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これって自分だけでしょって思ってたものがそうじゃないとわかった時世界が広がる

世界が広がるシリーズです。

私は歳を重ねるにつれて、画鋲で開けた穴くらいしかなかった世界が、今や太平洋くらい広がりました。

いろいろなきっかけはあるんですけど、自分だけがこんなに苦しいとか変わってるとか特別とか、そういうものがなくなっていくにつれて、世界が広がることはあるのかなぁと思います。

自分だけじゃない、っていう。

幽体離脱的な現象

中学生のころよくある、かりそめの仲良しグループの中で行われる順番に仲間外れしていくやつ。それが自分に回ってきたと思ったら、今度は何事もなかったかのように仲間に入れられて他の人の悪口に愛想笑いしてて、間違いなく、14年間の人生の中で1番ストレスが溜まっていたころのことです。

学校祭準備中に人から話しかけられた時、突然耳鳴りがして、そのあと自分が幽体離脱したかのように俯瞰的に景色が見え、話しかけてきた人の声が耳当てを二重につけたくらいの感じでモヤっと聞こえ、なんて言ってるのかわからないのですがそれが数秒続くので、相手に変に見られないように、私は適当に相槌を打ちました。

だって変な人だと思われたら、また仲間外れにされちゃいますからね。あの頃はそれが1番怖かったんです。

しかし、この現象は何回か起こりました。放課後の人がたくさん出てきた廊下で話している時とか、休み時間に廊下で話している時とか。(当時仲間外れにされがちだったので、少しでも教室にいたくなくて廊下で他クラスの人と話すことが多かった)

当時は何回も起こっていたのでだんだん私も慣れてきて、またきたかーという感じでいちいち驚かなくなったし、適当な相槌も得意になっていました。相手の話が聞こえにくくなるのには普通に困ってましたけど。

本当にストレスと人間不信と幽体離脱で、あの中学2〜3年生の頃は今思い出しても吐き気がします。あの人たちは今でも許し切れてないです。

だけど気付くとこの現象は無くなっていました。たぶん、吹っ切れたんだろうと思います。それがどの時で誰のおかげなのかというのも、検討はついていますがそれはまた別のネタにさせていただこうかと。

で、ある程度大人になって自分のスマホを手にして、自分で調べたら考えたりできるようになった時、ふと検索してみました。特別支援教育を勉強したのがきっかけだったかもしれません。

普通は普通じゃない。そもそも普通ってなんだ?たくさんいるから普通でそうじゃないから障害?たくさんいる人と同じことが出来ないことが障害?じゃあ自分って?など、自分にとっての「普通」「障害」がどんどん崩れていくのが最初は不快だったけど、だんだんそれが気持ち良くなっていって、すごく面白かったなぁ。

よく覚えてないんですけど、とにかくネットで調べてみたことがあったんですね。

どんなキーワードで検索したのかも覚えてないんですけど、何はともあれそれらしきものが出てきました。

あ、自分だけじゃないんだ

と思いましたね。

もしかしたら自分が特別なのかも?とか思ったりもしてたんですが、ストレスでたまに起こることがあるみたいでした。

安心とともに、少し残念な気持ちもありました。

自分が特別だと思ってることって意外とそうでもない。普通じゃないこととか自分だけかもとか、あの人は変とか、そういうのは簡単に崩れていくものですね。

とまぁ、こういうことを繰り返していくにつれてだんだん私の世界は広がっていきました。

当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないとわかる瞬間や、新しい価値観や存在を知って触れる時って、たまらないですよね。

いろんな世界を知っていろんな人と話してみたいです。




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