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不合格で得たのは、人生を考える時間

「生き急いだ人生」それが僕の大学4年間を象徴する言葉。

常に満たされない心を抱え、他者への羨望・嫉妬から自分の力量をわきまえない無茶な挑戦を繰り返しては無残に散っていく。
だからこそ、多方面で活躍する同世代が憎く、うらやましくなっていた。

ナニモノになりたいのかはわからない。けれど、目先の成長を続けたらナニモノかになれると信じていました。

結局はナニモノにもなれなかったのではないでしょうか。

そんな自分にさした「大学院進学」という一筋の光明。
外部受験、博士進学、南極。
周りを見渡しても同じものを求めている(もしくは、持っている)同世代はほとんどいない。ナニモノかになることに飢えていた僕は一も二もなくそれに飛びつきました。

受験は中3の時に急成長を遂げて満塁ホームランをした経験があるから大丈夫。大学院にもその時の全力の勉強量をこなしていれば大丈夫。
そう信じて疑おうという発想すら持ち合わせていなかった。

ふたを開けてみれば、思いがけない落第。青天の霹靂。
これまで同期に後れを取ることなくストレートに自分という駒を人生の次のステージに進めていたのに、ここにきて急に立ち止まることを余儀なくされてしまう。

ショックでした。

結果を受け止めきれず、どうしていいのか混乱していた時期に
「不合格になったからこそ得られるものがある」と声をかけてくれた方がいました。
何かに勝利をしないと何も手にできない。負けた時は、失うものしかないと思っていた自分にとって、全く新しい価値観で目が覚めるようでした。

でもそのときは何を手にできるのか、さっぱり見当もつかず
「こうしてお話しできたことがソレですかね」なんてあいまいでよくわからない返答を返していました。

でも今なら少しわかる。
自分が今手にしたものは、「人生を見つめなおす時間」。

これまで何を目指しているのかわからないまま、目先のよさげなものに飛びつこうとして(多くは失敗をしていた)自分。
目先のその先。人生の深淵に何を望むのかしっかりと考える機会はなかったです。

だからこそ、自分はどういう人生を送ったら幸せを感じるのか。
それを模索することを始めました。

幸せとは、何かに勝利して一時甘受するものではない。
日々の生活からじわじわと感じていくものだ。

そういう考え方ができるようになりました。

手にしたものを無駄にすることなく利用してゆきたいです。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。