徒然駄文13.東京五輪でつまらない思いをしているのは多分都民よりも選手団ではないかという話

まぁあれっすよ、東京五輪。メダルがざっくざくで、都内の五輪ショップには長蛇の列。路上で観戦する人が増えちゃってバブルうんぬんは既に崩壊状態ですって。

で、開会前から選手が出歩いちゃったり、選手村に不安になったり嫌気がさした人たちが勝手にホテルとって移っちゃったりしてる訳で、25日は感染者数が1700over。4連休中で検査数少ないから数値も低くなるんじゃなかったっけ?大丈夫なのこれ?

大丈夫なわけ無いんだけどな。
でさ、なんというか、選手村では段ボールベッドでコンドーム配る(段ボールはセックス防止ってマジ?)以前に、大型テレビで日本のアニメやアニメ映画、特撮コンテンツをバンバン見られるようにしたり、アニソンや特撮ソングを配信して聴けるようにしてみたり、ムック本やフィギュアをお土産に配ればよかったんじゃないの?面白がったり感動したりした選手は外出控えて家でアニメ鑑賞やゲームするだろうし、何より、イケてる日本文化として各国に持ち帰ってインフルエンサーになるわけですよ。そのくらいやれば、各権利元だって東京五輪にもっと協力してくれたんじゃないの?

ホント、体育会系ってバカばっかりだよな。
いや、優れた指導者や文化人だっているだろうといわれようが、それは文武両道の優れた人であって、運動だけやっていた人間にとっては、大抵のマネジメントは素人仕事になってしまうのではなかろうか。優れたプレイヤーが優れた指導者や調整役、企画者になれる保証はないのである。

どうでもいいが、僕は大学まで柔道を、高校まで水球をやっていた。
体育会系と言えばそうなんだけどさ、まぁ、バカが多い分野であるのは確かだよ。日本はなぜだか、パンパンとテンポよく素早くコメントを出せる人間や、無駄に声が大きく、それでいて集団の流れや集団内部における権力勾配によく気が付く奴隷野郎を「優秀な人」「優れた組織人」として重用する悪癖がある。
これは言い換えれば、上の言うことによく従い、上の言うことを代弁し・上が言いたいことを忖度して上の名前を直接出さずに代弁するという謎の行為を中継して下のものを従わせる、こういうムカつく中間管理職みたいな奴が上から信頼されたり評価されて、実際にそいつがなにをしたのか、という実績と関係なく出世して組織の中枢へとりこまれていく社会が、日本社会であるということである。

これは、組織や社会の上の方に、要するに幹部や重役、お偉方に「自分で考え、正しい判断をし、間違いであればすぐに訂正し改善できる」人物が多いうちはまだ何とかなる。しかし、現実の日本は、総理大臣の菅義偉すら唯々諾々、誰かの言うことに従い、下の者に粛々とそれを実行させることしかできない無能野郎であったことが露呈した。唯一、東京五輪の開会式でも信楽焼の狸に化けて気配を消していた小池百合子のようなタイプだけが、組織の流れや空気に逆らってでも自分の判断や自分の為の仕事を貫くのだが、残念なことに小池百合子には人徳の概念が欠如しているので、おそらくあの政治家が力を持てば、日本にある種の終わりをもたらすだろう。

さて、「上の言う事に従い、下を従わせる」のは体育会系というか、運動神経の良いタイプの得意技である。自分もそうなので自虐として言うけれども、考えるよりも早く体が動くタイプにとって、十分な検討や思索を欠いた状態でとにかく制限時間内に所定の操作を完結させる、というのはザラである。考えるタイプの人にとっては知恵遅れじゃないかと疑われそうだが、柔道にせよ水球にせよ、ザ・ワールドで時を止めでもしない限り、考えている暇など無いのである。車の運転が運動神経と関係していると無責任に言うアホが多いのもこれと同じだ。とっさの判断やざっくりとした目測目算は、訓練と経験によって不明確に見につき、しかも再帰性の無い感覚だが、なぜかこれを運転初心者に強制する知恵遅れがいて、教習所で思わず笑ってしまったんだけれど、そりゃあんた無理ってもんですよ。ただ、いつまでも出来ない人はやっぱり運転には向いていないと思う・・・。

話がそれた。
そういう反応の良さという名の「検討の雑さ」と「雑さに麻痺している残念な脳みそ」=チンパンジー並みの精神は、一般企業だけではない、すべての組織人にも要求される。上から出た指示や、クライアントが言葉には出さないが困っていそうな、望んでいそうなことを身振り手振りや会社の状況から察知して動く。一人だけじゃできる仕事もたかがしれいているので、周りを巻き込む。これは研究者としての自分よりも、クソ体育会系のチンパン人間としての自分のほうが動いている分野だと思う。

で、結果的に、組織内部では体育会系の活躍が目立ち、重用されていくのだが、しかし、実際に活躍しているのは体育会系だけではない。問題解決のための情報収集、技術開発、書類の作成から、それらが安全で確実で効果的なものであるかどうかのチェックに至るまで、そこには様々な専門家、エンジニア、職人的人材の手が必要になるはずだ。東京五輪はこれらを無視して体育会系の組織人たちが「やれといえばやってくれるだろ、五輪だし」と思ってふんぞり返っていたら、あらゆる分野の専門職や職人たちから愛想をつかされてしまって、クソをゲロで煮しめたような顛末になってしまったのであろう。多分、閉会式も期待できないと思う。

と、言うわけで、前の記事で東京五輪の開会式が「薄っぺらなサブカル野郎と要領だけで出世した上澄み泥棒野郎共がやらかしたツケを、オタクに押し付けてきた日本の縮図」であると書いた意図の補足をしてみた。

これを機に、オタクというか、職人的な人材がもっと評価され、大切にされる国になってくれればよいのだけど・・・。

不謹慎なことを言うとだな、敗戦した時だって、負ける瞬間まで、こういう体育会系クソ野郎どもが組織の中枢でふんぞり返っているインパール体質の国であったわけだけど、酷い負け方をしたせいで、「間違った大人たち」が大量に死んだり裁判で裁かれて強制退場してくれたのだ。国や組織や社会を膠着させ、腐らせ、子どもや若者の未来を犠牲にして自分たちの立場や権利を保障している国体の護持に奔走した連中を退場させたのは、日本人自身の手ではなく、アメリカを中心とした連合軍による解体作業の賜物である。神風と言えばこれも神風なのだ。むろん、アメリカのやったことはそれで許されることではないが。

今回は、失敗しようがコロナが酷くなろうが、「間違えた権力者たち」を滅ぼしてくれる神風は吹かない。今度こそ、日本人自身の手で吹き飛ばさなければならないし、東京五輪の中止は、実はそのチャンスでもあったのだけれど・・・まぁ、どうせ選挙も投票率低いまま自民党勝たせちゃうんだろうし、こりゃもう、暗くなっちゃうね・・・。


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