宣言が発出されたが、サンナ・マリン首相はかなり慎重な姿勢を見せ、5月4日、日常生活と社会活動への影響を最小限に抑えながら新型コロナウイルス流行を効果的に抑制するため、規制緩和と継続・強化を織り交ぜた「ハイブリッド計画」を発表した。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/05/60525cde680f6241.html

それぞれの国で、人口密度や地理的条件、財政状態など、異なる事情があるため、一概には言えないが、だいたい3月中にはロックダウンを開始し、ほぼ1カ月ちょっと様子を見て、規制緩和を始める、というペースだ。
きんちゃく袋の紐を早めに絞めれば絞めるほど、余裕をもって早めに緩めることができる、と言えそうだ。
日本は、そもそも入口において遅れ、なおかつだらだらと段階的に絞めていって、だらだらと様子を見ながら、また段階的に出て行く、という印象を否めない。そうした政策を取る科学的根拠も示されていない。示しようがないだろう。科学的根拠などハナからないのだ。科学的根拠がないということは、すなわち「経済優先」ということだ。こうした感染症対策ひとつとっても、日本は相変わらず「人命よりも経済優先」「科学性や論理性よりも政治的・経済的配慮・忖度が優先」の基本方針だと言われても致し方ない。
「日本は、現行の特措法に強制力がなく、あくまで自粛要請なので、ロックダウンもできない」と嘆く向きもあるが、台湾はロックダウンを行わずに世界最速の対応でしのいだし、アイスランドのように、無償での検査の提供や追跡システムなどのIT技術でロックダウンを回避できている例もあるのだから、法律のせいにはできない。

■ハートはあたたかく、頭はクールに

今回取り上げたどの国家元首も、科学的・客観的データにもとづいて論理的に考え、決断したことは最後までブレずにやり貫く反面、国民に語りかけるときは、女性らしいやさしさ、あたたかさ、思いやり、キメの細かさを決して忘れていない。
そもそも、「情」と「理」の両方を尽くし、説明責任をしっかり果たすことは、政治家としての最低限のマナーのはず。
これは、「機械が政治をやっているのではない。人間を相手に、人間が政治をやっているのだ」という当たり前の事実をわきまえている証拠だろう。これは本来性別には関係ない。男性でも、その気になればできるはずだが、相変わらず頭の中は「封建制」「男尊女卑」「家父長制」で占められている「古だぬき」どもが政界にはびこっている状態では、逆立ちしても無理だろう。「頭はマネーでいっぱい、ハートは寒々しい」という政治がいつまで続くのだろう。

■コロナ対策と経済対策をきちんとセットにしている

今回取り上げた女性元首率いる国々はどこも、「経済よりも人命優先」という基本理念を貫きながらも、経済を決してないがしろにせず、国家の非常事態を宣言するからには、経済への打撃を最小限にするための最大限の努力を防疫対策に必ず随伴させている。止血帯をきつく絞めるなら、組織が壊死しないように、血流をある程度確保する措置も当然必要になる。そこが政治手腕だ。「人命優先」だからこそ、出し惜しみはしない。
女性元首たちの采配は、「その気になりさえすれば、人命と経済を両立させることはできる」ということを立証してみせてもいる。だからこそ国民は政府を信じて安心して自粛生活に堪えることができるのだろう。
「こちらを立てれば、あちらが立たず」というような優柔不断で付和雷同する政治手腕しか発揮できず、口では大風呂敷を広げてみせながらも、経済的補償は後手後手に回ってしまうようなどこかの国の元首の統率力では、国民は安心感など得られようがない。

■「言行一致」自らの政治理念を自らの行動や政策で体現してみせる

危機に臨んでは、「危険である」ということをハッキリ言う。それでいていたずらに危機感を煽らない。透明性を保ち、率直であり、必要十分な説明をしながらも、言葉に含みを持たせず、余計なことを言って国民に不信感・不安感を与えないようにする。ここらあたりがもっとも政治手腕を問われる部分だろう。
国民に強制力の強い要請を出すのであればあるほど、なぜそれが必要なのか、それをしないと、どういうことになるのか、といったことをしっかり説明する必要がある。しかも、できる限りキメ細かく、対象者ごとに・・・。なぜなら、どんな人も国民として大切であるという国としての姿勢を示すためである。そこからしか「結束」や「連帯」は生まれない。
それができるかできないかは、その政治家が、なぜ何のために政治家になり、そして今も政治を続けているのか、その根幹の部分が問われることになる。

「年齢やジェンダーについて気にしたことはない。考えるのは、自分が政治家になった理由と、有権者は私たちに何を託したのかということ。」(サンナ・マリン首相)

どれほど慎重にものを言おうが、リーダーの根幹にある部分は、言葉の端々にポロリと出るし、行動面、政策面にはもっと如実に表れる。
アーダーン首相のスウェット姿でのSNS発信、フレデリクセン首相の鼻歌まじりの皿洗い映像、ソルベルグ首相やマリン首相の子ども記者会見などは、根幹の部分がしっかりしていない政治家がやると、あざとく見えるかもしれない。
国民が緊急事態に至って結束・連帯できるかできないかは、ひとえにリーダーのそうした政治信条にかかっている。

■最新のIT技術を効果的に導入

SNSなどを駆使した迅速で効果的な国民とのコミュニケーションという点では、30代・40代の若い国家元首たちに一日の長があったかもしれない。しかしそれだけではなく、水際での検疫システム、マスク配布システム、ウイルス追跡システムなど、現代ではそうしたIT技術なくしては、姿の見えない神出鬼没のウイルスとの攻防戦に勝利することはできないだろう。
政府が決めた様々な経済政策が迅速に国民に浸透し得るか、検査が滞りなく実践できるか、感染状況は的確かつスピーディに把握できているか、といった感染症対策の根幹に関わる部分も、IT技術に負うところが大きいはずだ。
パソコンに触ったこともないようなIT担当大臣が成立してしまうような国では、なかなか有効なIT戦略は期待できそうにない。そうなると、民間の力を最大限に活用するしかないのだが、日本は、政府が民間とスムーズに連携するには、越えなければならない高いハードルがまだまだいろいろありそうだ。たとえばPCR検査がさっさと民間委託されないのは、そうした障害があるからにほかならない。(シリーズ28参照)

■「餅は餅屋」分野横断的に専門家を集めた組織づくり

〇台湾が2003年のSARSの苦い経験を活かし、「アメリカ疾病対策センター」(CDC)に倣って2004年に立ち上げた「国家衛生センター」(NHCC)は、移民署・衛生署・交通部など部署を越えて作られた分野横断型の組織である。
実は、日本にもこの手の組織を作ろうという動きがあったが、政府は黙殺してきた。
〇ドイツのメルケル首相は、自分の専門でない分野に関してはとことん謙虚になり、国内の公衆衛生の研究機関に早い段階から意見と協力を求めていた。現在は国内の大学の薬学部と連携し、コロナウイルス・タスクフォースチームを作る動きもあるという。
〇デンマークでは、国立血清研究所が、各大学や研究所から、数学、コンピューターサイエンス、保健科学、理論物理学、疫学、統計学といった専門家と医師らを集めて専門家集団を構成し、そこで分析された結果が政治判断の根拠となっている。

日本政府が感染症の専門家らを集めて「専門家会議」を立ち上げたのはいいが、「人命か、経済か」の二項対立をいつまでも乗り越えられないでいるなら、いっそのこと経済学の専門家だけを集めて専門家会議を構成した方がいいくらいだ。感染症の専門家らが、まるで科学的根拠があるかのような、いわば「経済優先主義」の隠れ蓑のように使われるなら、それこそ民主主義の形骸化にほかならない。
「連携」ということで言うなら、政治家と各分野の専門家の連携もあるし、中央行政と地方行政の連携もある。そこらあたりは、蔡英文総統やメルケル首相が政策をもって実践してみせてくれている。

■「適材適所」自分の専門外に関しては、きちんと専門家を登用し、その人材を上手に活用する

〇台湾の蔡英文総統は、IT担当大臣の唐鳳(オードリー・タン)氏や、「鉄人大臣」の異名を得た陳時中衛生福利部長など、国家非常事態時に国民的英雄を生み出すほどの任命手腕を発揮している。
〇ニュージーランドのアーダーン首相は、記者会見の際には、保健省代表のアシュリー・ブルームフィールド氏と必ず二人で行っている。
〇フィンランドのサンナ・マリン首相は、二人の女性閣僚(教育相と科学&文化相)とともに、史上初となる子供向けの記者会見を行っている。

このように、専門分野に関してはきちんとその分野の専門家を起用し、任せていることをアピールするのは、政策が科学的知見にのっとって決定されていることのアピールでもあるだろう。
記者会見に専門家を同伴させはするものの、その専門家に効果的な発言をさせず、むしろ専門家と政府の齟齬が見え隠れしてしまうような、どこかの国の下手くそな首相とはわけが違う。
「リーダーの良し悪しを判断したいなら、そのリーダーが率いている組織のメンバーを見ればわかる」とは、ビジネスの世界での常識だが、国家も同じこと。自分の指示の出し方のまずさを、受け取る側の「誤解」と言ってのけたり、国民が自宅での自粛に堪えている最中に「賭け麻雀」にうつつを抜かすような人材を見れば、そういう人間を登用したリーダーの質がはっきりわかる。

■民主主義を絶対に形骸化させない一貫した政治姿勢

〇中国という大国からの政治的プレッシャーを常に受けながら、高い政治的意識を国民全員が保ち、努力して民主主義を貫いてきた台湾。
〇第二次世界大戦の敗戦から、二度と同じ轍は踏まないとばかり、国民一丸となって復興を果たし、質の高い民主主義を実現してきたドイツ。
〇自ら貧困とジェンダー差別を経験し、平等であることの重要性を知り尽くし、旧い価値観を乗り越えるべく奮闘する若き女性首相率いるフィンランド。

情報操作や言論統制によって、負けるとわかっている戦争に国民を巻き込み、世界で唯一原爆の犠牲を経験しながら、敗戦の後始末もそっちのけで、「人命より経済だ」とばかり「エコノミックアニマル」ぶりを発揮し、外面だけ先進国ぶって、その実国民は悪政のひずみに喘いでいるどこかの島国とは、どだい「民主主義」に対する取り組みが違う。
その違いが、コロナ禍のような非常事態に臨んで、はっきり顕在化している。

■ドイツにみる質の高い民主主義

「民主主義」とは、黙っていてもただそこにあるものではなく、国と国民が心をひとつにして日々つくり上げていくべきものであるに違いない。そのことを端的に示すものとして、最後にドイツのシュタインマイヤー大統領の感動的なスピーチを紹介しておこう。このスピーチで特筆すべきは、ドイツにおける民主主義の何たるかを説いているだけではなく、未来を見据え、人類全体にとって今何が重要かを語っている点である。
ぜひ全文を読んでいただきたいところだが、ここでは要点だけ。
https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2333154

〇「自分たちは無敵である。全てはより速く、より高く、より遠くへと発展を続けるのだ」と思い込んでいたが、今回は自分たちの脆弱さを見せつけられている。しかし同時に「連帯」という強さも見せてくれている。
〇すでに今の段階で、皆さんの誰もが生活を根底から変化させ、そうすることで人の命を救ってきたし、これからも救っていく。
〇責任感ある市民一人ひとりが支える、生きた民主主義が根づいているからこそ、厳格な強制がなくても努力を積み上げられる。
〇一人ひとりが真実と正論の理解に努め、理性的な判断を行い、正しい行動をする。互いに信頼を寄せ合い、いずれの人の命も尊重され、いずれの人もそれぞれ重要な役割を担っている。それが民主主義。
〇私たちは、分岐点に立っている。コロナ後の世界は、以前とは別のものになるはず。そして、どのようになるのかは私たち自身にかかっている。経験から学ぶ。良かったことも、悪かったことも、今回の危機の日々の経験から学ぶ。
〇ワクチンや治療法をより速く開発できるよう、知見と研究成果を共有し、地球規模の同盟を形成することにより、貧しい国々、最も脆弱な国々もその成果の恩恵を受けられるよう図っていくべき。
〇この感染症の世界的拡大は、戦争ではない。国と国が戦っているわけでも、兵士と兵士が戦っているわけでもない。現下の事態は、私たちの人間性を試している。こうした事態は、人間の最も悪い面と最も良い面の両方を引き出す。お互いに最良の面を示していくべき。
〇私たちは、より多くの信頼と、思いやりと、希望にあふれる社会を実現できる。
〇私たちは、今回の事態においても成長を果たせるはずであり、成長するだろう。

これぞまさしく、全人類にとっての父親役の人の言葉だ。国家のトップとして、そして世界の父親役として大統領がいる。行政府のトップとして、そして世界の母親役として首相がいる。ドイツ国民は何と幸せで誇らしいことだろう。それは「ドイツ」というひとつの「家」にともに暮らせる幸せかもしれない。
と同時に、ドイツ国民が、先の敗戦というどん底からスタートし、この75年間でどれだけ力を尽くして名実ともに欧州共同体のリーダー国にまで復活したかが、痛みとともに伝わってくる気がする。
どこで何をしようが、国民ひとりひとりの心の中に「国家」という灯が常にともっている。だからこそ先の見えない巨大な「変化」にも果敢に立ち向かえる・・・。
私たち日本人は、いまだかつてそのような心境になったことがあるだろうか?

日本政府のコロナ対策がグダグダであることは、世界中が知っている。にもかかわらず日本はなぜコロナ抑え込みに成功しているのか、その理由についても注目されている。
「日本国民は、民主主義の何たるかを知っている。知らぬは政府ばかりなり」と言い切ってしまうのは拙速だろうか?
いずれにしても、今の状況はすべて私たち自らが(意図する・しないにかかわらず)つくり出してきてしまった状況だ。
このコロナ禍を経て(得て)、ようやく日本の「戦後」がスタートする、いや、そうしなければならない、という気がしてならない。


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