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祖母宛ての電話。

昼ごはんの焼きそばを食べていると、祖母あての電話がかかってきました。

電話の主は祖母の同級生でお互いの近況報告がしたかったようです。30分くらい、僕が焼きそばを食べ終えてもまだ電話は続いていました。

学生時代に演劇をやっていた祖母の声はよくとおり、食卓にいるときも、食べ終えて部屋に戻ってからも話の内容が聞こえてきました。30分と比較的短い電話にもかかわらず、祖母の電話の主の共通の友人4人の訃報が伝えられたようです。

僕の22年の人生の中で身近な人を亡くしたのは今のところ2度。母方の祖父と、恩師の二人だけ。どちらの時も辛く、悲しみと後悔の念が胸に刻み込まれたのをよく覚えています。

祖母は84歳。僕の4倍くらいの時間を生きてきたわけです。

電話の後に声をかけると、その訃報のことなどを聞いてみるとその人たちとの思い出のこと、これまでに見送ってきた友人のことなどを話してくれました。100歳まで生きると語った同級生が真っ先に亡くなったこと、旅先のお風呂で亡くなった人もいたこと。

僕の体験したことのない密度の話が一気に流れ込んできたような感覚がして、戸惑ってしまいました。大学を卒業するときに感じた「この後は何かを失う機会が増えるんだろうな」という感覚の延長線が伸びていった先がそれなんだと。

特にこのコロナ禍で友人たちと会えない時間が長くなってきた今日、いつか失う日のことを考えると時間が無為に流れすぎてはいないかと不安な気持ちがわいてきました。会える時に、会いたいときに、会いたい人に会える時間が一刻も早く戻ることを希求します。

高校1年生の時から毎年やっていた高校の天文部製作班の定例お花見は昨年に引き続き今年も中止。(元)アルバイト先のスタッフ一同で年1回行っていたシュラスコでの飲み会も開催してない。大学の友人と山に行く話もとん挫。僕の、みんなの今年は一度しかこないというのに。

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