挑戦で得るものと、傷つけるもの

挑戦することに価値がある。挑戦すれば新しいものが手に入る
そう、よく言いますよね。その裏側についてが今日の記事。

こんにちは、ついにホノルルマラソンまで1週間を切ったライアンです!

いやものすごくドキドキしてきましたね。

フルマラソンは初めてだし、場所は海外だし。何か忘れてないかいつも以上に不安になってしまう。

でも、この1年間中高大と文化部だった僕が運動の中の運動であるマラソンに惹かれて、行くことを決意して、ウェアを買ったり、走る練習をしたりしたそのこと自体に価値がものすごくあるように感じています。

そんな風にさせてくれたのは、武者修行を通じて知り合った友人のfacebook投稿。

彼らは、去年のホノルルマラソンに参加をして、青空の元やり切った達成感を全方位に放射した顔で写った写真を投稿していました。

それを見た瞬間「自分もやりたい」と強く思いました。

そしたら、その友人が一年前に「来年行く人いますか?」という投稿を。
秒で返信しましたね 笑

それを企画してくれた湖の名前をあだ名にしている友人には感謝です。

ただ、同時に悲しいこともありました。
それは、最初20人くらいが返信して参加を表明したにも関わらず、最終的にホノルルに向かうのが5人ということ。

そして、その5人の中には企画をしてくれた彼が含まれていません。

この1年で参加を表明した人がドンドンといなくなっていきました。

・研究室がある

・内定者の研修がある

・高校の友人と行くことになった

等々。理由は様々でした。

主催の彼とは物理的に距離があるため、彼がどんな顔をしていたのかは見ていないもの、かなり悲しかったであろうことがインスタの投稿からうかがえて来ました。

僕も何度かイベントを企画して、友人に声をかけ、その友人にドタキャンされる。何度か経験があります。

これね、すべてに裏切られたような感じがして結構堪えます。

チャレンジする時、それにかかわってくれる人、準備をしてくれる人がいる。その彼らが自分がキャパを考えずに始めたチャレンジで傷つくこともある。
しかも、その傷つける側に容易に自分もなっていたこと。
その2つに気が付きました。

義理堅い人間に僕はなりたい。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。