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どこにでも行けるけど、どこもいけない感じ。

昔やったゲームに、ボスによって何もなくて時間も流れない暗闇の世界に主人公が放り込まれるシーンがありました。その何をしてもどこにもつながらない、どこに向かったらいいのかわからない空間を主人公はあきらめることなくはいつくばったまま進み続けました。そして、あきらめなかったことによって通常の世界に帰ってこれたのです。その間の自分は長いなぁ、と他人事で主人公を前に動かすためのスティックを無心で倒していました。

そこそこ発展していて徒歩圏で必要なものはとりあえずそろえることができた街から、徒歩圏には畑とローソンがあるだけで車がないと始まらない場所に引っ越してきて約3週間。閉塞感を感じるようになりました。

車の免許はある運転もそこそこできるようになってきたけれど、コロナ禍で移動の自粛が求められ、家にいる高齢の祖父母のためにも外に出歩かないようにしていました。そして、夏に来る大学院受験にむけた勉強を日々コツコツとやっていました。

終日リラックスした昨日から一夜明け、今日からもう一度頑張るかと意気込んで机に向かうのですが、頭痛がして頭がうまく働かない。気分もすぐれない。まさかと思って熱を測っても、36.6℃。教科書に載せられるレベルの平熱でした。

そして湧き出すのは、「ここではないどこかに行きたい。行かなければ気が触れてしまいそうだ」という衝動。それを理性で押しとどめようとする。あっちとこっちで綱引き状態。

車に乗って、電車に乗って、飛行機にのってどこかにでかけることはスキル的にも金銭面的にもできる。どこかに行ってしまいたいという願望もあるけれど、そうはしてはいけないと理性が押しとどめる。

日がな一日勉強したり本を読んだりインプットをするばっかりで、社会とつながっている感覚が希薄でならない。血縁者とは話したり、友達とzoomもするけれど、働いたり生み出したりしていないせいかやっぱり社会とつながっている感じがしない。

以前バイト中に遭遇した「たわいもない話をしたいおじさん」の価値観を当時は理解できなかったですが、今の僕と同じ状態だったのかもしれません。自分がどこともつながっておらず孤独で仕方がないから、だれでもいいから話したいと。

気が触れて、勉強もできなくなっては元も子もないのでガス抜きできるようにします。

それはそれとして、どうしても考えてしまうのは母のこと。母も僕と同じく、この場所に閉塞感を感じています。一方の自分は来年にはこの場所を出ていくでしょう。でも、母はこれからの人生ずっとここにいなくてはならない。帰る場所がここになっているから。いつも支えてくれた母をこの場所に置いて出ていくことに罪悪感を感じずにはいられません。どうして。

今の自分には環境を変えたりすることはできないし、近い将来でも難しいでしょう。でも、何かしてあげたいとそう思ってしまうのです。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。